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江戸にいながら登る富士。

最近、富士登山者の2人に1人は女性だそうで、
「山女(やまおんな)」とは昔の言い方、いまは「山ガール」と言うそうな。

さて、富士山といえば、江戸時代の富士登山の賑わいは、
凄まじいとさえ言えるもので、
信仰心がありますから、誰しも一生に一度は登っておきたいわけです。
でも大変にお金がかかりますから、大勢で「講」という団体を作って、
ちょっとずつお金を積み立て、毎年、順繰りに富士山へ登拝できるという仕組みです。


ですが、登れない人のほうが多いので、
なんとかして富士のご利益を得られないものか・・・、
と考え出されたのが、見立ての富士。
江戸人は、実にこの「見立て」がうまい!
富士山から溶岩を持ち帰ってもらい、それで江戸市中に富士山をつくっちゃいました~。


f0186852_2255472.jpgこれが、あちらこちらにできて、
これを「新富士」とか
後には「富士塚」などと呼んで、
旧暦5月28日の夜から、
6月朔日にかけて参詣に行きます。
今年なら、新暦7月19日、昨日になります。

人工の小さな富士であっても、
お参りの前に家で線香を立てて捧げてから、
新富士へと出かけます。
        
        右の画は広重の描く「目黒元不二」。
         桜のころ、花を眺める人々。向こうには本物の富士。




駒込、深川八幡、鉄砲洲稲荷、浅草埋堀の砂利場、高田戸塚村、
茅場町天満宮、目黒行人坂などにあります。
現在でも、残っているところがあるので、実際に行ってみるのも江戸気分。


なかでも、駒込の冨士は、「一冨士 二鷹 三茄子」というのは駒込のことだとも言われ、
ここが新富士の元祖とも言われています。
駒込の「お富士さん」は、六義園の近く、富士神社の境内に現在しています。
下の図が、駒込のお富士さん。
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江戸の人々は、朝早くに富士に詣でますと、縁起物の麦藁細工の蛇を買います。
これは火除けのお守りですから、少しずつ形は変わりましたが、今も売っています。

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上の駒込のお富士さんの図にも、3人、麦わらの蛇を持っています










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  右の美人画は、英泉画描く美人画。
   この美人の左上のコマ絵には高田の富士。
   (コマ絵を拡大したのが左)
   ちょっと誇張していますが、
   実際にはもっと低いようです



牛込の高田富士は、朱楽菅江の
安永8年刊の『大抵御覧』では、
今戸の料亭や三叉中州と並んで、
江戸の新三景のひとつになっています。

安永年間に、
馬場下町の長四郎という人が、
高田水稲荷の境内に作ったもので、
これがきっかけで、
江戸市中のあちこちに、
新富士を築くのが流行ったと言われます。

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江戸の夏は、今でいう「エンターテイメント」が、
たくさんあって、
多くは信仰に関連するものですが、
自分の足で歩いて(船もあるけど)行って見た
「それ」らは、どんなにか感激だったでしょうね。





                  右は鉄砲洲稲荷の富士塚







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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-20 16:43 | 江戸歳時記 | Comments(0)