カテゴリ:都市伝説( 4 )

飛びます、飛びます、飛梅です。

3月半ばというのに、何という寒さでしょう。
我が家の遅咲きの梅もやっと、咲きそろいました。

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奈良時代に、中国から日本に薬として入ってきた梅ですが、
平安時代には貴族を中心に、たいそう愛でられたものでした。
平安期と梅といえば、連想するのは「飛梅(とびうめ)」のことです。
「菅公の飛梅」の話の背景には、当時の政治の場、朝廷の騒動があります。


ご存知、菅原道真は宇多天皇の御世から、若くして才気煥発なことからも、
たいそう重用され、右大臣にまでなりました。
しかし、当時朝廷を牛耳っていた藤原氏の左大臣・時平らのねたみも買い、
諫言によって、九州の大宰府へと左遷の憂き目に遭います。


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右は広重の描いた「鞠子」の宿の
とろろ飯の茶店。
梅が盛りと咲いています。




当時17歳だった醍醐天皇の妃が時平の妹であることも加勢して、
時平は道真失脚を画策します。
道真が娘の婿である斎世(いえよ)親王(醍醐天皇の弟)を、
帝にしようと謀反をたくらんでいるということになってしまいました。
昌泰4年(901年)1月25日、道真は都を追われてしまうのです。


道真は紅梅殿の梅をこよなく愛でておりましたので、別れの際に

        「東風吹かば思い起こせよ梅の花
                  主なしとて春な忘れそ」

と残しました。
そしてこの梅が主を慕って、はるか太宰府まで、飛んでいったというのです。
これが「飛梅」伝説ですが、ほんとうは道真の友人が、
藤原氏に知られないように、ひそかに梅の苗木を運んでいったらしいです。

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道真はその2年後、59歳でこの世を去りました。
でも、それから京の都では、次々と怪奇なことが起こります。
藤原氏の官職の人々が不審死を遂げたり、大怪我をしたり、
また当の時平は早死にし、東宮である保明親王も他界してしまいます。
これは道真のたたりかも知れないと、醍醐天皇は道真を右大臣になおらせ、
さらに上位を授けたのでした。



その後道真は学問の神様とあがめられ、「天満大自在天神」、
すなわち「天神さま」として、いまも多くの受験生、
またはおばちゃん(私)に、大いに頼られ、愛され続けているわけです。
そのエピソードは江戸時代に、人形浄瑠璃に歌舞伎に脚色され、
「菅原伝授手習鑑」として今も人気の演目となっています。

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「菅原伝授手習鑑」のシーン。
梅王丸、松王丸、桜丸の三つ子の兄弟に、
藤原時平が凄まじい形相で・・・。









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by edo-ukiyo-doll | 2014-03-15 09:12 | 都市伝説 | Comments(0)

『忠臣蔵』討ち入りの装束

12月14日が「赤穂浪士の討ち入りの日」ということを知っている人も、

ずいぶん少なくなったかもしれません。

この逸話は英語に翻訳され、“47ronin”という映画が、

アメリカで作られ、現在本邦でも公開中なのだそうで。

ネットで見たら、『忠臣蔵』というよりも、雰囲気は『指輪物語』。

でも赤西クン出てる・・・・・・・グフフフ。

 

それはさておき、今年の『忠臣蔵』のお話は、

討ち入りのときの衣装について。

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このギザギザの文様は、『忠臣蔵』の討ち入りのときの装束として、

もはや、芝居の世界ではなく、史実とさえ思われがちです。

この文様は「鋸歯文(きょしもん)」といいます。

これはもちろん歌舞伎の舞台から始まったことで、

これは当時の「定火消し」の装束だったとよくいわれます。

 

深夜に徒党を組み、まして武器など持っていることがわかれば、

当然、止められますから、火消しの装束をまとった、ということにしたようです。

しかし、実際には、黒い小袖(着物)を着用し、

股引に脚絆(膝下に巻く布)、履物はわらじ、

あとは各自思い思いにせよ、というような指示が、

大石内蔵助から出ていたとか。

 

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実際の定火消しの装束には、「鋸歯文様」はあまりみられないのですが、

芝居のなかで派手で目立つため、用いられたのかもしれません。

しかし討ち入り当夜に、
実際に赤穂浪士の討ち入りを目にした人々の証言には、

「火事装束のようなものを着ていた」ということが残っています。

 

