毎年、7月の末頃に、東京は隅田川の花火大会が開催されます。
毎夏の楽しみにしているのですけれど、
これは、江戸時代の両国の川開き(旧暦5月28日)
に端を発しています。
江戸では、隅田川以外での打ち上げ花火は、禁止となり、
現代のように、1日だけの花火大会ではなく、
川開きの日から、7月晦日まで、連日のように、
量は少なかったのですけれど、打ち上げられました。
8代将軍吉宗の時代、享保17年(1732年)は大飢饉で、
西日本にイナゴの大群が発生し、凶作となり、江戸ではコロリ(コレラ)も流行しました。
吉宗はこの慰霊と悪病退散を願って、隅田川で水神祭を行いました。
このときに、両国の川端の料理屋が幕府の許可を得て、
川施餓鬼を行うと同時に、花火を打ち上げたのです。
それ以前から隅田川での納涼は行われており、
明暦の大火・振袖火事で中断されていましたが、
しばらくしてまた盛んになりました。
特に花火が上がるようになってからは、
納涼船の数もおびただしく、
こちらの岸から集まっている船を伝って、
向こう岸までたどり着けたといいます。
さて左の浮世絵は、
もとは6枚つづりのものを
つないでみました。
まあ、なんとかわかりますよね?
これは川開きの日ですね。
橋上のおびただしい見物客。
この時代の花火は、
現代のものと違って、
実に質素なものでした。
それでも江戸の人々を
熱狂させるには十分でした。
これは大川端の料理屋で花火を楽しむ一行。
そしてこちらは、両国橋と、
橋の袂にひしめく夜店や
屋台の出店。
これらの見世は、
普段は夕刻までの営業ですけれど、
川開きから3ヶ月間は、
夜半までの営業が許されましたので、
川べりの店々が吊るした
提灯のあかりが川面に映って、
それはそれはきれいだったと
いいます。