Edo-CoCo

edococo.exblog.jp
ブログトップ

鶏を奉納する元祖「酉の市」

今年の「酉の市」は8日と20日の二の酉まで。
東京なら花園神社や、府中も有名ですが、何といっても浅草です。
江戸時代なら、吉原の西門も、酉の市の日には開けて、誰でも通れるようにしますから、
その賑わいは浮世絵にも多く描かれ、江戸の風物詩のひとつですね。

f0186852_17453672.jpg



浅草の酉の市は明和期に始まったようで、吉原に行く口実も効いて大いににぎわい、
今に至ることはよくご存知でしょう。
浅草は「新酉」といわれ、これに対し「本酉」あるいは「大酉」「元酉」といわれていたのが、
いわゆる「葛西花又村」の鷲(わし)大明神社です。
葛西花又村というのは、現在では足立区花畑の一部となっていますが、
現在の江戸川区葛西より、ずっと北のほうです。
葛西はすご~~~く広いエリアを指していたのですね。


f0186852_19272583.jpg
上は『江戸名所図会』に描かれた「鷲大明神社


さて、鷲大明神社は今では「大鷲(おおとり)神社」とか「花畑大鷲神社」と呼ばれ、
酉の市には大いに賑わっています。
江戸時代には、この大明神の本尊は鷲に乗った釈迦如来像でしたが、
そのいわれは伝説に頼ることになります。
話が長くなるので、それはまた来年に譲ることとして、
酉の市は「酉の祭り」が次第に呼び方が変化したものです。
そして元祖・花又村の鷲大明神社の酉の市は、
近郊の農民の収穫祭とミックスされて行われるようになったようです。

『江戸名所図会』にも、鷲大明神社では11月の酉の日は「酉のまち」が行われ、
近くの農民が鶏を奉納する。
そのあと、奉納した鶏は浅草寺観音の堂前に放つとあります。

f0186852_19394689.jpg





















鷲大明神社」に奉納した
鶏のようす



花又村から浅草まで運んだのでしょうか。
浅草寺では「納め鶏」として、ここで放し飼いをし、
境内では楊枝と同様に、鶏の餌を売っています。


f0186852_19312816.jpg


もともと鷲大明神社の氏子は鶏は食べず、
社家(大明神を継ぐ家)では卵すら食べなかったそうで、
鷲(わし)がいつかしら鶏に移行してきたのでしょう。
奉納した鶏が、浅草寺の境内を「コッコッコッココ」と
歩き回ってる・・・なんて光景を想像すると、
ああ、江戸時代っていいなあ! いいなあ! 行きたいなあ!
と思うのであります。
[PR]
by edo-ukiyo-doll | 2012-11-08 19:42 | 江戸歳時記 | Comments(4)
Commented by rarirurarei at 2014-12-20 11:52
鷲大明神社へ、毎年、農民から(放たれた)奉納された鶏は

Q.「どこへどのよぅに保護されたのですか?」

Q.「飛ぶ鳥でない鶏」は、大きな籠へ収まるべくもなく、
  忽ちのうちに境内へ溢れ返った様がイメージされます。
Commented by rarirurarei at 2014-12-20 12:13
現在、放たれた「鶏の群れ」を視るためには
上野動物園しかありません。

「コッコッコッココ」と歩き回ってる・・・
なんて光景は自然を知らない者の想像のうち。

私は3ヶ月間、上野動物園(不忍池側)で鶏を
スケッチしていた体験をもちます。
油断をしていると幼児や子供も「ボス♂の襲撃
に遭います」。

飼育係の男性ですら「彼の膝上〜腰まで」雄鶏
の襲撃ジャンプを連蹴され、同時にクチバシで
追撃されていました。

男性だからに関係なく「群れを守るボス」が気が
荒いと「女性でも傍を通れません」。

上野動物園では、ヤギ放し飼いと同じ場に鶏も放
し飼いにされていましたが...
この飛べない鳥の闘争心は尋常でナイ!と、スケッチ
している期間に思い知らされました。

▼2007年4月、
▼ノースカロライナ州立大学などの研究チームは、
▼恐竜“ティラノサウルス”の骨のタンパク質を分析
▼した結果【遺伝子的にニワトリに近い】という
▼結果を得たと発表しました。

後年この報道を読みなるほど!!でした。
上野動物園のごく一般的鶏の、かの足、足の指、首他
Tyrannosaurusを彷彿させていました。
Commented by edo-ukiyo-doll at 2014-12-28 11:36
rarirurareiさま。
よほど鶏がお好きでいらっしゃるのですね。
ひよこから飼ってみるとかわいいですよ。


ご質問いただきました。

>鷲大明神社へ、毎年、農民から(放たれた)奉納された鶏は

Q.「どこへどのよぅに保護されたのですか?」

本文中に記載した通りです。
『江戸名所図会』や『東都歳時記』によれば、
<そのあと、奉納した鶏は浅草寺観音の堂前に放っていた>ようです。

『江戸名所図会』の挿絵では鷲大明神社においては、囲いの中にいますね?

酉の市が終わると鷲大明神社から浅草寺観音堂前に放し飼いにされた・・・・とまではありますが、
その後の事は推測に任されているようですよ。

江戸時代の事でしょうけれど、
「鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵さえ食べない。」
そうですから、あとは浅草寺観音堂のもの、ということでしょうか?

rarirurarei さまが、もしなにかでここの鶏のその後をお知りになられたら、教えてくださいね。


Commented by edo-ukiyo-doll at 2014-12-28 11:38
rarirurareiさま。

上のコメントの続きです。

鶏の放し飼い・・・・東京23区内では上野動物園しかないですか。
田舎では今も放し飼いしているところがかなりあります。
もう少し昔は、私の祖父の家でも放し飼いをしていて、それはそれは楽しいものでした。
祖父はごちそうの日には、杖で鶏を1羽追いつめ、コキン! と殴って、キュッと締める。夜はきりたんぽの鍋の中です。
残酷なようですが、子どもながらに、今まで生きていた命をいただく、生きものの命を知ります。

私は四谷のアパート住まいのとき、夜店で買ったひよこ10羽、友人が連れてきてしまい、仕方なくアパートの部屋で飼ったことがありますよ。
三越本店のペットショップ屋さんに相談し、まあ、無理ですね! と言われましたが、名前も付け(見分けがつけづらい)6羽はとさかが生えるまでに育ち、それ以上はアパートでは無理になり(隣の部屋の大家さんにばれそう!)、房総半島の農家に引き取ってもらいました。
でも、と~~~~~ってもかわいかったですよ。

すっかり成鳥になったら鶏は爪や嘴で凶暴性発揮しますから、危険も伴います。なので、ひよこから飼って実験してみてはいかがでしょう?
もしかしたら、すっかりなついてお散歩などするかもしれません。ただし都内でのお散歩は、注意が必要です。たぶん!