「梨園」……「りえん」ではなく、「なしぞの」


歌舞伎ではなく、水菓子の話です。

果物が店頭にぎわすシーズンです。
梨もそのひとつ。
洋梨もありますが、幸水や豊水、二十世紀など、和梨と呼ばれる丸い梨。
「和梨」というからには、日本も原産地のひとつで、
弥生時代にはすでにあり、『日本書紀』にも記述があるとか。
自生していた梨を、食用に改良していったようです。
古くには「なし」は「無し」に通じるとして、
「ありのみ(有りの実)」と呼びましたし、
敷地内には植えるべからず、という風習がありました。

f0186852_20581536.jpg

千葉県が梨の全国一の産地だそうで、
そういえば電車からも、一面の梨畑を目にします。
梨ワインというのもちょうだいしたことがあります。


f0186852_20583235.png


津田大浄という人が文化年間に書いた、
紀行文『十方庵遊歴雑記』に、
下総の市川の渡しを越えて
船橋までの3里ほどの間の村々には、
一面の梨畑がある。
甲州以外の江戸近郊では
下総が第一の梨の名産地で、
特に「淡雪」というのがとても上品で水分も多く、
おいしいなどと記したようです。


f0186852_20585792.jpg




この地に梨をもたらしたのは、
江戸時代後期に入ったころ、
川上善六という人物でした。
善六の住む八幡(市川に隣接)は、
砂地だったために稲作には難しく、
地質に適したものを探していた時、
李白の詩の一節、
「梨花白雪香」から啓示を受けたといいます。
なんとしてでも、この地に梨を実らせたい!
その一念で、
地元の人々のにそしられることもがあっても、
前に進み続けました。



そして寛政年間(1789~1801年)、美濃や尾張を視察に回り、
同じ砂地だった尾張から、強い梨の苗木を持ち帰り、
ついにはしっかりとした実を付ける梨の木を、育てることに成功したのだそうです。


善六は梨の栽培方法も惜しみなく人々に広め、
やがて「八幡梨」といういわばブランドで、
江戸の水菓子には欠かせないものとなったのでした。
これは将軍家にも献上されています。

  
f0186852_20592752.png














夜商いの水菓子売り
梨が積まれている

f0186852_20594281.png












                     梨の拡大。八幡の梨だね。
















[PR]
by edo-ukiyo-doll | 2014-09-25 21:10 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「江戸浮世人形」人形師・岩下深雪の江戸はここにあり       ホームページ開設 http://edoukiyoningyo.edo-jidai.com


by edo-ukiyo-doll