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九里四里うまい十三里。江戸の焼き芋

江戸時代から変わらぬ食べものが、こんなに身近にありました。
そう、その名は「焼き芋」。
今はスーパーでも石焼芋を売っていて、
昨日買った石焼芋が,なんと、まだ生だったのです。
もちろん返しに行きました。
それで江戸の石焼芋事情を少々、と思った次第。

中南米が原産地のさつま芋は,
中国経由で琉球国に入ってきました。
そして薩摩に伝わって、「さつま芋」となったわけですが、
京阪では「琉球芋」って言います? 
幕府は享保20年(1735年)に、
薩摩から種芋を取り寄せて、これを
青木昆陽センセイに栽培させました。
センセイはまんまと成功し、
飢饉対策プロジェクトの一環として、幕府はさつま芋の栽培を、
全国展開したというわけです。




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焼き芋は意外なことに京都で始まりました。
それがずいぶん後になって江戸に伝わり、江戸に焼き芋屋が出現したのは
寛政(1789~1800年)頃といわれています。
上の浮世絵は、3代豊国描くところの焼き芋屋。
かまどの上部に芋を並べ木蓋をし、下からの火で焼いているのがわかります。



江戸の諸事情ガイドブックともいうべき『守貞漫稿』には、
江戸には焼き芋屋が少なく、焼き芋は木戸番小屋で売ることが多いとあります。
木戸番というのは、町々の境に設けた木戸の番人のことです。
これを「番太」と呼び、町から出している給金があまりに微々たる物なので、
木戸番小屋では、駄菓子、わらじ、箒などの
日用雑貨を売っても良いことになっていました。

そこで夏には金魚、冬は焼き芋を売っていたのです。
ふつうの駄菓子屋では火を使って商売することは、禁じられていました。
でも木戸番なら火の用心の仕事もしますから、特別に火を使うことを許されたのです。
木戸番の仕事というのは、木戸の番だけでなく、夜中はずっと町内を
「七ツ半でござい」チョンチョンと、拍子木を打って夜回り兼時刻のお知らせをします。
ですから、お上も焼き芋売ってよし! としたのでしょう。




f0186852_20521886.jpg右の画は『東都歳時記』という江戸時代の本の挿絵です。

さてさて、江戸のご婦人方はこれを「おさつ」と呼び、幕末近く天保の頃には、
焼き芋は大ブレークしました。
1本4文、およそ80~100円くらいでした。
江戸では「〇焼き」とか「八里半」と書いた置き行灯を出しています。
「〇焼き」は「一本丸ごと焼く」という意味、「八里半」は「九里(栗)に近い味」という意味。
ところが「九里四里うまい十三里」とうたった人がいて、
焼き芋人気はますます天高く上っていったといいます。
秋、天高く・・・、おお、食べ過ぎに注意しましょう!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-17 20:55 | 江戸の食べ物 | Comments(0)