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カテゴリ:「江戸浮世人形」( 18 )

「もちつき」

江戸の町では師走の十三日ころからは大掃除にかかり、
年神様をお迎えする正月のしたくに入ります。
大店ではこの頃にはすでにもちをつくところもありますが、
一般的には二十六日頃がもちつきの最盛期で、
町中から杵の音が聴こえてきます。



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鳶や人足などが四,五人一組となって、
かまど、せいろ、うすに杵、薪も持参してのもちつき。
注文した家では門口で、杵の音高らかにもちをつかせるのは、
ちょっと自慢です。
こうやってついたもちは親戚や地主、家主などに、
干魚や塩魚などを添えて配ります。
ここでも見られるの大量のもちは、そのためのものなのです。


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この作品は、豊国描くところの『甲子春黄金若餅』
と、なんともめでたい題がついています。
六枚組みの浮世絵ですが、登場人物は当時の人気役者たち。
それぞれに役者の名が書かれ、似顔絵になっているのですから、
めでたさとともに、この浮世絵もずいぶん売れたことが想像できますね。




<制作こぼれ話>

この作品は、2009年11月に開催した個展「お江戸食べ物語」に出展したものです。
知り合いの出版社の方からのご紹介で、
江戸料理研究の大御所、松下幸子先生にもご来場いただき、
その後松下先生は、歌舞伎座のブログで、本作品をご紹介くださいました。
これがご縁で、何かにつけ、松下先生にご親切にしていただくこととなった、
思い出の作品です。


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それはさておき、鳶の男衆がもろ肌脱ぎなので、
筋肉の付き方を、またもや独学で必死に学ばねばならず、
?????だらけの制作でした。

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江戸時代の江戸の餅つきの道具が、
豊国の画だけからでは
わからない部分もあり、
かなりの研究と推理が必要でした。



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江戸時代に描かれた画から
立体に作る場合、
どこを調べても
資料が見つからないことは
結構ありますが、
そんな時には
これまで培った頭の中の
知識を総動員。
いわばシャーロック・ホームズ
が言うところの
「消去法」なども駆使して、
最も適切な状態の物を
作り上げることになります。



それもまた楽しいことでもあります。
















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by edo-ukiyo-doll | 2015-12-12 11:13 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「唐人あめ売り」

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江戸の頃には、店を構えるのも大変なことなので、担い売りがとても多く、
客が出かけていくのではなく、売り手がこちらに出向いてくれます。

担い売りには実にさまざまな商売がありますが、
子供相手の担い売りもたくさんいます。
あめ売りは子供に絶大な人気があり、
時代や地域によっても多種多様。

唐人あめ売りは、唐風の衣装をまとって
【チャルメラ】というラッパを吹いて客寄せをします。
一口に唐人あめ売りといっても、
そのスタイルや売っている【あめ】などもさまざまで、
この作品で売っているのは細工のあめ。

加熱してやわらかくなったあめを、
膨らましたりはさみを使ったりして、
鳥や瓢箪、干支の動物など作ります。

チャルメラを吹き、おかしな踊りを踊って見せ、
集まった子どもたちは、飴売りがあめの塊からなにを作るのか、
ワクワクしながら見守るのでしょう。





*すべての作品、文章の無断転写、複写を禁じます.

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by edo-ukiyo-doll | 2014-08-31 07:11 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「まわり灯籠」

江戸はそろそろお盆(盂蘭盆会)の頃になります。
今年は8月19日が、旧暦の7月13日ですから、
七夕はその前、新暦では8月13日になります。
その昔は、七夕はお盆の一環行事だったので、
秋の夜空で、牽牛と織女の星たちも、
しっかり見ることができたのですね。


さて、お盆の頃になりますと、
さまざまな「灯籠」が飾られるのが、
江戸の晩夏、初秋の風景でもあります。



「まわり灯籠」



鳥居清長の浮世絵をもとにしましたが、画には「七月」とあります。


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子どもたちがまわり灯籠を囲んでいます。
まわり灯籠は、内部の中心にろうそくを立ててその熱で上の羽根をまわし、
その力で内部の絵を回して周囲に映し出される絵を見ます。


