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カテゴリ:江戸の園芸( 10 )

♪牡丹の花~咲く~ころ~♪(タカラヅカ風に!)

天候不順な今年ですが、それでもあちこちのお庭で、
牡丹が満開です。
いかにも初夏という感じがします。
牡丹といえば、即、花札を思い浮かべますが(私だけ?)、
花札のこうした図柄も江戸時代にできました。
そして牡丹は6月の花として描かれていますね。
旧暦6月ですからちょうど今頃です。


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    牡丹は中国の西北部が原産とかで、
    玄宗皇帝(唐の9代皇帝/685~762年)
    の時代あたりに、
    王侯貴族に愛でられるようになりました。
    玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを、
    象徴する花といわれていますね。
    富貴草、百花王、花王、花神
    などとも表記されるほどなので、
    まさに花の中の「王」。



唐の首都・長安では、庶民も牡丹の花の開花期間20日間は、
気がおかしくなるほど牡丹に熱狂し、
中国史上唯一の女帝・則天武后(623~705年)が
宮中の庭に植えさせたことで、この花の地位は確固たる物になったのだとか。


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日本に入ってきたのは、
第18回遣唐使(804~806年)のときに、
空海が唐から持ってきたともいわれます。
根の皮は「牡丹皮(ぼたんひ)」といって、
消炎や止血、鎮痛の効果があるので、
薬用として持ち込まれたのでしょう。
枕草子には
「台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと」とあり、
平安時代には、
貴族などの鑑賞用とされていたことがわかります。





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  上の源氏絵には、大輪の牡丹がさらに大きく、デフォルメされて描かれています。

鎌倉・室町時代になって、武家の間でも人気が高まり、
江戸時代には、園芸技術がグンと進んだ元禄期に、
牡丹の専門書がいくつも発行されました。
400種を超える牡丹の品種があったそうですよ。


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江戸で牡丹の名所といえば、
広重の画にもある富岡八幡宮の牡丹園。
ここは花のシーズンには日覆や障子を掛けまわして、
たいそうきれいだったとか。
現代では牡丹園も少なくなりましたが、今でいうなら、
バラ園のような人気だったのでしょうか。









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by edo-ukiyo-doll | 2014-05-16 10:38 | 江戸の園芸 | Comments(0)

萩揺れて。

10月なのにまだ暑い今年は、まだ萩が咲いているのを多く見かけます。
どうやら花のつくのが遅かったようです。

秋の七草の萩ですが、ずいぶん古くから日本にあったらしく、
草冠に秋・・・・・・「萩」という文字も日本で作られたようです。
万葉集に登場する植物では、「萩」が第1位だってご存知でした?
それほどに、暮らしに身近な植物だったということなのでしょう。

生薬として使われたり(根はめまいやのぼせ、またイボの薬としても使われた)、お茶にもなるし、種は粉にして飯に混ぜたり。
家畜のエサにもなれば、はいだ皮で縄もなえ、屋根を葺いたり垣根にしたり、染料にもなりました。


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西行に
「乱れ咲く野辺の萩原分け暮れて
       露にも袖を染めてけるかな」
という歌があって、萩原というほど、
そこらへんに群生していたのだなあと、思わせます。




萩はまた、秋の七草として江戸期にも人気があり、
寺島村百花園(現在の向島百花園)では、秋の七草を愛でる遊人が訪れます。

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  寺島村百花園の萩


さらに萩だけを楽しむなら、亀戸の「慈雲山竜眼寺(龍眼寺)」が随一。
推古天皇が殖髪(うえかみ)聖徳太子像をこの寺に収めたといわれています。
それから時がたち、明和3年(1766年)には、
太子堂を建立するために境内に萩を植え始め、
それが次第に増え、文政ころには「数千叢(すせんそう)」にもなったとありますから、
まさに「萩寺」と呼ばれる風格となったようです。
今は境内からスカイツリーも見え、規模は縮小されましたが、
江戸を偲ぶにはよいかもしれません。

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亀戸の龍眼寺の萩の庭


萩を用いた工芸品も多く残っていますが、
浮世絵などにもよく萩が見られ、江戸時代の古典への懐古をうかがわせます。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-10-06 15:53 | 江戸の園芸 | Comments(0)

サザンじゃないのよ、サザンカ。

もう、そろそろ終わりかけ・・・、
きょう、あらためて目にとまったのがサザンカ。
山茶花と書きます。


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椿の親戚、いえ、兄弟。
原産国は日本、九州や四国のものが原種とか。
英語の名前もSasannque camellia。
椿と見分けが付きにくいのですが、
花びらがハラハラと一枚ずつ散るのが山茶花。




