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辰年には龍文様

「龍」とはまことに不思議な生き物である。
そもそも現実界には存在しないにもかかわらず、
というより、人間の想像したものなのに、
そのディテールへの執念はすごい。
あげく、中國(のちには朝鮮王朝も)では、
王族の象徴ともされたほど、
想像上の生き物のトップに君臨してきた。

では「龍」とは何もの?
龍の棲み家は水中という。
エラ呼吸ができるの? などと思ってはいけない。
雲に乗って空中を自在に翔ける。
あるいは春分には天に翔けるし、秋分には水辺に棲むという説もある。

その姿は9か所の各部分が、9匹の生き物に似ているといわれ、
それは「九似(きゅうじ)」と呼ばれる。
1 角は鹿
2 目は鬼
3 鱗は鯉
4 耳は牛
5 爪は鷹
6 頭はラクダ
7 掌(たなごころ、手のひらのこと)は虎
8 腹はマムシ
9 うなじは蛇


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 ←角は鹿、目は鬼 
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                              爪は鷹→



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 ←ヒゲ

                             

         頭はラクダ→





また頭の上には「角」とは別に山の形をした突起があり、
これを尺木(せきぼく)あるいは、博山(はくさん)といい、
これがないと天に昇れないそうだ。
鱗は81枚と決まっており、のどの下にある鱗には超注意!!
逆さに生えたこの鱗を「逆鱗」と呼び、
ここに触れちゃったら最後で、「逆鱗に触れる」とはそのことをさす。
口元には「髯髭(ぜんし)」というひげが伸びている。
まだいろいろあるが、以上の情報でだいたい描けるだろうか?
それと龍の全長は、
「頭から腕の付け根」「胸から腰」「腰から尾」の3部分に分かれ、
これを「三停(さんてい)」というそうだ。

さて文様。
弥生時代には日本にすでに入ってきていたそうで、
神話や仏教、竜神など、日本独特のアレンジもされていった。
それが江戸時代も半ばを過ぎると、
高貴で神聖な要素はどこへやら、
勇みや豪気の印象が強まり、芝居の衣装や、
吉原の太夫、花魁の衣装に用いられるようになる。



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←英泉が描いた雲龍仕掛の花魁
 フランスのパンフレットに使われ、
 それをゴッホが描いたので有名。
 ただしパンフレットの段階で反転。


    英泉画
    「傾城六佳僊姿海老屋内 
     七人 文屋康秀」→

























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# by edo-ukiyo-doll | 2024-01-23 12:09 | 江戸の文様・江戸の色

ゴド―ではなく「月」を待ちながら

今夜は十五夜。
あいにく当地は今夜は曇りのようで、
そのような月が見えない十五夜は「無月(むげつ)」、
雨になったら「雨月(うげつ)」と、
月が見えないとしても、十五夜のほの明るさを愛でるのが江戸時代。

こんな風に人々は月の出を待ち、
これを「月待ち」といって、月が出るまでの夜を、
家族や親類、友や地域の仲間たちとともに過ごす。
本来は念仏など唱えたらしいが、
江戸時代もだいぶ進むと、いつしかそれは、酒を酌み交わし、遊興の時となる。

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           西川右京画「月見」



月待ちはいつでもいいわけではなく、
十三夜、十五夜、十七夜、二十三夜などがメインだったらしい。
十五夜はだいたい、日没のころに上るが、それ以降は50分くらいずつ遅く上がる。
そして、それらの月にも、わざわざ名前が付けられている。

十六日は「十六夜(いざよい)の月」
十七夜は「立待月(たちまちづき)」
十八日の夜は「居待月(いまちづき)」
十九日の夜は「寝待月(ねまちづき)」あるいは「臥待月(ふしまちづき)」
二十日の夜は「更待月(ふけまちづき)」

満月から今度は欠けてゆくのだが、
十六夜とは、十五夜より少し遅く上がるので、
まるで上ろうかどうしようかとためらっているようなことから、
「いざよい」というのだと。

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          「高輪の月見」 広重画



そんな月待の風習だが、
七月二十六日の月は、月の出には三尊仏の影光を拝めるというので、
それまでを宴会しながら待つ。
明け方に近い頃上がる上るので、その待ち時間は、
当然、遊興ということになり、海辺の高輪は恐ろしいほどの賑わいになる。
その話はまたいつか。

良い十五夜を!













