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カステイラはどこからやって来た?

風邪で寝込んでおりましたら、ご近所の遊海ちゃんが、
「カステラ持ってきたぁ」
と、大皿に大きなカステラの切り身(?)を持ってきてくれました。
ついでに紅茶も入れてくれ、一緒にいただきました。

そう、そう、カステラも古いお菓子ですよね。
「カステイラ」と書くほうが、
いかにも南蛮菓子、長崎から伝わってきたという、
異国情緒たっぷり、という気がします。

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ヨーロッパが新航路、
新地発見に血道をあげた「大航海時代」(15~16世紀)に、
ポルトガルの宣教師が、
長崎にもたらした南蛮菓子の中のひとつなんですね。
日本は室町時代の終わり(1570年頃)で、
金平糖や有平糖、ぼうろなんかと一緒に、伝えられたのでした。
そのころから、あんなおいしいお菓子があったの!
などと、早まってはいけません。
一説には、7、80年もかかって、
長崎で、今のカステラに近いお菓子が、やっとできたのだとか。



f0186852_2031183.jpg  「カステイラ」という名前は、
  現在のスペインに当たる
  カスティーリア王国のパンからきたのだとか。
  大航海時代ですから、
  船に積むのに保存のきく食品ということで、
  スペインの「ビスコーチョ」
  というパンがもとになったとも、
  あるいはポルトガルの「パァン・デ・ロー」
  という、スポンジケーキのようなものだったのではないか
  といわれているようです。
  見た目では、「パァン・デ・ロー」の方が、
  現代のカステラに近いようです。


おそらくは宣教師たちが、自分たちが食べるために、
長崎で雇い入れた料理人たちに、それらの製法を伝え、
それが日本人の口に合うように、だんだんと現在のカステラ状のものに、
近づいていったのではないかと思われます。
京では、多くの南蛮菓子の中で、生き残ったというより、
現地のものとは違った、日本独自のお菓子として発達したのには、
粉、卵、砂糖だけで、乳製品を使わなくても作られた
(乳製品は入手困難)からだとか。
京の油小路三条の菓子屋「萬屋五衛門」では、引き札(広告)に、
わさびをつけて食べるもの・・・として宣伝していました。

これを、現代のカステラと同じもの・・・
と思い込んでしまった人も多いのですが、
なんぼなんでも、それはありまへんがな。
それは現代のカステラとはまったく異なったもの。
秋田では今も「豆腐かすてら」という食べ物がありますし、
わが故郷津軽でも、子どものころには「カステラ」と呼ばれはしますが、
むしろ蒲鉾に近い食べ物がありました。
この地方では、小麦粉も手に入りにくかったので、
大豆でできる豆腐で、カステイラに似たものを作ったのではないでしょうか?
それらは今でこそ甘いのですが、
最初は砂糖がつかえたとしても少量・・・。
あの味ならば、たしかに醤油やわさびをつけてもOK。


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京のわさびをつけて食べるカステイラは、おそらくそれのようなものだったと思われます。
秋田・津軽の昔ながらのカステラは、
結婚式のお膳や、祝い事に使われました。
すくなくとも、秋田の豆腐かすてらは、幕末にはあったと言われます。
今ではすごお~~~~く甘いものになっていますが、
「粉」でなく、豆腐で作るほどです。
その頃はまだ甘いものではなかったのでしょう。


・・・・・・ってことは、京のカステラが北前船で、
秋田や津軽にも伝播して行ったということなのですね。
北前船がもたらしたさまざまなものが、
現代でも各地に変化しつつも残っていて、
北前船のパワーを今さらながら感嘆するのです。



ところで、カステラの端っこ・・・・・・あそこが一番おいしいと思いません?


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by edo-ukiyo-doll | 2012-12-07 20:26 | 江戸の食べ物 | Comments(0)