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街路樹として、あるいは生垣に山茶花は多く用いられているようです。
ここ数年来、なぜか椿が好きになり、
椿かと思いきや近所にたくさん咲いているのは山茶花と知り、
冬も半ばを過ぎますと、木の下にまあるく、
敷き詰めたように散った花びらの、
ビックリするほどのあざやかさ。
色彩に乏しい冬の、目を引かれるいろどりです。


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 江戸時代に、
 長崎出島のオランダ商館の医師をしていた
 ツンベルクによって、
 西欧にもたらされたといいます。
 江戸時代初期には
 すでに50種類あった山茶花は、
 この時代に改良され、
 現在では90種類に及ぶのだとか。




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これはもしかしたら
椿かもしれません。
間違えてたらごめんなチャイナ!



しろ、ピンク、まだら(?)
一重に八重に、八重なんかはほわぁっとしていて、とってもきれい。


♪さざんか さざんか 咲いた道 たき火だ たき火だ 落ち葉たき♪
の光景は、今は都心では規制がありますのでみられませんけれど、
ちょっと郊外では、所々に煙が上がり、
でもあれは虫を駆除するために焼いているのでしょうね。
でも、田舎育ちの私には、と~っても懐かしい匂いです。





*さざんかの浮世絵をみつけられず、へたっぴぃ写真でごまかしました。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-01-24 11:37 | 江戸の園芸 | Comments(0)

江戸の菊

あちらこちらで菊がもう終盤・・・でしょうか。
「晩菊」といううつくしい呼び方もありますね。
東京の湯島天神や上野の池之端でも菊祭りが行われ、
そばを通るとすがすがしい香りとともに、
秋の華やかさがそこに集約されてるような美しさがあります。
近隣の小学生たちも丹精こめて菊作りをしているとかで、
そういうことを教える先生もまたステキ!
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菊は古くからある植物ですが、
江戸時代の初期の終わり頃には80種ほどが書籍に取り上げられ、
中期になりますと一挙に300種以上が掲載され、
中期頃から菊作りに拍車がかかったことがうかがわれます。

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正徳年間(1711~16年)に京で「菊合わせ」という催し物が始まりました。
これは大型の菊の新種を競うもので、
優勝すれば「勝ち菊」ともてはやされ、
1芽がなんと1両~3両3分(1両は5~10万円ほど)で取引されもしたそうで、
いかにも江戸時代の園芸ブームのすさまじさを思わせますね。
その「菊合わせ」は享保(1716~35年、8代暴れん坊将軍吉宗の頃)の頃に
江戸にも広まり、京と同じように
菊で一儲けを夢見る人々を生み出します。

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おかげで菊の栽培技術や看菊の人気が高まり、
巣鴨や染井をはじめ、寺島(現向島)の百花園や本所、四谷、市谷、青山などの植木屋などが
菊園を公開したので、大勢の人が押し寄せます。

文化年間(1804~18年)に巣鴨で、
人物や鳥獣などの形に菊を作るのがブームとなり
(作り方は聞かないでね。知らんのヨ!)、
これが現代の菊人形へと受け継がれています。

そうなるとますます看菊はブームとなり、
染井などでは50軒もの菊園ができて、園道筋には茶店や料亭が立ち並び、
ずいぶん賑わったものです(と、見てきたように言うのは得意です!)

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帆掛け舟の形に作った菊の前で一献。これがほんとの「菊見で一杯」。




ところがこのあたりの形モノの菊作りはやがて廃れてしまいます。
見物料をとらなかったからだとか・・・・。
それが明治になって団子坂(現文京区)の植木屋が復興させ、
以降、昭和もかなりまで菊人形は人気でした(これは知ってますヨ)

菊人形・・・最近見たのは池之端・・・・だったでしょうか(アイマイ!)。








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by edo-ukiyo-doll | 2010-11-27 22:03 | 江戸の園芸 | Comments(1)

藤の花


今年は天候が不順で、寒い春・・・と思っていたら、
もしかして藤? と、見えづらくなった目にも、
淡い紫の房が見えた。
ここ何日かの暖かさで、一気に花の色も濃くなったようだ。
ちょっと郊外で、すばらしい山藤も見た。


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今年新たに発見した藤棚。
駐車場の横で、誰も鑑賞しないらしいが、みごとに咲いている。



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恋しければ形見にせむとわが屋戸に
植えし藤波いま咲きにけり

とは山部赤人の歌。
風に揺れる長い花房を
「藤波」とよんだという。
平安時代には、
貴族の愛でる花のひとつで、
「藤見の宴」が
盛んに行われていたらしい。
『枕草子』では
「松にかかる藤の花」を、
めでたきものとしている。






