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カテゴリ:江戸歳時記( 73 )

夏の物売り。「声に惚れる」蚊帳売り

湿度が高く高温の日本の暮らしは、
さまざまに夏への配慮がされています。
江戸は卯月(4月)から夏なので、
4月になりますと、夏向けの物を携えて、
さまざまな物売りがやってきます。

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蚊帳(かや)ってご存知ですか?
この画のグリーンのネットのようなものが「蚊帳」で、
この中にいれば蚊から身を防げます。


江戸は水の都ですし、本所深川方面など湿地帯も多く、
夏にはなにはなくとも、まず蚊帳!
というわけで、4月(現代の5~6月ころ)に入ると、
蚊帳売りがやってきます。

蚊帳売りが来るとすぐにわかります。
「かや~、もえぎのか~や~~~~~」
と、なんとも美しい声で、なが~~~~~く音を引いて呼びかけるのです。
柳は青く風に揺れ、
初夏の空にす~っと上っていくような、すがすがしい声です。



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江戸の町の初夏の風景。
皐月(5月)なので、端午の節句の菖蒲や、
節句の飾り物を担いだ人がいますね。
魚屋が担いでいるのは、鰹です



蚊帳は古く中国から伝わってきましたが、
江戸時代には多く近江で生産されるようになり、
日本橋通町一丁目の大きな問屋ができます。
ちょっとセレブには白麻のぼかし染めで、見た目も涼しげな蚊帳。
裏長屋でも中古でツギが当たっていても、蚊帳は持っています。

さて、売り歩くのは、蚊帳屋の手代と、アルバイトの担ぎ手の二人一組。
二人とも菅笠をかぶり、手代は扇子など手に、
荷はもっぱら雇われた男がかつぎます。
ですが、このアルバイトの男、只者ではない。
まず、美声でなければならず、採用決定の後は、
新人なら、呼び声の大特訓が始まります。
だいたいは、荷を担ぐアルバイトは例年決まっているようです。
一声で、半町(50メートルくらい)歩くそうですよ。
やってみます?

手前が手代さんで、夏羽織を着ています。
天秤を担ぐ男は、腹掛けに半てん
(この人はゆかたに見えるけど、やっぱり半てん)、
手甲に脚絆、わらじ履きです。
塗りの箱には店のロゴ。
箱の上には、包装した蚊帳を載せています。



この特殊な呼び声の始まりは、ある男の喧嘩がきっかけでした。
大坂の茶店で友達と喧嘩し、傷を負わせてしまい、その場を逃走して、
江戸まで逃げ延びた天満喜美太夫(てんま・きみだゆう)。
彼は説教節の上手でしたので、
江戸は駿河町に住み着き、蚊帳担ぎに雇われたとき、
生来の美声で「もえぎのかや~~~~~」と、
呼び声に節を付け売り歩きます。
すると、どうでしょう!
人々はこの声に「うかれ」、この年の売り上げは、驚くほどよかったそうです。
以来、蚊帳売りの担ぎ手は、呼び声で江戸人に夏を告げるようになりましたとさ。



節電時代に入って2年。
蚊帳がまた売れ始めているそうです。
家族みんなでひとつ蚊帳で、虫籠などつるして・・・・・・、
なんてね! きっといい夏になりますね。









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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-22 10:50 | 江戸歳時記 | Comments(0)

そうだ、江戸へ行こう! 蛍狩りに。

先日、房総にお住まいの知り合いが、
お近くで蛍をごらんになったそうで。
自然の状況下で、蛍を見かけなくなって、はや数十年!

江戸では立夏の後、40日たった頃から蛍・・・・
といいますから、いまごろは蛍狩りにでかけているのだろうなあと、
あこがれてしまうわけです。

江戸ならば、ちょっと郊外に足を運べば、
蛍の名所はあちらこちらにあります。
以前ご紹介した「ほ、ほ、蛍」の項では、
御茶ノ水を取り上げましたが、
谷中の蛍沢(現・台東区谷中)は特に有名です。


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現在も谷中に健在の宗林寺は、
家康が入府の折、駿河から連れてきたという古刹。
この本堂のそばに幅9尺(3メートル弱)、
長さが10間(20メートル弱)ほどの池があって、
ここが蛍沢と呼ばれていたと古い記録にはあるようです。
後年はこの一帯を蛍沢と呼ぶようになったらしく、
現在でも「蛍坂」という細い坂があります。




ではしばし、江戸の人々と一緒に、蛍狩りをお楽しみください。

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左の、春信の描く蛍狩りは、
ロマンチック。
小川には水車が回っています。




