IE9ピン留め

「輝く江戸のちるど連」終了いたしました。


「輝く江戸のちるど連」展の中間報告を・・・・・
と思っておりましたが、
連日の疲労困憊で、連日、バタンキューで無理でした。
ホームページやブログをご訪問くださった皆さま、
申し訳ございませんでした。








































会場のうおがし銘茶5Fspace「会」。
ここでの開催は3回目。
モダン和風の雰囲気が、『江戸浮世人形』にピッタリです。




24日オープニングは、雪のためのトラブルもありましたが、
会場のある「うおがし銘茶」のスタッフの方々、
またいつも助けてくれる友人たちに救われ、
何とかオープンできました。





























「雪あそび」


今回は、朝日新聞、読売新聞に告知を掲載していただいたので、
(毎日新聞もかも・・・)
新聞の切抜きを持った方が大勢ご来場くださいました。
なかには、道に迷いながらも、2日がかりでご来場くださった方も。
1日目はついにたどり着けず、再度挑戦。
2日目にご来場くださったときには、私の手を握り、
「新聞見て、どうしても来たかったんです~!!」と。
その方たちは、3時間くらいいたご様子です。
















一番人気だった「まくわうり」




そんな具合にたいそうご熱心な方々や、著作権がからむお話もいくつか持ち込まれ、
新たな展開ができました。
これまでぼ~っとしてきましたが、著作権という厄介なことも、
しっかり対策立てておかねばならぬ時期に来たようです。

















「あかんべェ」




落語の桂米福師匠や、イギリスのご本をたくさんお書きの三谷先生など、
著名な方々までご来駕くださり、
ご来場者数は少なかったのですが、中身の濃い開催でした。



『江戸浮世人形』はお手軽な値段とはいえませんので、
もっとお気軽にお買い求めいただけるように、
今回はこんなものをご用意しました。

「福々坊」と名づけた小さなざるや箕(み)に入った人形です。
かわいいでしょ?















「行水」たらいの手前に、
小さな「亀」の玩具。



とてもきつい条件下での2年間の「ちるど連」制作も、
楽しげにごらん下さる方々のお姿で、報われました。
撤収中においでになったお客様は、
大病院の癌病棟に展示をしていただけませんか・・・・ボランティアで・・・・
とお願いにいらしたのでした。
病と闘っている方々のお慰めになれば、うれしいです。
これからは、そんな活動もしてまいります。


また、売上げの一部は、
東北大震災の応援に充てさせていただきます。



みなさま、ほんとうにありがとうございました。




●今回の新作は『江戸浮世人形』の項目で、解説とともにゆっくりと掲載いたします。



















・・・

# by edo-ukiyo-doll | 2012-01-30 10:49 | ごあいさつ申し上げます | Trackback | Comments(0)

個展のお知らせです。


まずは、
新年のご挨拶を申し上げます。
本年も、よろしくお願い致します。
くわえて、寒中お見舞いも申し上げます。
お風邪、召しませんようにね。


さて、
「江戸浮世人形」をこよなく楽しんでくださる方々に
謹んでお知らせ申し上げます。


第4回「江戸浮世人形」展
『輝く江戸のちるど連』
――――江戸の子供たちがい~っぱい――――


多くの方のリクエストにお応えし、江戸の子供たちのオンパレードです。
四季折々に、日々の暮らしに、子供たちの姿を描きました。

●会期/2012年1月24日(火)~1月28日(土)午前10時~午後5時
(最終日入場は午後2時40分まで。午後3時に終了します)


●会場/東京都中央区築地2-11-12
うおがし銘茶 築地新店
5階 space 「会」
℡03-3542-2336






      「お正月」
       12センチくらいの大きさ・・・かな?





