この鋸歯文様は世界中で見られ、空間に魔物が住むと考え、

空間を埋めることによって、魔物を寄せ付けない、

そんな発想から文様が生まれたといわれ、

そんな時代に生まれたひとつががこの「鋸歯文」でもあり、

きわめて原初的な文様といえます。

インドネシアでは「トゥンバル」と呼ばれ、
「更紗」にも多く用いられています。

 

日本には弥生時代から古墳時代に多く見られ、

銅鐸や土器、古墳の壁画また鏡など、

信仰的な用途に使われたことがうかがえます。

後に、幕末の新撰組が忠臣蔵に倣ってか、

浅葱色の鋸歯文様の羽織をまとっていたといわれます。

 






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by edo-ukiyo-doll | 2013-12-13 13:03 | 都市伝説 | Comments(0)

『仮名手本忠臣蔵』の世界

この時期になりますと、デジタル社会の今でさえ、
「赤穂浪士の討入り」の話を必ずどこかで目に耳にします。
私たちがその顛末を知っているのは、
真山青果が書いた『元禄忠臣蔵』が基盤となっているのでしょう。
これは史実に近いもので、2世市川左團次のために書かれ、
昭和9年に歌舞伎座で初上演されました。

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一方、ご存知歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は、
史実からフィクションの世界へと、大きく跳んでいます。
江戸時代は「歌舞伎」とは言わず、一般的には「芝居」と呼んでいましたが、
常に新しいもの、人々の興味を引くものを上演しようという姿勢でしたので、
元禄15年師走の14日に起きた赤穂の浪士たちの吉良邸への討ち入りは、
当然のごとく芝居のモデルになりました。
しかしこの事件は反体制的とされ、
これももちろん幕府から禁止されてしまいます。


実際の事件から46年たって、
『仮名手本忠臣蔵』が大坂の竹本座、
これは人形浄瑠璃の小屋(劇場)ですが、
ここで初めて人形で上演され、
3ヵ月後には歌舞伎として公演されたのでした。
やっと浅野家の再興が認められてから、
堂々と舞台にも乗せられたというわけです。

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さてこの『仮名手本忠臣蔵』は、全部で11段からなりますが、
解禁されたとはいえまだ、
史実を描ける世の中ではありませんから、
『太平記』の世界を借りてきました。
『太平記』とは南北朝の混乱期を描いた、
長いなが~~~~い軍記物ですが、
江戸時代にはとってもポピュラーなお話なので、
すかさずその世界を借りて、わかりやすくエキサイティングにして、
これでもか~~~~! 
みたいに、見どころてんこもりにしたのです。


その内容とは・・・・・・・
独立を目指す足利尊氏を討つ新田義貞軍ですが、
足利軍の勝利で室町幕府が作られましたね?
元禄のお話が、室町時代までスリップします。
足利幕府のお話なのに、
なにもかもが、上演されている当時(寛延元年・1748年)の文化であり服装であり、
現代の私たちの観点からしたら、
「いくらなんでもヘンでしょ、それ!」と思いますが、
いいんです。
江戸の芝居、時代物はたんにお話や人物を「借りてきた」だけなのです。



話はこうです。
室町幕府の将軍・足利尊氏の弟君のまえで、
この兜が、新田義貞の兜か否かを確認するところから始まります。
その場に現れた顔世御前は、
塩治判官(赤穂は塩、それを統治する「判官」という役職らしい)の妻ですが、
彼女に横恋慕したのが高ノ師直。
史実で言えば、吉良上野介です。
当然、師直の恋は受け容れられず、
その腹いせに、饗応役の桃井若狭守と塩治判官をいびり出し、
桃井さんも判官さんも師直を斬ってやる! と激怒しますが、
実際に斬ってしまったのは、塩治判官でした。

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                                   高ノ師直⇒ 


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桃井若狭守







「仮名手本」で有名な「おかると勘平」は、
塩治家に使える身ですが、家中の恋はご法度ですから駆け落ちし、
やがて勘平は狩人になります(あずさ2号は忘れてね)。

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ある夜、勘平がイノシシと間違えて撃ってしまったのは一人の男。
そして、男の懐には50両。
勘平はこれをちょうだいして、
これで自分もあだ討ちに参加できると
家へ帰りますが・・・・。




勘平に撃たれてしまった男。
実はさっきおかるの父を殺して、
盗んだ50両を持っていた。
斧定九郎、実は塩治家の重臣・斧九太夫の息子



主君のために50両を調達したつもりが、
おかるの父を殺してしまったと思い込み、
勘平は切腹してしまいます。


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おかるは夫のために祇園に身売りし、これはその別れのシーン。


