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『忠臣蔵』討ち入りの装束


12月14日が「赤穂浪士の討ち入りの日」ということを知っている人も、
ずいぶん少なくなったかもしれません。

この逸話は英語に翻訳され、“47ronin”という映画が

アメリカで作られ、現在本邦でも公開中なのだそうで。                                                                            

                         


                                            

『忠臣蔵』討ち入りの装束_f0186852_10111961.jpg

さて、赤穂浪士たちの当夜の衣装。

深夜に徒党を組み、

まして武器など持っていることがわかれば、

当然、止められますから、火消しの装束をまとった、

ということにしたようです。

しかし、実際には、黒い小袖 ( 着物 ) を着用し、

股引に脚絆(膝下に巻く布)履物はわらじ、                                                         

あとは各自思い思いにせよ、というような指示が、                                                                 
大石内蔵助から出ていたとか。                                                     






『忠臣蔵』討ち入りの装束_f0186852_10114702.jpg


 実際の定火消しの装束には、
                  
 「鋸歯文様」はあまりみられないのですが、

 芝居のなかで派手で目立つため、

 用いられたのかもしれません。





 しかし討ち入り当夜に、

 実際に赤穂浪士の討ち入りを目にした人々の証言には、

 「火事装束のようなものを着ていた」

 ということが残っています。




この鋸歯文様は世界中で見られ、空間に魔物が住むと考え、

空間を埋めることによって、魔物を寄せ付けない、

そんな発想から文様が生まれたといわれ、

そんな時代に生まれたひとつががこの「鋸歯文」でもあり、

きわめて原初的な文様といえます。




インドネシアでは「トゥンバル」と呼ばれ、

「更紗」にも多く用いられています。

日本には弥生時代から古墳時代に多く見られ、

銅鐸や土器、古墳の壁画また鏡など、

信仰的な用途に使われたことがうかがえます。

後に、幕末の新撰組が忠臣蔵に倣ってか、

浅葱色の鋸歯文様の羽織をまとっていたといわれます。



                                                         
                                                                       
                                                                  
                                                                       
                                                                   
                                                                        





















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by edo-ukiyo-doll | 2013-12-13 13:03 | 都市伝説