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節分の豆と鬼の話

このところ毎年、節分の日のスーパーマーケットは、
「恵方巻き」なるものの山となります。
「恵方巻き」は1970年代に大阪の、海苔問屋協同組合が、
海苔販売の拡大のために、道頓堀で仕掛けた大イベントが、
マスコミに取り上げられ、
やがて全国のスーパーとコンビニを巻き込んで
全国展開し、この何年かで一気にはやりだしたもののようです。
江戸の末期に、大坂(おおざか)の船場で、
商売繁盛を祈願して始まったと言われますが、
発祥は不明のようです。
バレンタインデーとチョコレートの関係と同じですね。


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 歌川國周画「鬼ハ外福ハ内」 (幕末の浮世絵)


それはさておき、「節分」は本来は年に4回あります。
立春、立夏、立秋、立冬の前日が、すべて「節分」。
季節を分けるので「節分」といいますが、納得です。
では、なぜこの時期の節分だけが残ったのか?
旧暦(太陰太陽暦)では、一年でもっとも大切なのが、
歳神さまをお迎えするお正月。
これがちょうど立春前頃になり、大晦日に節分になったりしました。
上の浮世絵では、お正月の鏡餅などがあって、
正月と節分が、
同じときになっていることがわかります。
今年は、節分の日が元日になります。
ですから江戸では今頃、餅をつく音、正月の物売り、掛取りが走り・・・・
年末のあわただしさのさなかです。


ところで、節分で豆をまくのはなぜでしょう?
これは、日本に古くからある「散米(さんまい)」という神事と、
中国から伝来した「追儺(ついな)」または「鬼やらい」という宮中の行事が、
いつしか民間に広まって、今の形になったものです。


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 『北斎画譜』より。上に〆飾りが下がっている。
 

散米は神社で精霊のために米をまいた行事で、
これが豆に変わっていったようです。
追儺は慶雲3年(706年)に疫病がはやり、
多くの死者をだしましたので、
中国から伝わっていたこの儀式を取り入れ、
「除災招福」祈願をしたのが始まりだとか。

これには、疫病をもたらす悪鬼に扮した人を、
桃の弓と葦の矢で射たり、
鉾(ほこ、長い柄の槍みたいなもの)を持って、
大声で追い回す行事でした。
宮廷では、この行事は平安時代にはなくなってしまいましたが、
寺社が受け継いでいたようです。
そして寺社では「散米」と「追儺」の行事をたくみにミックスして、
江戸時代には節分の「豆まき」が、庶民にも浸透していました。


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「梅幸の豆まき」


ところで追儺には、桃の弓が使われていたのですけれど、中国では古くから、
桃には鬼を退治する霊力があるとされ、
『古事記』にもイザナギノミコトが、鬼に桃を投げるシーンがありますが・・・・
なにかひらめきませんか?
そうです! 「桃太郎」! 
鬼退治に行く太郎は、
なぜ桃から生まれなければいけなかったのか・・・・
なるほど、そんなわけがあったのですね。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-01 22:00 | 江戸歳時記 | Comments(0)