「酉の市(とりのいち)」は、「酉の町」とも呼ばれ、
11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼です。
江戸っ子には「お酉さま」と親しまれている、とてもにぎやかな行事。
一の酉、二の酉、年によっては三の酉までありますが、
三の酉まである年は火事が多いと言い伝えられています。
今年は一の酉が2日(水)、二の酉が14日(月)、三の酉が26日(土)。
江戸時代には鷲大明神といわれ、日本武尊を祀っていて開運の神さまとされています。
江戸では葛西花又村(現在の東京都足立区花畑)にある鷲大明神の氏子たちの収穫祭が、
酉の市の起源ですが、御府内(江戸市中)からは遠かったので、
次第に浅草田んぼ・吉原裏手の、新鳥越鷲神社への参詣が増えていきました。
なので、左の広重の画のように、遊女の部屋からも、
酉の市への参詣人の往行がよく見えます。
この画の左下にはなじみの客が買ってきてくれたのか、
熊手のかんざしが数本置かれています。
中の1本におかめさんと松茸が飾りにあるのは、
吉原だというご愛嬌。
そのためこの日だけは吉原の裏門も開放され、
一般の通行が許されるようになりましたので、
日ごろはめったに入れない人々も、遊女見たさに行きますし、
遊女の家族たちも、そっと会いに行くことができました。
さて右の画では、男は熊手と八つ頭(芋の一種)を持ち、
左の女は粟餅(粟で作った餅)を下げています。
「熊手」は福や金をかき集めるために、
「八つ頭」は子だくさんとか、人の頭となるように、
「粟餅」は黄色いことからそれが黄金に通じるとされ、
それぞれに縁起物のおみやげになります。
江戸では、酉の市の熊手は、遊女屋、茶屋、
料理屋、船宿、芝居などにかかわる業種の人々が
多く買い求めます。
↑『江戸浮世人形』より「酉の市」
『江戸浮世人形』にも、「酉の市」があります。
熊手をかつぐのは商家の小僧さん。
お仕着せの縞の着物に紺の股引き、
背中には縁起物のお土産の入った風呂敷を背負っています。
お内儀はお召納戸色の地に、菊花紋散らしの表着。
外出のため着物を帯の下にたくしこみ、帯締めで押さえています。
手に持っているのは防寒用の頭巾ですが、
人手の多さに暑くなったのか脱いでしまったのですね。
ところで、三の酉まであるときは火事が多いといわれますが、
その理由ははっきりしていません。
亭主が酉の市にかこつけて吉原に行くのを、女房が阻むために、
火事が多いから家にいなよ・・・ということが広まっていったと言う説もあります。
さもありなん。