一方、塩治家では城も明け渡し、他の家臣たちからは、
あだ討ちを迫られる家老の大星由良之助。
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  これは有名な7段目、祇園一力の茶屋。
  由良之助は、敵討ちの心を隠し、
  祇園で放蕩三昧を続けます。
  妻からの密書を読む由良之助ですが、
  床下には敵方に寝返った九太夫、
  上の間にはおかる。
  ふたりに密書を読まれてしまいます。

  ここも話は複雑なので、えへへ・・・割愛。




f0186852_6511556.jpgまあ、話はこうして進んでいき、
10段目はこれも男の中の男、
討ち入りのための武器調達をした「天川屋義平」が、
捕り手に向かって「天川屋義平は男でござる」と名言を朗じます。


                            天川屋義平


そうやってラストの11段目はいよいよ討ち入りから、
引き上げの花水橋(両国橋のつもり)のシーンへとかわります。


『仮名手本忠臣蔵』は、「芝居の独参湯(どくじんとう)」ともいわれます。
独参湯とは、朝鮮人参を使った万病に効能ある特効薬のことで、
上演すれば必ず大当たりをとるので、こう言われています。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-12-14 15:35 | 都市伝説 | Comments(0)

四谷怪談。「かいだん」の町 


以前、四谷に住んでおりましてなぁ、
四谷といえば、文化放送・・・、
じゃなくて『四谷怪談』。

歌舞伎『東海道(あずまかいどう)四谷怪談』が、
『仮名手本忠臣蔵』の一環だってご存知の方が
案外多くはなくて、私も初めて知ったときには、
「どこがァ?」
と思いましたもの。
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国貞画
「田宮伊右衛門 片岡仁左衛門」
「滝山長兵衛 市川雷蔵」


お岩さんの父四谷左門(完璧、左門町のパクリです)は、
実は塩治藩士。つまり赤穂藩士ですね。
で、一方、岩殿の夫伊右衛門は、
実家から戻ってきた妻がいとわしくなっていました。
そんな時、梅という娘が伊右衛門と結婚したいと、
言い出します。
実は梅の祖父は、高師直(吉良上野介のこと)の家臣である伊藤喜兵衛。
ここで『四谷怪談』もまた、
赤穂VS吉良の図式になるというわけです。


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         国貞画                                                                                                  「お岩の亡霊 坂東彦三郎」


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 国貞画
「仏小兵二役 尾上菊五郎」


それはそうと、
私が住んでいたのは今はなき
文化放送のすぐそばで、驚いたことにこの一帯、
江戸時代とほとんど通りが変わってないんです。
ですから古地図、そうですね、
嘉永の尾張屋版が一番出てますでしょうか、
これなんかと現在の地図を比べてみると、
よくわかります。
みごとにそのまま。
それに気づいたときには、うれしかったですよ。
ちょうど、時代小説にのめりこんでいた頃でしたし、
古地図を持って近所をくまなく歩きました。



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現在の四ッ谷駅の脇を通って、
麹町から新宿までまっすぐ伸びる大通りは、
新宿通りと言いますが、
ここは江戸時代には雁木形だったのを、
直線に直しています。
それくらいなもので、新宿通りの南側は、
古地図で歩けるほどです。
          
文化放送があった場所は、江戸時代には武家地。
その前の通りを「天王横丁」といいましたが、
現在も「天王坂」という名前が残っています。
東福院、愛染院があって、天王坂をおりていくと、
江戸時代には「鮫ヶ橋」と呼ばれていた低地です。

『四谷怪談』で有名なお岩稲荷は、
田宮神社とはす向かいにあります。
天王坂を下って、今度は須賀神社への階段を上り、
グルリ右に大きく旋回すると、
ふたつのお岩さん関係の稲荷&神社に到着します。
けっこう四谷は上ったり下りたり。
たしかに、「かいだん」の町です。

そしてこの二つの稲荷&神社には、
深い因縁がありますが、そのお話はまたいつか。
それにしても、調べるほどにオモシロいのが
『四谷怪談』です。
お岩さんという人物は、実在の人でしたから。





*註 「東海道四谷怪談」は「とうかいどうよつやかいだん」と読むこともあります。







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by edo-ukiyo-doll | 2009-06-24 14:58 | 都市伝説 | Comments(0)


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