右の、英泉のは娘と
おっかさんかも。
蛍狩りで、
こんな人たちと出会えたら、
うれしいでしょうね




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ここも蛍狩りの名所、高田の落合。


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蛍をとるには、先の葉だけを残した笹竹を使うのね












ほら、こんなにとれたゼイ!」f0186852_1141332.jpg










おや、あちらが賑わしいですなあ










こうやってとった蛍は
「籠中にいれて家裹(いえづと・おみやげのこと)とす」ることが多いようです。


郊外までなかなか行けない人も多いですから、
町には虫売りがやってきます。
もちろん蛍もあります。
蛍は、こんな籠に入れて売られるんですね。

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丸いのや四角いの。
黒の紗を張って、蛍の光を生かすように、
工夫されているのでしょうね。
どうやって作られているのか、
不思議なほど繊細なものもあります。






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「源氏絵」でももちろん、蛍狩り。
なんと賑やかな御殿のお庭でしょう。
お女中たちのはじけるような笑い声、
聞こえてきそうです。

そういえば、「源氏絵」って、とっても不思議な空間です。
 いつかご紹介しますね。







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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-19 13:21 | 江戸歳時記 | Comments(0)

ほととぎす聴く

江戸では、桜が終わると藤が咲き、
鰹とほととぎすを心待ちにします。
立夏を過ぎるあたりからほととぎすが鳴き始めると、
物の本にもあり、浮世絵にもたくさん描かれています。


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「ホ・ジュン」という韓国時代ドラマをご存知の方もおいででしょうけれど、
それにはイェジンという、品のよいうつくしいお嬢さん(実は女医)が登場します。
故あって、彼女が宮廷を去ろうと決めた夜、池のほとりに座り、
「ああ、ホトトギスの啼き声が、心にしみるわ・・・」
と空を見上げるのです。
そのシーンがあまりに美しく印象的で、ほととぎすの声を聴いてみたくなりました。

すると先日少し郊外で、暮れ方の空を甲高い声がし、
それがほととぎすと知りました。
浮世絵ではたくさん知っていますのに、初めて声を聴いたので感激でした。
朝鮮半島の古の都でも、江戸でも、ほととぎすの鳴き声が聴こえていたのですね。
また一歩、江戸に近づいた気がしました。



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ほととぎすは初夏を告げる鳥で、
南アジアから渡ってきます。
鳩より少し小さいかもしれません。
かつて東北では
「ほととぎすが鳴いたら、
田植えをせよ」と言われたとか。



「杜鵑」「時鳥」「不如帰」「子規」など、たくさんの表記がありますが、
江戸では「郭公」をほととぎすとも読みました。
確かにほととぎすはカッコウ目カッコウ科の鳥ですが、
啼き声はぜんぜん違います。

小石川白山はことわざに、
「この国でほととぎすはこの地から啼き始める」といわれることから、
ここを「初音の里」とも言われます。
また高田、雑司ヶ谷、御茶ノ水、神田社、谷中などなど、
江戸中で見かけますが、とりわけ木々のゆたかな西の方に多くいたようです。


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「聞いたかと問へば食ふたかと答へ」
とは、ほととぎすの声はもう聴いたかい? ときけば、
鰹はもう食ったのかよお、と答えが返ってくる。
初鰹に狂乱の態の江戸っ子ですが、
ほととぎすにもずいぶんな思い入れがあるのですね。


でも鰹もほととぎすも時がたち、
珍しくもなくなってくると、
ほととぎすは、
「江戸の山の手にはほととぎすが多くて、
朝からやまずなき暮らして、大変にうるさい。
なかない日もあればいいのに!」
など言われます。

「五月雨と一緒に飽きる時鳥(ほととぎす)」

なるほどね。










^.^
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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-03 13:31 | 江戸歳時記 | Comments(0)

梅若忌は過ぎたけど。

能などお好きな方は「隅田川」は、とってもポピュラーな演目なので、
お話もすっかりご存知でしょう。
4月15日は「梅若忌」でした。
旧暦の3月15日が本来の「梅若忌」ですが、
新暦で日にちを固定するために、
ひと月おくれの、4月15日と定めたようです。
今も、東京は墨田区の隅田川の近くにある
「木母寺」で、梅若忌がいとなまれていますが、
江戸の頃の木母寺界隈に想いをはせながら、
梅若丸のお話を・・・・。



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「江戸名所図会」に描かれる木母寺界隈



上を拡大しています
木母寺の手前に「梅若塚」






そもそも「梅若」とは何者なのか?