でもこの灯籠には軒付きの窓があるので、
ちょっと変わったまわり灯籠ということで、
窓から中を覗くと絵がまわって見える・・・そんな設定にしています。
覗きからくりのようなまわり灯籠というところでしょうか。
ヒミツめいていて興味津々な子どもたち。


まわり灯籠の灯籠自体は回せませんが、
中に小さなLEDを灯すと、描いた画が浮き上がって見えるように作りました。
なかなか楽しい灯籠です。

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腹掛け(金太郎さん)の幼児は、こんな風貌です



子どもは夏には腹掛けで、その上に浴衣なども着ます。
女の子の袖は下まで開いている広口なので、
腕の下を「ささげ」という紐飾りで止めています。
ささげは、「ササゲマメ」のことで、
インゲンマメに似ていますが、
もっと細長くたくさん下がっています。
この形に似ているのでそういう名前が付いたのですね。
この時代の女の子は髪形もずいぶん凝っています。









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by edo-ukiyo-doll | 2013-08-09 11:48 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「水辺の花菖蒲」


春先に、初夏のような暑い日があったのに、ここしばらくは冬のような寒さでした。
それでも、こちらではさまざまな種類の桜も終わりを見せ、
藤が美しい色に開き始めました。
杜若(かきつばた)も見ましたよ。
あっという間に、初夏の花が咲き出すのかもしれない、
異常な気候のこのごろです。
 

さて、端午の節句(本来は現代のカレンダーでいえば6月13日が端午の節句)もちかいので、
少し早めに菖蒲のお話です。

端午の節句に、菖蒲湯に入りますか?
菖蒲湯で使う「菖蒲と」、花のみごとな「花菖蒲」は別物です。
菖蒲湯に入れる葉の方は、サトイモ科で、
香りは強いのですが花は地味です。
一方、花を愛でる花菖蒲はアヤメ科で、
園芸的に改良によって作り出されたものなのです。

江戸時代末期、「菖翁」と称した松平定朝左金吾というお旗本が、
彼の父が収集した花菖蒲をもとに、長年にわたって自ら改良を重ね、
約200種までも増やしました。
 
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  東京の葛飾区に「堀切菖蒲園」という、
  花菖蒲専門の庭があります。
  ここは堀切の農家の伊左衛門という人が、
  相模の国から持ち帰ったものや、
  前述の菖翁から譲り受けたものを、
  これも長い間、研究と栽培を重ね、
  やがて一般に公開した場所が、
  この「堀切菖蒲園」です。
  敷地面積は当時より、
  だいぶ小さくなったようですが、
  以前行ったことがあって、
  花の頃には丹精された花菖蒲が、
  それはそれはみごとでしたよ。
  まあ、人が多いのは仕方ないとしても、
  花の美しさは格別。

  左は英山画

「堀切菖蒲園」は江戸時代最後に誕生した花の名所だそうで、
広大な花菖蒲園には、八ツ橋のように板で橋が架けられ、
趣のある風景は広重や豊国も描いていますね。




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そんな浮世絵の1枚をもとに作ったのが、この作品です。
初夏の水辺に咲く花菖蒲を眺める女二人。
日除けのために菅笠をかぶった女は、
曙色の井桁絣の単衣に前帯姿で、いかにも既婚者の装い。

しゃがんで手を伸ばしている若い女は、
黒地に白い霞文様の薄物の振り袖
なので、二人は母娘といったところでしょうか。

花菖蒲の向こうには、
五月雨萩(さみだれはぎ)が初夏の風に揺れています。
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by edo-ukiyo-doll | 2013-04-13 11:31 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「かよひ小町」

啓蟄も過ぎますと、
やっと春めいて、もうしばらくすると、
江戸っ子が待ちわびる「初午」がやってきます。
如月の初めての午の日ですが、
この日は大人も子供も楽しみな日です。

この日はまた、子どもたちが手習いに入門する日でもあります。
父親は文机を担いで、手習いのおっしょさん(お師匠さん)のとこへ、
子どもともども挨拶に行きます。
そんな具合に、子どもの手習い生活は始まります。


