以前ブログで「紅葉」と「楓(かえで)」の区別がわからない、
と書きましたが、わかりましたよ~!
区別などない、紅葉も楓も同じもの、二つ呼び名があるってことでした。
すっきり~。
ところで、紅葉狩りにはもうおいでになりました?
江戸の人々にとっては、紅葉狩りもまたイベントの一つ。
春の花見(桜)が大衆受けするイベントなら、
紅葉狩りはちょいと風流人たちの対象というところ。
そして風流の表し方に、こんなのもあります。
これは鈴木晴信の画ですが、
位の高い遊女が客の若者に、
火鉢で燗鍋を温めています。
そして炭のかわりに、
禿に集めさせた紅葉を焚いています。
なるほど風流じゃあ、
とここで終わってはいけません。
背後にある衝立(ついたて)をご覧くださいね。
いろんな文字や絵が貼ってあり、
これを「貼交(はりまぜ)衝立」といいます。
衝立にこんな文字が書かれています。
「林間煖酒焼紅葉」
これは中国・唐の時代の詩人白居易(はくきょい)の詩の一節。
「林間に酒を暖むるに紅葉を焼(た)く」
というものです。
これに倣って遊女は紅葉で酒を温めているわけです。
「林間煖酒焼紅葉. 石上題詩掃緑苔」
と続くのですが、
「林間に酒を暖むるに紅葉を焼き、石上に詩を題するに緑苔を払う」
(りんかんに さけをあたためて こうようをたき、
せきじょうにしをだいしてりょくたい をはらう)
平安時代からあまりにも有名な一句です。
親しい人が山に帰るというので、共によく遊んだ山の寺でのことを詠ったもので、
林間に舞い散る紅葉を焚いて酒を煖め、
石上に緑の苔をはらって詩を作ったよね!
という詩です。
さらにその後には、
「惆悵旧遊復無到 菊花時節羨君廻」
と続き、その意味は、
だけど残念ながら、あの遊んだ地にもう二度とは行けないのだ。
菊の花の咲くこの時節に、帰っていく君を羨ましく思うよ。
幼いころから遊んでいた仲間が山に帰っていく。
その山での楽しかった日々を思い出しているのです。
もちろん、春信の絵の中のお話しですから、
お客も前髪立ちの若者というか、少年? になっていますが、
江戸・吉原の位の高い遊女たちは、漢詩をも身につけ、
お客にこのような風流なもてなしもしていたようです。
当然、客もこの詩は知っていて、
雨の紅葉を、遊女と知的な遊びを楽しんでいるのでしょう。