「かよひ小町」



















「唐人あめ売り」


















         「いい子ね」
     人形の高さは8センチ。





苦節2年(半分は遊んでたかも?)、3大悲劇をものともせず、
がんばりました。
がんばっては参りましたけれど、まだ完成しておりませんで、
まだまだ制作中でございます。
とほほ・・・・。

こうやって今年は進んでゆきまする。
ああ、情けなや。




「雪あそび」
子どもの大きさは8センチほど。






では、おご来駕をお待ちいたしておりまする~。・・・





# by edo-ukiyo-doll | 2012-01-14 21:10 | いろんなお知らせ | Trackback | Comments(0)

江戸も師走は大忙し


まるで何かに追いたてられるかのように、
12月の声を聞くと、気もあせりだし、
もはや、師走も半分になっちゃいました。
年の瀬を前にバタバタするのは、時間と追っかけゴッコの現代人の特徴、
と思いきや、江戸人もそうでした。
























師走、8日の「事始め」。
なんと、この日から正月の準備が始まるのです。


13日には「煤払い」といって、大掃除をします。
これは江戸城も武家屋敷でも、商家でも、勢ぞろいで煤払いをしました。
日本の神さま・・・歳神さまは清められた場所にしか下りてこないそうで、
お正月の準備も、清められた場所で行う、ということなんですね。
煤払いの後は、だれかれかまわず胴上げをし、
お酒が出て、商家ではご祝儀まで出るのだそうで、これはすごい。


これは商家の煤掃(大掃除)の様子。



大掃除もこの頃から、「きょうは照明」「明日は硝子」
なんて、ちょっとずつやっておけば、大騒ぎすることもないのですけれどね。
あんたはやらはる? と聞かれれば「NO」。 えへへ。


江戸では14日の深川八幡を皮切りに、
「歳の市」が次々と開かれます。
中でも浅草浅草寺の歳の市は、14~24日「ガサ市」と呼んで、
お正月用品から生活用品、何でもあります。
17~19日は同じ浅草寺で、「羽子板市」が開かれます。


浅草寺の年の市の風景。



22日には冬至となって、柚子湯にカボチャ。
そして大晦日へと突入する江戸なのでした。
この大晦日がまた、た~いへん。
ツケで買い物でしたから、この日は掛取りがきます。
「大晦日よく回るのは口ばかり」
ない袖は振れないもの、言い訳しまくりです。




こうやって江戸の師走はやっぱり忙しかった。
師走が忙しいのは、日本の特徴のようですね。
おまけにクリスマスだってあるし。
その前に年賀状作って、書かなくっちゃ!





・・・

# by edo-ukiyo-doll | 2011-12-15 17:34 | 江戸歳時記 | Trackback | Comments(0)

越後屋の手代は京の言葉なり


「おこしやす。これはこれは、丸藤屋はんのごりょんはん、
いとはん、ようおいでくださいました」
ってな風に、客を迎えただろうと推測されるのは、
日本橋・越後屋呉服店の手代・清之助。
担当は京友禅で、小僧に言いつけてさっそくあでやかな反物を広げて見せる。
越後屋では、呉服(絹織物)の高級感を出すために、
京男を雇い入れ、江戸店に置くというもっぱらの噂だ。



越後屋呉服店は、延宝元年(1673年)日本で初めて大々的に、
「現金掛け値なし」で商売をした大店である。
現在の三越の前身であることは、誰もが知っている通りである。
「現金掛け値なし」がなぜそんなに重要なことだったのだろう。


それまでは呉服業に限らず、大店というものは、
武家や大名相手がほとんどで、屋敷に商品を持って行き買ってもらう。
支払いは、盆と暮れの年2回。つまり「付け」である。
ってことは支払ってもらえないこともある。
「現金」とは「付け」はいっさいやりません。
全て現金で、その場でお支払いください、ということ。
現代はそれがゴク当たり前になっているが、当時は画期的なことだった。


上と下の画は、越後屋の内部。
天井から下がっているのは、手代や番頭の名前で、
各人がひとつの商品を担当し、その商品のスペシャリストとなって、
客に対応するシステムをとったのである。これも評判をとった。

















「掛け値なし」というのは、商品には全て正札がついているので、
その料金で支払ってくださいということだ。
というのも、当時はついている値段から、
交渉によって支払い価格を決めていた。
越後屋はこれをやめたのである。
開店当初は店の前にずらりと商品を並べ、
バーゲンセールのようにやったらこれが大当たりをとったという。


初代三井高利は伊勢・松坂の出身で、14歳で兄の店で修業を始めた。
その後独立して、京で呉服屋の卸業を開始。
そしてさらに、京・大坂に呉服店を出した。
50歳のころに、息子たちと共に、江戸に進出。
これが「現金掛け値なし」の店で、もう大名相手はやめ、
町方をターゲットにした。
逆転の発想である。




