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さて、この作品は、手習いにかよう女の子2人。
タイトルは、「かよいこまち」と読みます。
小野小町のエピソードのひとつで、
美貌の小町に恋をした深草少将が、
百夜通い詰めたらあなたの心に応えましょう・・・と言われ、
九十九夜まで通いましたが、
百夜目に雪であえなくこの世を去ります。
謡曲にも『七小町』のなかで
「百夜通(ももよがよい)」というお話になっています。

この作品のもとになった浮世絵には、
手習いに通うことをしゃれて、
こんなタイトルが付いています。
年かさの子もまだ幼い子も、
手習いの草紙などが入った風呂敷包みや、
手習い帳を持っています。

「寺子屋」というのは京阪の言い方。
江戸では「手習い所」などと言い、手習いに行くといいます。
当時、江戸の識字率は世界一高かったのは、
手習いや寺子屋のおかげなのでしょうね。








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by edo-ukiyo-doll | 2013-03-07 22:37 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「安宅の鮨」

文化年間(1804~17年)の初め頃、
深川の安宅(あたけ )というところに「松が鮨」という、
日本最初の握りすし屋が店を構えました。
かつてすしは魚を発酵させた“なれずし”だけでしたが、
後年、飯に酢を入れることによってすぐに食べられる“はやずし”が考案されました。
これによって、天明年間(1781~89年)には、
すしの屋台が出現したといわれています。
それからまた時がたち、それまで鮨は屋台売りが一般的でしたが、
これを素材、器、店の場所やつくりなど、さまざまな吟味をし、
高級化を極めた「松が鮨」が誕生します。

「松が鮨」は高級握りずし店の元祖で、
二重になった5寸(約15センチ)の器に入ったすしは、3両(約25万円)もします。
いったいどんな人がそんなばかげた値段の鮨を・・・? と思いますよね。
上級武士や豪商などが、権力を持つ人物に進物用にと、
競って「松が鮨の折」を求めるのです。
こうやって、「松が鮨」は、
ますますその名は江戸中に知れわたることとなりました。
一説には「華屋与兵衛」の方が早かったとも言われますが、
いまのところは松が鮨が主説となっています。



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さて、作品についてです。
娘が手にしているのは、松が鮨の折と取り分けた皿。
皿にはこはだや玉子まき、海老の鮨、はじかみの酢漬けが載っています。
ちなみに皿の大きさは10ミリ。
見えていませんが、折の箱の中にも、ちゃんと鮨をいれてあります。
浮世絵の原画は、能や歌舞伎の題材にもなっている「安宅関」と
「安宅の松が鮨」の地名をかけています。
「安宅関」は、義経と弁慶の一行が、奥州に逃れる姿を描いたもので、
画の中には安宅関を通るときのエピソードが、ちりばめられていますので、
そこを忠実に制作しました。
娘は「弁慶格子」の着物に、「扇文様」の帯を締めていますし、
幼な子の着物には、「籠目文様」が描かれています。
これは、義経一行が奥州・藤原秀衡のもとに逃れようとした際、
武蔵坊弁慶が、籠を背負った子どもに、安宅の関への道をたずね、
教えてくれたお礼に扇を与えたというエピソードに由来しています。
弁慶の弁慶格子、子どもに授けた扇の文様、
子どもが背負っていた籠から、籠目文様といった具合です。

人形の娘の高さは8センチなので、あとはご想像ください。
この作品をイギリスまで持って行ったことがありますが、
ご覧になった老婦人が、この赤ちゃんを放さなくなってしまったので、
よほどお気に召したのでしょう。
翌年、この方のために別に、幼子の作品を作って、
ロンドンから2時間のご自宅までお届けしたら、
今も大切にしてくださっているとか。
子どもの作品は、世界共通で、女性にとても人気があります。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-09-21 11:34 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

まくわうり


今年1月に開催された個展「江戸のちるど連」に出展した作品を、
ときどき、ご紹介していきますね。


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「まくわうり」


徳川家康も「暑邪を除くべき良薬」と推奨した「まくわうり」は、
夏の定番の水菓子(果物のこと)。
「真桑瓜」と書きます。
真桑村(美濃国。現・岐阜県本巣市)に産出し、
朝廷に献上したところ大そう喜ばれ、
時が下って織田信長がこれを大いに保護し、広めたのだとか。

