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天候不順な今年ですが、それでもあちこちのお庭で、
牡丹が満開です。
いかにも初夏という感じがします。
牡丹といえば、即、花札を思い浮かべますが(私だけ?)、
花札のこうした図柄も江戸時代にできました。
そして牡丹は6月の花として描かれていますね。
旧暦6月ですからちょうど今頃です。


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    牡丹は中国の西北部が原産とかで、
    玄宗皇帝(唐の9代皇帝/685~762年)
    の時代あたりに、
    王侯貴族に愛でられるようになりました。
    玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを、
    象徴する花といわれていますね。
    富貴草、百花王、花王、花神
    などとも表記されるほどなので、
    まさに花の中の「王」。



唐の首都・長安では、庶民も牡丹の花の開花期間20日間は、
気がおかしくなるほど牡丹に熱狂し、
中国史上唯一の女帝・則天武后(623~705年)が
宮中の庭に植えさせたことで、この花の地位は確固たる物になったのだとか。


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日本に入ってきたのは、
第18回遣唐使(804~806年)のときに、
空海が唐から持ってきたともいわれます。
根の皮は「牡丹皮(ぼたんひ)」といって、
消炎や止血、鎮痛の効果があるので、
薬用として持ち込まれたのでしょう。
枕草子には
「台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと」とあり、
平安時代には、
貴族などの鑑賞用とされていたことがわかります。





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  上の源氏絵には、大輪の牡丹がさらに大きく、デフォルメされて描かれています。

鎌倉・室町時代になって、武家の間でも人気が高まり、
江戸時代には、園芸技術がグンと進んだ元禄期に、
牡丹の専門書がいくつも発行されました。
400種を超える牡丹の品種があったそうですよ。


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江戸で牡丹の名所といえば、
広重の画にもある富岡八幡宮の牡丹園。
ここは花のシーズンには日覆や障子を掛けまわして、
たいそうきれいだったとか。
現代では牡丹園も少なくなりましたが、今でいうなら、
バラ園のような人気だったのでしょうか。









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by edo-ukiyo-doll | 2014-05-16 10:38 | 江戸の園芸 | Comments(0)

萩揺れて。

10月なのにまだ暑い今年は、まだ萩が咲いているのを多く見かけます。
どうやら花のつくのが遅かったようです。

秋の七草の萩ですが、ずいぶん古くから日本にあったらしく、
草冠に秋・・・・・・「萩」という文字も日本で作られたようです。
万葉集に登場する植物では、「萩」が第1位だってご存知でした?
それほどに、暮らしに身近な植物だったということなのでしょう。

生薬として使われたり(根はめまいやのぼせ、またイボの薬としても使われた)、お茶にもなるし、種は粉にして飯に混ぜたり。
家畜のエサにもなれば、はいだ皮で縄もなえ、屋根を葺いたり垣根にしたり、染料にもなりました。


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西行に
「乱れ咲く野辺の萩原分け暮れて
       露にも袖を染めてけるかな」
という歌があって、萩原というほど、
そこらへんに群生していたのだなあと、思わせます。




萩はまた、秋の七草として江戸期にも人気があり、
寺島村百花園(現在の向島百花園)では、秋の七草を愛でる遊人が訪れます。

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  寺島村百花園の萩


さらに萩だけを楽しむなら、亀戸の「慈雲山竜眼寺(龍眼寺)」が随一。
推古天皇が殖髪(うえかみ)聖徳太子像をこの寺に収めたといわれています。
それから時がたち、明和3年(1766年)には、
太子堂を建立するために境内に萩を植え始め、
それが次第に増え、文政ころには「数千叢(すせんそう)」にもなったとありますから、
まさに「萩寺」と呼ばれる風格となったようです。
今は境内からスカイツリーも見え、規模は縮小されましたが、
江戸を偲ぶにはよいかもしれません。

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亀戸の龍眼寺の萩の庭


萩を用いた工芸品も多く残っていますが、
浮世絵などにもよく萩が見られ、江戸時代の古典への懐古をうかがわせます。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-10-06 15:53 | 江戸の園芸 | Comments(0)