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# by edo-ukiyo-doll | 2023-09-29 14:54 | 江戸歳時記

十五夜の食べ物

「十五夜は特別、月のきれいな夜」と説明するラジオのアナウンスを聞いて、
びっくりしたが、それでいいのかもしれない。
みんな、いろんなことが忘れられてゆく。

さて、十五夜。
旧暦8月15日は、「仲秋の名月」、いわゆる「十五夜」というのが、これです。
今年はたまたま満月になるので、晴れたらそれはそれは美しい月。
「仲秋(中秋とも書く)」って何?
旧暦、江戸時代に使われていた暦ですが、これだと、
1、2、3月が春、4、5、6月が夏、7、8、9月が秋なので、
8月は秋の真ん中の月。
だから「仲秋、中秋」と言います。
そして月が一番美しく見えるのは、
空が澄み渡る秋なので、毎月やってくる十五夜でも、
特に「仲秋の名月」と呼ばれるのです。


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          「東都名所高輪月見 3代豊国画」




十五夜に月に様々供えるのは、祈りと同時に収穫のお祝いでもあるようです。
大きな団子を15個、三宝に盛り、お神酒を供え、
ススキや秋の花も添えます。
そして十五夜は「芋名月」とも呼ばれる所以となったのは、
芋(いも)も供えるからです。
ジャガイモではなく、サツマイモでもなく、
本来はサトイモ、里芋を供えます。
古来日本で「芋」というのは、大昔から食べていた「サトイモ」のことだからです。
でも、マックのポテトでもいいのかも。

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               「吾妻源氏辰美之秋月」部分



それから、江戸時代には十五夜で欠かせなかったのが、蛤(はまぐり)。
江戸の町には、
十五夜の夕方から夜にかけて、蛤売りがやってきます。
そして晩飯には蛤のお吸い物がつくのが定番。
今年はあまりにも暑いのでどうかな? と思いますが、
蛤は春から初秋の間に産卵し、この間は採りません。
仲秋の名月頃になって、初物の蛤!
江戸っ子は初物と聞いたら、たまりません。
十五夜には蛤はつきものだったようです。













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# by edo-ukiyo-doll | 2023-09-28 17:13 | 江戸歳時記

せり、なずな・・・・・・七草がゆ

早いですね。
あっという間にもう七草がゆの日になっちゃいます。
「七草がゆ」・・・なんだそれ?
という人も多くなりました。


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年末からお正月にかけて、食べ過ぎたおなかのために、
七種類の薬草を入れたおかゆを食べる日です。
「草なんか食べたくない!」と思っているあなた。
これを食べないと一年は始まらない、
ということで、
江戸時代には七草を様々な調理道具で叩き、
七草がゆを作ります。


「五節句」ってご存知・・・ないか。
でもね、幼稚園で
「ひな祭り」、やりましたね?
「子どもの日」には鯉のぼり、
ごぞんじですね?
「七夕」もやっぱり幼稚園でやりましたよね?
はいこれで、五節供の内の3つを、りっぱにやってます。

あとの2つは、9月9日の重陽の節句(菊の節句)、
そして5つ目が七草がゆに代表される
「人日(じんじつ)」の節句です。
その年の一番目の節句です。


正月、日本では初春に若菜を摘んで食べれば、
若菜に力をもらって邪気を払えると考えられていました。
これと中国の「人日」という行事が、長い間に結びついて、
「七草がゆ」の風習が生まれたといわれています。


歴史はともあれ、七草がゆはこの寒い季節にもってこいの食べ物です。


せり、なずな・・・・・・七草がゆ_f0186852_15573915.jpg
  これが七草。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、
  ほとけのざ、すずな、すずしろ
  ・・・・・・春の七草。
  ブラボー!