縄文時代の遺跡からも、種が出土しているという昔からの食べ物です。
原産地はアフリカや中東で、
中国・朝鮮半島を経て、日本に入ったようです。

浮世絵などで夏の景には、
西瓜とともに描かれる、水菓子の代表的存在です。

もとにした浮世絵は歌麿の画。
時代的に母は凝った結い方に灯籠びんという大きな髪形で、
薄物の単衣を着ています。
子どものほうも周囲は剃り上げているのに、
頭頂は両輪にした毛先をさらにその上に載せて、ずいぶんおしゃれです。


  *緑色部分の文章は、展示用の解説文です。


この作品は、小物作りが大変でしたが、楽しかったです。
母の手のまくわうりは、皮が剥けている部分が難しいと思ったのですが、
案外うまくできたので、そんなときは鼻歌も出ます060.gif

髪形も、文化文政期以前なのに、歌麿の描く頭は凝っていて、
いったいどうやって結っているのだろう?
という結髪の分析から始めますが、苦労が多い分、
なるほど、こうなってるのか!
と解明できたときには、ニンマリします026.gif


以前、まくわうりのお話を書いたのですが、
それをごらんになった府中の昔のまくわうりを再興されている方から、
お問い合わせがあったり、
江戸時代に栽培されていた野菜・水菓子の復元?は、
ますます活発になってきたようで、うれしいですね!
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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-08 09:32 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「雪あそび」

今回の江戸浮世人形展「輝く江戸のちるど連」のために制作した作品を、
随時、ご紹介していきます。


これは「雪あそび」と題した、今回の大作です。

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子どもたちの大きさは、8センチくらい。
総勢17名と、犬2匹。


「江戸浮世人形」の展示会では、作品を展示するだけでなく、必ず、作品の説明を付けています。
ただ人形としてご覧いただくのではなく、江戸の人々の暮らしや様子を、よりわかっていただくためです。


「雪あそび」

江戸の町でも雪はよく降り、子どもたちはいっせいに雪あそびとなります。
左のほうには【雪だるま】を作る子たち。筆を持って墨で目を入れるのでしょう。
この作品では子供が作っている姿が描かれていますが、
江戸のころには、雪だるまはまさに雪で作る【達磨(だるま)】で、
雪かきなどの道具を使い、大人が作ったもののようです。
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一方、子供たちは【雪まろげ】とか【雪ころがし】と言って、
右のほうの子供たちのように、雪玉を転がして楽しんでいます。
『源氏物語』の「朝顔」に、
月明かりの中で、光源氏と紫の上が、女童らに「雪まろばし」を作らせ見ている・・・・
というシーンがあります。
「まろばし」は「転がし」の古語。
いつの時代も、子供は雪を見ると転がしたくなる・・・・・・
いえいえ、大人だって。
その極致が大人の遊び、雪だるまなのかもしれません。


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たらいに張った氷なのか二人で氷を担いで運んでいます。


















高い竹馬に乗った子や、
紐のさきに雪をからめる「雪つり」をしている二人。






雪の塊を投げ合っている子たちもいます。

雪の冷たさも忘れて大勢の裸足の子が、元気いっぱい雪を楽しんでいます。











・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-02-15 22:20 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

百菊見物 (百種接分菊)

先日、「トラッド・ジャパン」という日本文化を英語で説明する番組で、
「菊」をやってました。
chrysanthemum・・・・これが英語で菊。
クリサンテマム・・・・て読むのでしょうか?
番組の中で、国芳の「百種接分菊」の画も紹介されていました。


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上は、国芳の「百種接分菊」の画を基に、以前の個展『華のお江戸は花ざかり』のために作った作品です。




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実際の展示では、百菊はこのように、小屋掛けされますが、
写真では菊がよく見えるように、小屋をはずしています。




以下は、作品につけた解説文です。

江戸時代には、菊作りが盛んに行われ、
巣鴨、染井辺りの植木屋の菊園、寺島の百花園などが菊の名所でした。
文化(1804~18年)末期には、
人物(菊人形)や帆掛け舟や灯籠などの「形造り」が流行ります。
巣鴨・染井では庭に縁台までだして見物させる植木屋が、50軒以上もあり、
ここに蝟集する人々目当てに、通りには酒や料理の店、茶店が軒を連ねたといいます。