平安の中頃、京都の北白川の吉田少将惟房(これふさ)という人と、
美濃国野上の長者の一人娘の花御前がという夫婦の間に、
やっと授かった男の子が、梅若丸でした。
しかし梅若丸が5歳の時父惟房が他界し、
2年後に梅若丸は比叡山の月林寺へ預けられました。

たいそう賢く、良い子でしたが、
東門院の子の若松と競わされ、優秀さをねたんだ若松側の法師が、
あろうことか梅若丸に襲い掛かろうと狙ってきました。
身を隠して、北白川の実家に帰ろうとしましたが、
山中で道に迷い、大津浜へ出てしまいます。これが2月20日頃だったとか。
そこでであったのが、陸奥国の信夫藤太(しのぶのとうた)という人でした。
親切にしてくれましたが、
実はこの男は恐ろしい人買いでした。
梅若丸を連れ、東国へと向かいます。



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ところがまだ幼い子は、疲れと悲しみのあまり、
途中で病にかかってしまいます。
貞元元年(976年)の3月15日、
隅田川の河畔にて、あえなく12歳で命を落としてしまいます。

「尋ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消へぬと」

これは梅若丸が残したといわれる歌です。


そこに通りがかったのは、
出羽国の天羽黒山の忠円阿闍梨(ちゅうえんあじゃり)という高僧でした。
忠円阿闍梨は梅若の死を知り、
村人と共に梅若丸の亡き骸を塚に埋葬し、
1本の柳を植えて、ねんごろに弔ってやりました。


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木母寺エリアにある
高級料亭「植木屋」

屋根舟で乗りつけ、
雪見の宴をするのでしょう






さてその1年後の命日に、村人たちが法要を行っていると、
そこに差し掛かったのは、
わが子梅若丸を探し、旅に出た母・花御前だったのです。
それがわが子の墓と知り、どれほど嘆き悲しんだことか・・・・・・。

花御前は、尼になり「妙亀尼(みょうきに)」と名前をもらい、
この塚を作ってくれた忠円阿闍梨と出会い、
ここに草堂を建て、梅若を弔うことにしました。
でも、かわいそうにも母はあまりの悲しみに心を病んでしまったらしく、
橋場の鏡ヶ池(なぜか対岸の池)に入水してしまいます。

その亡き骸を亀が背に乗せて浮かび上がり、
その後妙亀大明神と祀られ、
梅若は山王権現として生まれ変わったといわれています。


この梅若伝説は、やがて能や謡曲、歌舞伎や浄瑠璃、
はては絵草紙にまで「隅田川」として、長く語られることになります。


命日にはよく雨が降り、「梅若の涙雨」と言われるそうな。



    「雉子鳴くやかの梅若の涙雨」   小林一茶
















・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-04-19 18:06 | 江戸歳時記 | Comments(0)

夢見る看梅(うめみ)

『東都歳事記』をひもときますと、寺島村の梅屋敷や蒲田村は、立春より30日ころ、
それから少し遅れて 亀戸梅屋舗(やしき)の梅が咲くということが書かれています。
立春は2月4日(旧暦では正月13日)でしたから、今年はかなり遅く、
東京でもまだ見ごろのところもあるようです。
そこに乗じて(?)「桜前線・・・」などいうこの時季に、梅見のお話を。

「看梅」と書いて「うめみ」。
ちょっとチャイナの感じがまたいいですね! 
江戸ではいくつもの梅の名所がありますが、
亀戸の梅屋舗や蒲田(大森)の梅園は、人気の看梅スポット。


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「亀戸梅屋舗」は、亀戸天満宮から3丁(330メートルくらい)ほど東にある
「清香菴(せいきょうあん)喜右衛門」という人の庭で、
ここの「臥龍梅(がりょうばい)」と名づけられた梅の木はとても有名です。

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「枝はたれて地中にいりてまた地をはなれ、
いづれを幹ともさだめがたし」
というのですから、
まさに龍がうねうねと地に
臥している姿のようなのでしょう。
この古木は『眠狂四郎』でも
描かれていた記憶があります。





f0186852_2044249.jpgその香りは
「蘭奢香(らんじゃこう)をあざむき・・・」
ともありますから、
どれほどよい香りなのでしょう。
しかし明治になって、隅田川の大洪水のため、
この梅屋舗の梅の木は全て枯れ果て、
ぽつんと碑だけが置かれています。




下は蒲田の梅園の図。


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上の画を部分的に拡大しました。f0186852_224822100.jpg









この家の人でしょうか。
短冊など手に、何か書いているようです。



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猿回しも来たり・・・・・。



「蒲田の梅」は『江戸名所図会』にも取り上げられ、
「この地の民家は前庭後園ともことごとく梅樹をうえ、
五月の頃、その実をと採りて都下にひさぐ(売る)。
されば二月の花盛りには幽香を探り遊ぶ人少なからず」ともあります。

