5月に入り、1年生はそろそろ学校にもなじんできた頃でしょうか。
江戸時代にも、入学式ってあったのでしょうか?
まず、一般書庶民の子供たちが通うのは、
現代では「寺子屋」と上方風に言ったほうが、通りがよいのですけれど、
江戸では「手跡指南(しゅせきしなん)」とか、
「幼童筆学所(ようどうひつがくしょ)」などと掲げた私設学校みたいなところです。
普通は「手習い」などと呼んでいたようです。
先生のことは手習い師匠といい、「おっしょさん」とよばれます。
入学式はありませんで、いつでもはいれますが、たいてい2月の初午の日、
現代のカレンダーでいえば、3月中旬頃になります。
上の画は女の子だけの手習い所。
それでもこんなにいたずらし放題!
江戸の場合は、7才ころの入門が一番多く、
初午の日には、親が天神机という机を担いで、手習い所に向かいます。
さて、手習い所は、現代の学校と全く違って、筆子(ふでこ)と呼ばれる生徒たちは、
年齢が全くバラバラ。
教室でも机は師匠のほうを向いておらず、浮世絵に見るようにバラバラ。
個別指導ですから、学ぶこともバラバラ。
主な授業は、手習いといって、師匠のお手本で書道をやる、
素読といって、声を出して本を読む・・・などです。
年上の子が年下の子に教えたり、おもちゃで遊んだり、墨を塗りあいっこしたり、
これもまたてんでに、好き勝手やったりしています。
師匠には、町人も多いのですけれど、下級武士も多く、
武家の手跡指南では、机もきっちり並べ、
ときに机の上に水の入った茶碗を持って正座させられたり、
罰則もありました。
子供たちはこの手習い所が大好きで(仲間と遊べる!)、
朝は友だちを迎えに行って登校します。
授業料は決まっていませんが、
入門のときに「束脩(そくしゅう)」という金銭をいくらか収め,
さまざまな行事ごとに、またいくばくか収めています。
8時頃に始まり、お昼は食べに帰り(雨の日はお弁当持ったり)、
2~3時頃には墨で真っ黒けな顔をして帰宅します。
それを見て母は噴出し、ぬか袋を持たせて、
そうそうに湯屋(銭湯)に行かせます。
なんと1850年頃の日本の就学率は70~80%。
群を抜いて世界でトップでした。
識字率が高かったからこそ、一般庶民の間でも貸し本屋が多かったですし、
俳諧の「連」や、
賭博で禁止された「三笠付け」などという、
付け句のばくちもできたわけです。
大勢の庶民が文字が読める・・・これは誇るべきことでしょ?