  ちょっと田舎なら、
  そこらへんに生えてる草が半分くらい。

  え?  やっぱり、草を食うの?
  そうですよ、草を食べるんです。



全部、生薬。
つまり今流行の漢方薬でも使われる薬草たち。



これを細かく刻み(ほんとはこれ専用の歌を歌いながら、トントンたたくように刻む)、
かゆに混ぜて食べます。
今ではどこのスーパーでも、必ず売っていますし、
面倒な方にはフリーズドライもあります。
お粥炊くのも面倒な方には、お粥パックにフリーズドライを混ぜればいいかも。

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  これがフリーズドライの七草。
  おかゆに混ぜて少し置いとくだけ。
  味はお好みで、塩少々。




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これは我が家の定番「七草がゆ」。
塩鮭、漬物、おせちで余った伊達巻に、おかゆ。
おかゆは
おかわり自由!!



































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# by edo-ukiyo-doll | 2023-01-05 15:45 | 江戸の食べ物

春の予感「さわらび文」

「わらび」・・・ごぞんじでしょうか?
わらび、「蕨」と書きますが、少々難しい。
春の山菜の代表格で、雪が解けるとよく道端に車を止め、
ちょっとした斜面で、ポキポキとっているひとも見かけます。
生では食べられないので、灰と熱湯であく抜きして、
春の食卓を飾ります。

これを「早蕨(さわらび)」といって、
古くから文様にも取り上げられています。
先っぽのクネクネがかわいいのかも。

春の予感「さわらび文」_f0186852_12521042.jpg


春の予感「さわらび文」_f0186852_12524160.jpg
 これは春信の画ですが、
 振袖の表着には、早蕨に結び文。
 よりそう二人の初々しさがあります。

 左は振袖の拡大したもの。
 先っぽのクネクネが「早蕨」を
 表しています。





春信は早蕨文が好きだったのか、
ちょこちょこ使っています。

春の予感「さわらび文」_f0186852_12541722.jpg

これも春信の画ですが、海辺に立つ母娘でしょうか。
裾も帯も振袖も風にたなびいて、笠を手で押さえるほど。
娘の振袖が、早蕨文。


早蕨の上にかかるのは、雲ではなく春霞のつもりかもしれません。 
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ちなみに母の裾には、木賊文(とくさもん)。
木賊は田舎ならどこにでも生えていますし、 園芸好きな方なら、よくごぞんじでしょう。
まっすぐな空洞のストロー状の茎に、黒っぽい節があって、 そこからポキンと折れます。
昔はサンドペーパーの代わりに使いました。
私は今でも、柔らかい磨きに使うことがあります。

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右の画は3代豊国の作。
幕末に近くなると、春信の時代と違って、
文様もリアルに描かれるようになります。

早蕨文は「蕨手(わらびで)」また単に「蕨文」とも呼ばれています。
源氏物語でも「わらびやつくづくし(土筆)をかわいい籠に入れて・・・・」
というようなことが書かれていて、
早春の楽しみの一つだったのだなとわかります。

蕨はその形の面白さから、さまざまにデザインされています。
のし袋の「のし」も印刷物が一般的になる前は、
筆で描いていましたが、上に小さいコブがつく。
これを「蕨のし」と呼んでいますが、
印刷物でもちゃんと「蕨のし」になっているのがあります。


「早蕨」、「さわらび」という音感とともに、
この先っぽクネクネした文様、かわいらしいし、ああ、春がやってきた!
と思わせるのです。

お散歩に、あなたもちょっとした春、見つけましょうね。














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# by edo-ukiyo-doll | 2022-03-02 12:48 | 江戸の文様・江戸の色