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江戸の藤といえば、亀戸天神だ。
ただし、今の藤は昭和30年頃から植え始めたものだとか。
ここも東京の下町。
東京大空襲で、社殿も藤棚も、ことごとく焼失した。
今私たちが見ているのは、地元の人々が元通りに復興したものだ。
花房はもとは3尺くらいの長さがあったが、
もとの長さの半分くらいで、そこまでになるにはあと10年ほどかかるらしい。


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上は3枚つづりの浮世絵。
幕末頃の亀戸天神の藤見の様子。





歌舞伎の中で踊られる「藤娘」に使う大道具の藤は、
ビックリするくらい大きいが、
これは踊り手が小さく、華奢に見えるようにとの工夫。






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清長の描く亀戸天神の太鼓橋。
右手後ろに小僧さんが、こぼした蜆を拾っているが、
「業平蜆」は江戸名物の一で、亀戸天神内で売られているもの。





藤は日本各地に野生として生育する。
花はきれいだが、蔓は夏山に入ると実に厄介で、
それこそ鉈で断ち切りながら、進まなければならなくなる。

     よそに見て帰らむ人に藤の花
            這ひまつはれよ枝は折るとも

これは『古今和歌集』の僧正遍照の歌だが、
遠くから見るだけで私のとこによってかないって言うんなら、
藤の花の蔓よ、這いまつわってからめとっておくれ、
ポキンと折れちまったって、かまやしないわ。
かくのごとく藤の蔓は強く、女もまた強し。


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芭蕉ならこうひねる。

      草臥(くたぶ)れて 宿かる頃や 藤の花

なんと優雅な宿だろう、藤の花やどとは。

















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by edo-ukiyo-doll | 2010-05-09 10:45 | 江戸の園芸 | Comments(0)

椿に思いをよせて



ちかごろ、とみに椿を好もしく思うようになった。
いつもなら通り過ぎてしまう街路樹としての椿が、
突然目に入ってきたのだ。


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淡いピンクの柔らかな曲線、ほんのわずかな刺激でも
あとがついてしまいそうな繊細な花びら。
濃い緑の葉の群生の中に、はかない光のように
そっと咲いている。
何よりもあの柔肌のような花の肌感がたまらない。

山茶花のあとに、椿が今を盛りと次々と花開く。
山茶花と椿・・・・
区別がつけがたいが、
花びらがはらはらと落ちるのは山茶花、
花ごとぽたりと落ちるのが椿・・・
そんな風に教わったが、そうのようだ。




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椿は中国や日本が原産とか。
学名はカメリア・ジャポニカ・リンネ。
椿が登場する初めての書物は『日本書紀』。
万葉の頃には、
紫染の際に椿の灰が使われた。



安土桃山時代には茶の湯ブームに伴って、
「侘」「寂」の世界にイメージが適合したため、
茶花として好まれるようになった。
又長寿や吉祥を祈願して、寺社への寄進が多くなり、
今も寺社の周囲には椿が多いのだとか。
椿には霊力があると信じられていたらしい。


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          上は幕末に描かれた椿



江戸時代になると、2代将軍秀忠が、こよなく花を愛でた人で、
とりわけ椿を好み各地から取り寄せて、
吹き上げ花壇に植えさせて愛でたそうだ。
江戸時代にに描かれた絵巻『百椿図(ひゃくちんず)』は、
狩野山楽によるものとされるが、まあ、その美しいこと!




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          江戸の椿山は、多くの椿の花見客を呼んだ。



「椿は首が落ちるから武士は忌み嫌らう」
といわれるようになったのは、1789年の寛政の改革以降だ。
17~18世紀、江戸は椿の全盛で、
珍種の売買、投機が行われたが、
改革ではそれも弾圧を受け、幕府の尻馬に乗って、
流言飛語した輩が後を絶たなかったためと、物の本にある。



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広重描くところのぼらと椿。
どちらもこの季節のもの。




シーボルトはじめ、多くの外国人が、海外へ椿を持ち出した。
おかげで19世紀、ヨーロッパは椿の大ブレークとなる。
1848年、アレクサンドル・デュマは小説『椿姫』を書き、
その5年後にベルディーが歌劇につくり、
今も世界中で公演されることとなった。

冷たい雨が続いていた。
雨にぬれてそこだけが、やわらかな光を放つように、
淡いピンクの椿が、いとおしい。







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by edo-ukiyo-doll | 2010-04-19 10:10 | 江戸の園芸 | Comments(4)

