Edo-CoCo

edococo.exblog.jp
ブログトップ

『忠臣蔵』討ち入りの装束

12月14日が「赤穂浪士の討ち入りの日」ということを知っている人も、

ずいぶん少なくなったかもしれません。

この逸話は英語に翻訳され、“47ronin”という映画が、

アメリカで作られ、現在本邦でも公開中なのだそうで。

ネットで見たら、『忠臣蔵』というよりも、雰囲気は『指輪物語』。

でも赤西クン出てる・・・・・・・グフフフ。

 

それはさておき、今年の『忠臣蔵』のお話は、

討ち入りのときの衣装について。

f0186852_12553546.jpg
 

このギザギザの文様は、『忠臣蔵』の討ち入りのときの装束として、

もはや、芝居の世界ではなく、史実とさえ思われがちです。

この文様は「鋸歯文(きょしもん)」といいます。

これはもちろん歌舞伎の舞台から始まったことで、

これは当時の「定火消し」の装束だったとよくいわれます。

 

深夜に徒党を組み、まして武器など持っていることがわかれば、

当然、止められますから、火消しの装束をまとった、ということにしたようです。

しかし、実際には、黒い小袖(着物)を着用し、

股引に脚絆(膝下に巻く布)、履物はわらじ、

あとは各自思い思いにせよ、というような指示が、

大石内蔵助から出ていたとか。

 

f0186852_13000292.jpg


実際の定火消しの装束には、「鋸歯文様」はあまりみられないのですが、

芝居のなかで派手で目立つため、用いられたのかもしれません。

しかし討ち入り当夜に、
実際に赤穂浪士の討ち入りを目にした人々の証言には、

「火事装束のようなものを着ていた」ということが残っています。

 

この鋸歯文様は世界中で見られ、空間に魔物が住むと考え、

空間を埋めることによって、魔物を寄せ付けない、

そんな発想から文様が生まれたといわれ、

そんな時代に生まれたひとつががこの「鋸歯文」でもあり、

きわめて原初的な文様といえます。

インドネシアでは「トゥンバル」と呼ばれ、
「更紗」にも多く用いられています。

 

日本には弥生時代から古墳時代に多く見られ、

銅鐸や土器、古墳の壁画また鏡など、

信仰的な用途に使われたことがうかがえます。

後に、幕末の新撰組が忠臣蔵に倣ってか、

浅葱色の鋸歯文様の羽織をまとっていたといわれます。

 






[PR]
by edo-ukiyo-doll | 2013-12-13 13:03 | 都市伝説 | Comments(0)