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江戸の桜~御殿山いずこ

ずっと前から気になっていた「御殿山」。
江戸時代には江戸の3大桜の名所的存在だったのに、
今も地名としては耳にしますが、
桜のことなど全く聞かないのはなぜだろうと、すごく不思議でした。
飛鳥山も、墨田堤もちゃんと残ってるのに、です。
桜満開の御殿山の浮世絵も、た~くさんあります。

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上は広重が描いた御殿山の「夕桜」

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      こちらは北斎の御殿山の桜。



残念ながら、御殿山は無くなりました。
山とはいっても、まあ、丘くらいに思っていた方がいいでしょう。
これがイギリスだったら、「山」だと言い張るかもしれませんが、ここは日本。

御殿山というからには、「御殿」があったのです。
徳川家康が狩や接待に使うために「品川御殿」を造りました。
それ以前に、大田道灌がここに館を構えていたそうです。
そして、家康が入府したときに、江戸城改修のために、
相当量の土が削り取られました。

「品川御殿」は、元禄15年(1702年)に焼失してしまい、
その後は再建されなかったようです
寛文年間(1661~72年)、ここに数百本の桜を植えたので、
眺望に恵まれ、品川の沖のほうまでも見え、
絶好の桜の名所となったのです。


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そして時は飛んで、幕末の嘉永6年(1853年)、
外国から開国を迫られ、天下はまさに、上を下への大騒ぎ。
押し寄せる黒船への備え、防備のために、
大砲を海に向かって設置しなければなりません。
そこで、砲台を作るために一番近い山「御殿山」を削り取って、
目黒川河口に近い海に、砲台を作ったのです。
ここは「御殿山下台場」と呼ばれ、
のちには台場小学校の敷地となっています。

こうして御殿山は、消えゆきました。
ただ広重らの浮世絵が、
御殿山を想像するよすがとなるだけなのでしょう。


これは広重による御殿山と島側の宿を眺めた画。
家康のころ削られても、まだけっこうなお山。
大坂の天保山よりはうんと高い!037.gifにひひ。

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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-06 18:55 | 江戸歳時記 | Comments(0)