ひっそりと梅が・・・・・。


まだ春一番には間がありますけれど、
この2,3日はすさまじいほどの風で、
空を飛ばされている人を見ました(ウソです)。
春一番は、立春から春分までのあいだに吹く、
南よりのその年最初の強風を言うのだそうです。
翌日は西高東低の冬型となり、寒さが戻るのが常。
お風邪召しませんように。


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この強風の中、お散歩に行きましたら、
白梅がそっと開いているお宅がありました。
  
   何となく軒なつかしき梅ゆゑに
          住みけむ人の心をぞ知る

                       西行法師




梅は、奈良時代に中国から、遣唐使によって運ばれてきました。
しかも、薬としてです。
「烏梅(うばい)」といって、燻した梅の実は、
解熱や咳止めなどに使ったようです。
それが大宰府から、東へともたらされ、
平安時代には、中国文学と深いかかわりを持つ梅が、
花を愛でるという文化も一緒にもたらされたのです。
「花見」のはじまりですね。


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上は春信の描く「臥龍梅」
「「臥龍梅」は梅の枝を地を這うように作って、
その形が横たわる龍に似たところから、そう呼ばれています。



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こちらは北斎の初午の絵です。
初午の頃には梅が咲く・・・・・
本来は旧暦の2月の最初の午の日ですから、3月ごろにあたるわけですけれど、
現代では新暦の2月・・・・一番寒い頃になっています。
でも年々梅も早く咲き、季節がわからなくなってきましたね。



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菅原道真が讒言(ざんげん=事実を曲げた悪口)によって、
大宰府に左遷されたとき、愛した梅の木に名残りを惜しみ、
「東風吹かばおもいおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
と詠んだら、梅の一枝が彼のもとに飛んでいったという「飛び梅」のお話がありますが、
どうやら、ひそかに梅の苗を持って行ったらしいです。

ひっそりと咲く梅も、いとおしく思います。








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by edo-ukiyo-doll | 2010-01-28 16:47 | 江戸の園芸 | Comments(0)

雨の紫陽花



紫陽花の 珠となりたし きみが胸の・・・

そのあとがどうしても思い出せない。
高校生のころに読んでいた文芸雑誌に載っていた一首。


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いまは一体どれくらいの種類があるのだろう?
英名ハイドランジア。「紫陽花」とあてるが、
もとは大和言葉で、「集真藍」、
青い花が集まって咲くという意味だったとか。





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   きれいなブルーもあれば、
   やさしげなピンクもある。
   最近では西洋種の
   白く縦に長いものもよく見かける。
   土の酸性度が高いと青くなり、
   低いほどにピンクになるのだそう。




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もとは太平洋沿岸に自生するガクアジサイが原種で、
江戸時代に一気に改良が進み、一般にも広まっていったのだとか。
ということは、日本が原産国なのだろう。



これがヨーロッパに紹介されたのは、
1823年にシーボルトが著した『日本植物誌』のによる とされてきたが、
それよりも早く、1789年にイギリス人のバンクスが、
日本から中国にわたっていたアジサイを紹介したと 物の本にある。



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シーボルトがアジサイに名づけたのが「オタクサ」。
愛人・楠本滝の名を取ったのだとか。
今その名は学名としては使われていないが、
以来ヨーロッパではアジサイの大ブレークを迎え、
「東洋の薔薇」と呼ばれるようになった。


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上の浮世絵は、文化文政期に活躍した
三代目坂東三津五郎。
深川の自宅の庭で紫陽花を切ったところを描いたもの。
三津五郎の替紋である熨斗菱の浴衣を着て
いかにもくつろいだ感じ。



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もう梅雨も明けるにも間近なのだろう。
いま少し、しとしと雨が続くが、
紫陽花もそろそろ終盤といった観。
それでもまだ咲き誇るものあり。
ときにハッと胸をつかれるほどに鮮やかだったりする。

雨と紫陽花。
梅雨もまた愉し。






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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-08 11:20 | 江戸の園芸 | Comments(0)

江戸に開いた花菖蒲



人形制作の片手間に、花菖蒲も作っています。
個展においでくださったお客様の間から、
何か記念に変えるものが欲しい・・・
というご要望にお答えすべく、
小さな鉢植えも作っています。
明治期のものと思われる資料を、
江戸時代に作られ今も残っている「堀切菖蒲園」にお住まいの方からちょうだいし、
それをもとに作っているものです。


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   いずれもサイズは、
   花菖蒲の部分が30ミリほどです。→
   これは「古花・仙川(こか・せんかわ)」


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←「古花・竜田川」
花器もすべて、浮世絵に実際に描かれているものを、
立体に再現しています。

