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越後屋の手代は京の言葉なり

「おこしやす。これはこれは、丸藤屋はんのごりょんはん、
いとはん、ようおいでくださいました」
ってな風に、客を迎えただろうと推測されるのは、
日本橋・越後屋呉服店の手代・清之助。
担当は京友禅で、小僧に言いつけてさっそくあでやかな反物を広げて見せる。
越後屋では、呉服(絹織物)の高級感を出すために、
京男を雇い入れ、江戸店に置くというもっぱらの噂だ。


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上と左の画は、越後屋の内部。
天井から下がっているのは、
手代や番頭の名前で、
各人がひとつの商品を担当し、
その商品のスペシャリストとなって、
客に対応するシステムをとったのである。
これも評判をとった




越後屋呉服店は、延宝元年(1673年)日本で初めて大々的に、
「現金掛け値なし」で商売をした大店である。
現在の三越の前身であることは、誰もが知っている通りである。
「現金掛け値なし」がなぜそんなに重要なことだったのだろう。


それまでは呉服業に限らず、大店というものは、
武家や大名相手がほとんどで、屋敷に商品を持って行き買ってもらう。
支払いは、盆と暮れの年2回。つまり「付け」である。
ってことは支払ってもらえないこともある。
「現金」とは「付け」はいっさいやりません。
全て現金で、その場でお支払いください、ということ。
現代はそれがゴク当たり前になっているが、当時は画期的なことだった。


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       上下の画はどちらも、広重によるもので、
       越後屋の広告のために作ったものだろう

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「掛け値なし」というのは、商品には全て正札がついているので、
その料金で支払ってくださいということだ。
というのも、当時はついている値段から、
交渉によって支払い価格を決めていた。
越後屋はこれをやめたのである。
開店当初は店の前にずらりと商品を並べ、
バーゲンセールのようにやったらこれが大当たりをとったという。


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初代三井高利は伊勢・松坂の出身で、14歳で兄の店で修業を始めた。
その後独立して、京で呉服屋の卸業を開始。
そしてさらに、京・大坂に呉服店を出した。
50歳のころに、息子たちと共に、江戸に進出。
これが「現金掛け値なし」の店で、もう大名相手はやめ、
町方をターゲットにした。
逆転の発想である。



地方の商人に越後屋の商品をおろし、行商をさせて全国に
「越後屋」の名を浸透させた。
突然の雨には、顧客に傘を提供した。
傘には「越後屋」のロゴが大きくはいっている。
     夕立に 振る舞い傘を 三井出し
江戸中が「越後屋」でいっぱいになったことだ。
抜け目のない商売には、いつの世も同じ発想の転換が必要。








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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-05 15:45 | 江戸ぐらし