上下の画はどちらも、広重によるもので、
越後屋の広告のために作ったものだろう。



地方の商人に越後屋の商品をおろし、行商をさせて全国に
「越後屋」の名を浸透させた。
突然の雨には、顧客に傘を提供した。
傘には「越後屋」のロゴが大きくはいっている。
     夕立に 振る舞い傘を 三井出し
江戸中が「越後屋」でいっぱいになったことだ。
抜け目のない商売には、いつの世も同じ発想の転換が必要。




























・・・・・

# by edo-ukiyo-doll | 2011-12-05 15:45 | 江戸ぐらし | Trackback | Comments(0)

風流ですなあ、紅葉狩り。

週の後半、あいにくの雨ですが、皇居の回りも紅葉となりました。

江戸の紅葉の見頃は立冬(2011年は11月8日)より7、8日頃と、
『東都歳時記』にあります。
ですが地球温暖化のせいもありましょうか、年々時期は遅くなり、
今年は、1~2週間、あるいはそれ以上遅くなっているところもあるようです。












現代では紅葉は眺めるだけになりましたが、
平安時代には宮中やの貴族たちが、
紅葉のもとで宴を開き、
和歌を詠み「紅葉合(もみじあわせ)」
といって、これを競う遊びが流行りました。
それが江戸時代には、
庶民にまで広がっていきます。









江戸時代の紅葉狩りは、
桜のお花見のように大勢で繰り出すのではなく、
小人数でその下で宴を催したり、
句をひねったり、紅葉を満喫します。
紅葉狩りをするのは隠人、
医者、僧侶などで、婦女子はしない
・・・・ともいわれていますが、
浮世絵や草紙の挿絵などには、
女性や子供も多く見られます。
宴や句会などを催したのが、
隠人、医者、僧侶など
・・・ということかもしれません。





江戸時代には、園芸の熱狂的大ブームの中、
紅葉や楓も園芸の的となりました。
8代暴れん坊将軍・吉宗の時代、
唐から献上された「トウカエデ」というのを、
伊藤何某という人物に託され、
伊藤氏は接木でみごとにふやすことができました。
吉宗将軍はいたく感心し、伊藤氏にこれを下げ渡したところ、
楓のとりこになってしまっていた彼は、
たくさんの楓の種を開発したそうです。
そんなこともあって、江戸時代には100種を超える楓があります。

でも・・・・・カエデとモミジの区別がわからないので、きかないでね~



さてさて、そりゃあ紅葉は京の都はさもありなんですが、
品川鮫洲の海晏寺(かいあんじ)や、
向嶋の秋葉大権現、下谷の正燈寺、滝の川などなど、
お江戸にもたくさんの名所があります。



ことのほか海晏寺(上の画)は紅葉の名所として名高く
ここは曹洞宗補陀落山海晏寺というのが正式名称。 
現在は第一京浜が横を通り、かつての紅葉を愛でた面影はなくなってしまいましたが、
当時の様子はたくさんの画に残されています。



















左は「請地秋葉の境内」の紅葉。
向嶋の秋葉大権現のことです。






こちらは「真間の紅葉手古那の社継はし」とタイトルの付いた
広重の「江戸百景」の画。
真間は現在の千葉県市川市のあたり。
7世紀の半ばころのお話です。
手古那という美しい乙女がおりました。
あまりの美しさに大勢の男たちが、言い寄ってきました。
そのことに思い余った手古那は、
当時海だったこの地に身を投じた・・・・・
という伝説の土地です。
江戸からかなり離れていますが、紅葉の名所として、
物悲しい伝説に心はせながら、
江戸の人々は訪れるのでしょう。


我が家の近くの銀杏並木も、「金色のちひさき鳥のかたちして」
はらはらと舞い散り始めています。
「ポプラ並木、まっ黄色だね!」
というけど、あれはポプラじゃなくて、銀杏ですからね!

雨が上がったら、紅葉を見に行きませう。







# by edo-ukiyo-doll | 2011-12-01 10:30 | 江戸歳時記 | Trackback | Comments(0)

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