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         「これは「かきつばた」
         花菖蒲とは異なります。




花菖蒲は自生するノハナショウブをもとに、
江戸時代の前期からすでに改良が始められていました。
時代が移ろい、幕末近く天保から弘化年間(1830~47年)ころには、
盛んに改良されるようになりました。


その改良に大きな貢献を果たしたのが、
旗本の松平定朝左金吾、のちに自らを松平菖翁と名乗った人物です。
菖翁は父の意志をついで、その生涯を花菖蒲の改良にかけました。
京都町奉行にまでなった人物ですから、けっこうなオエライさんだったわけです。
なんと84歳までご長命でいらしたようです。
その改良の状況記録が10冊ほど残されています。



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            「堀きり花菖蒲」 三代豊国・二代広重画
            当時、堀切菖蒲園は、こんなに広かったのですね!!






さて、花菖蒲は園芸上、
「江戸系」「伊勢系」「肥後系」と、大きく3つに分けられていますが、
これは江戸時代後期、改良が盛んに行われていたころに、
各地で改良が行われたものが、現代に引き継がれているものです。



「江戸系」は尾張藩主、徳川光友が江戸屋敷に各地の花菖蒲を栽培させたのが始まり。
庭や水田などに群植されるもので、
地植えで鑑賞しやすいように丈は高く、
群生して美しく見えるように花は中輪が多い。
また日興や風雨に強く、
花は色が鮮やかなものが多いというものです。



「伊勢系」は紀州藩主吉井定五郎が、
江戸花菖蒲を伊勢松坂に持ち込んだところから始まったとか。
鉢植えとして改良され、繊細で花振りは小さく、
色は淡く花弁はおおらかに垂れて女性的なのが特徴。
「肥後系」も鉢植えにして、室内で鑑賞するものとして改良されています。
こちらは男性的なのだとか。
というのも花容は雄大で花色は鮮やかで、丈が低く、
観賞用として競い合ったといわれます。


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まさに江戸時代、特に後期は園芸ブームに沸き、
投機的にも使われた植物は、
やがてバブル経済をもたらすことにもなりますが、
この話はまたの機会にお話いたしましょう。










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by edo-ukiyo-doll | 2009-05-02 18:26 | 江戸の園芸 | Comments(0)

秋の七草



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「秋の七草」

上の画は歌川広重作『冨士三十六景』中「甲斐 大月の原」。すすき、桔梗に小菊、おみなえしなど秋の花の中に、すっくりと立つ冨士は、もう雪を抱いているのだろうか・・・。


「萩が花尾花葛花撫子の花
         女郎花また藤袴朝顔の花」
と詠んだのは、山上憶良です。
そしてここには「秋の七草」が読み込まれていて、
この歌さえ覚えれば、ちょっとした物知りに!(かな?)
萩は長い枝に小さな薄紫の花をつけて、風に揺れる風情がいかにも秋。
尾花とはススキのこと。あのふさふさした狐の尾っぽのような穂は花です。
その穂の部分で作ったミミズクで有名なのは雑司ケ谷で、
今でも名産品になっています。

葛はちょっと郊外の山野にまいりますと、
あらゆるものに絡み付いて覆い尽くしています。
この根から取れるのが、正真正銘の葛粉です。花はピンクで小さな可憐な花です。
撫子は英語でピンク。そう、色の名前、「ピンク」の語源となっている花です。
女郎花(おみなえし)は、1メートルもの高さになり、
山野にはたくさん自生しています。黄色い小さな花を平たい状態につけます。
この根も漢方薬では乾燥させ、利尿剤として使われます。

藤袴は今ではあまりなじみのない花ですね。
高さが1メートルくらいになりまして、薄紫の房状の花をつけます。
最後の朝顔の花、というのが少々クセモノでございまして、
じつはこれ、桔梗のことを指す、というのが定説になっています。

この秋の七草は、春の七草が漢方薬として多く遣われるのに対し、
その美しさから、図柄として愛されてきました。
小袖や工芸品、襖絵や屏風絵として今も数多く残っています。

都会にお住まいでも、花屋さんの店先で、ススキや桔梗、女郎花、撫子などが見られます。
もっと自然の中でお住まいなら、
七草以外にもたくさんの種類の野菊や
マツムシソウにリンドウなど、さまざまな花に出会えます。

ほんの一輪でもお部屋の中にあると、
グンと秋が近づいているような気がしますね。
「目にはさやかに見えねども・・・」
秋はもう、ほら、そこまで来ています。







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by edo-ukiyo-doll | 2008-09-17 15:29 | 江戸の園芸 | Comments(2)