粗野と言われ続けた江戸の食も、
幕末近くには、ついに「江戸の食い倒れ」とまで言われました。
江戸時代の後期には、江戸の町の各地に料理茶屋が出現します。
幕府の高官や、江戸の留守居役、その取り巻きの豪商や、文人墨客が、
このような店を大いに利用し、
文化文政期(1804~29年)には、凝った料理を出し、
器も吟味され、調度品から店構え、庭と贅を尽くした
超高級料理屋が生まれていきました。
左の英泉の絵の駒絵には、平清の表側の様子が描かれています。
この時代から続く料理屋としては、「八百善」が有名ですけれど、
江戸東京博物館の 上階にあった「八百善」に行けたのは、ラッキーでした。
残念ながら現在はお店はないようです。
この店は、エピソードには事欠きません。
創業は享保2年(1717年)で、浅草山谷にあり、
将軍家のお成りもあり、島根の不昧公もここに遊んだとか。
太田蜀山人、谷文晁、葛飾北斎、酒井抱一なども得意客でした。
あるとき、幕府の賄い方でしたか、
八百善でも茶漬けなら、それほどの値段ではないだろうと、
茶漬けを注文しますと、半日またされ、漬物と茶漬けが出ました。
ところが請求金額を見て驚きました。
なんと、1両2分。1両を10万円としたら、15万円!
上等の茶を入れるため、多摩川の上流まで水を汲みに行った駕籠代だったとか。
ひぇ~~~~!!
こういった高級料理屋は、
広告の浮世絵も多く出しています。
この2枚の浮世絵には、
深川にあった「平清(ひらせい)」が描かれています。
柴田連三郎の『眠狂四郎』シリーズには、ちょくちょく登場する店です。
文化文政期の創業でしたが、残念なことに、明治32年(1899年)に廃業しています。
右の絵は、平清盛で、「平清」に掛けているんですね。
コマ絵の風景画を広重が、清盛を豊国が描いている
超豪華版です!
この店は鯛の潮汁(澄まし汁)が名物でしたので、こんな川柳があります。
「平清のおごりの末もうしほなり」
[おごる平家]といわれた平清盛に掛けた、おもしろさ。
この駒絵は「平清」の裏手で、水路に囲まれた深川ですから、
屋根舟なんかで行く客が多かったことがわかります。
さすが「食い倒れの江戸」と言われただけあって、
料理茶屋の番付まであります。
番付の中央に、「八百善」「平清」の名があります。
いわばこれはグルメ・ガイドブックでもあったわけで、
かのミシュランの赤いグルメ・ガイドブックが出る
100年以上も前にすでに出版されていました。
おそるべし、江戸食文化。