形造りとはべつに、一本の台となる菊の茎に、
他の種類の茎を接いでいく「一本造り」という手法を高めた植木屋もいます。
それまでに20~30種類の菊を接いだものはありましたが、
駒込染井の植木屋・今右衛門は、
太さ 3寸(約 9cm)の茎に、100 種類もの中輪の菊を接いで
「百種接分菊」を造り上げました。
その「百種接分菊」に集まる人びとを描いた一勇斎国芳の浮世絵をもとに、
さらに私のオリジナルを多数加えて制作したのがこの「百菊見物」というわけです。




すごい情熱ですね!
現代ではこのような菊作りは無理、と思われていましたが、
「百種接分菊」に成功した方がいるとか・・・。
現代にもすごい人がいるのですね。


私の作った百菊は、すべて異なるように一本ずつ作り、
画と同じようにそれぞれに名前をつけ、名札を下げています。
画で見えない背後の菊は、自分で推理と想像力を働かせ、
それらしい菊と名前を付けました

また「百菊見物」の人形には、
すべて名前があり、職業やどこに住んでいるかも設定しています。

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右の人は繁蔵さん。
神田相生町「平右衛門店(通称かかし長屋)」の青物売りで、だいの菊好き。
ふけて見えますが38才のひとり者。
とっても律儀でいいヤツなので、いい女性がいたら紹介してください!(笑)


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ぼけた写真でごめんなさい。
人形の大きさは手と比較してね。
この人は、船宿「川茂」の女将・お与野。深川にある客筋のいい船宿で、
きょうは染井の世話になっているお武家の屋敷に挨拶に来た途路なので、
高級な外出着を着ています。





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   このお武家は相生金吾衛門。
   御家人のご隠居ですが、
   囲碁仲間の友人が風邪で
   こられなくなって、
   一人できたから、少し寂しいのね。
   帰りに風邪っぴきの友に、
   饅頭でも買って行ってやろうかと・・・・・。




こうやってドラマが作られていくように思いませんか?

現代では菊観は廃れてしまいましたが、
小さな江戸ワールドで、江戸の人々に混じって、菊観ができますよ。












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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-25 10:53 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

「花桶」


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この作品は寛保・延享(1741~48年)の頃の
吉原の高級遊女の姿。
髪は兵庫髷。
表着(一番上に着ている着物)の文様は、「花入亀甲」と「雪輪散らし」。
中着(表着の下の着物)の「亀蔵小紋」は、
当時人気の役者がまとった衣装から流行った文様で、
当時のファッション・リーダーでもあった吉原の女らしい衣装だ。
「紗綾形」地に「梅紋散らし」の帯を前結びにして、花桶を手にしている。

贔屓客からの贈り物なのだろう、花桶には和歌の短冊が添えられている。
吉原のトップクラスの遊女は、
茶の湯、琴、胡弓、和歌などの教養が高くなければならなかった。

花桶の花は、白梅、水仙、椿で、春まだ浅い季節に彩りを添える。

梅は中国が原産地で、漢方薬として奈良時代に日本に渡来した。
遣唐使の母港でもあった太宰府から、梅は日本を東へと広まっていったのである。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」
は、あまりにも有名な菅原道真公の歌。
ただしこの和歌の梅は紅梅といわれる。

椿を「海石榴」とも書くのは中国で、
“(日本から)海を渡ってきた石榴に似た実”の意。
学名をカメリア・ジャポニカ・リンネといい、
日本が原産だが、一般に広まったのは江戸時代。
寛永年間(1624~43年)に椿ブームとなり、たくさんの品種が生まれた。
18世紀にはヤソ会のカメリ宣教師がヨーロッパに持ち込み、
19世紀に大ブレークした。
このような背景があってアレクサンドル・デュマは「椿姫」を著すこととなる。




*注◇亀蔵小紋・・・市川亀蔵(後の九代市村羽左衛門)が舞台で着用し
て大流行した渦巻文様。  
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-09 11:09 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)