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広重の描いたこの梅園は、
山本忠左衛門という人が、
旅の常備薬として超有名な大森の「和中散」を、
店を3000坪の庭ごと買い取り、
それを受け継いだ弟の久三郎が、
幕末近くになって、
いよいよ見事な梅園に作り上げたのでした。
品川から1里半といいますから、
1day tripには最適だったのでしょう。

海が近いので、こんな歌を残しています。
「海士の子の袖もや匂ふ浦近き 梅かかまたの里の春風」



そういえば、東京には「青梅」という梅の名産地がありますが、
ここ3年ほどで、梅の木を1万本ほど伐採しなければならなくなったとか。
青梅も江戸時代の蒲田と同様、実を加工販売が目的で栽培しているのですが、
近年PPV(プラム・ポックス・ウィルス)に侵されて、
蔓延を防ぐには伐採しかなかったのだとか・・・。
これにやられると、実は成熟しても変形や不発育だったりで、
梅農家の被害は甚大のようです。
海外から来たウィルスで、アブラムシを媒介とし、
桃、ネクタリン、プルーン、杏、さくらんぼなどサクラ属に感染するので、
アブラムシにはご注意くださいね!















・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-03-22 23:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

おひな祭りの白酒

西洋のカレンダーにムリに合わせてしまった桃の節句。
今年はことさら寒いおひな祭りになってしまいましたね。
おひな祭り「桃の節句」は、弥生の3日、
現代ならば、3月下旬から4月の初旬に、行われるものですが、
七夕と同じように、ちょっと無理がありますね。

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          さて、桃の花の節句に
         欠かせないのが白酒です。
          昔々にはこの日は、
           桃の花を浸した酒
          「桃花酒(とうかしゅ)」を
          飲んでいたのですが、
            江戸時代にはもっぱら
        白酒が主流となりました。

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   左の画は歌舞伎の白酒売りで、
   手に持ったうちわに「山川白酒」とあります。




桃の節句の「白酒」と言えば、
関が原の戦いのころの創業と言われ、今も続く豊島屋が有名ですね。
江戸では、このころになると、豊島屋では白酒だけを量り売りするのですが、
未明から客が集まり、あまりの混雑振りに卒倒する者まで出るため、
薬や医者を用意していたほどだったそうです。

白酒は甘酒とは異なるもので、
甘酒が余り醗酵させず、ほとんどアルコールがないのに対し、
白酒は甘くてもアルコール度は高いそうですよ。



この頃になりますと、町にはカッコいい白酒売りがやってきました。

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この作品は「白酒売り仁太」
同時期に制作した「こはだ鮨売り・亀吉」が亀〇クンなら、
こっちは赤〇クンにしようと・・・・、それで仁太(熱烈ファンの方、ゴメンナサイネ!)。
ははは、ミーハーの権化です。

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広重の画と、別の絵師の画をミックスして作っています。
この作品の桶には「山川の白酒」と書いてあります。
白酒を「山川酒」とか「山川白酒」とも呼びます。
もとは京には白酒屋が多く、なかでもある店の「山川酒」と銘打った白酒が評判を取り、
江戸でも「山川酒」というのが定着したようです。
それが歌舞伎「助六」にも、白酒売りが登場したりで、
ますますカッコよさがうけたのでしょうね。

作品では、背にお七かけ(黒い大きな衿当てのようなもの)の女の子が、
酒器を手に、白酒売りを呼び止めますと、
ひょいと、笑顔で振り向く白酒売り仁太。
きゃ~、独立してもやっぱりカッコいいわ~(って、誰のこと言ってるの!?)








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by edo-ukiyo-doll | 2012-03-03 21:21 | 江戸歳時記 | Comments(0)

忙しい初午の日

初午といっても、現代ではあまり行事としても行わなくなってしまいました。
2月の最初の午の日で、今年の初午は2月27日(旧暦)でした。
虫が這い出してくる「啓蟄」のころなので、もうかなり暖かくなっています。
お稲荷さんのお祭りで、江戸ではそれはそれはにぎやかなお祭りです。
江戸には稲荷の数がおびただしいほどあって、
「伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるほどですから、横丁曲がればお稲荷さん・・・
という感じですね。
武家の家の敷地にもお稲荷さんがあり、
この日は門が開放されています。

お稲荷さんは痘瘡(ほうそう、天然痘のこと)を治すとも言われ、
当時は特に子どもには恐ろしい疫病でしたから、お稲荷さんに子どもが詣るのですね。

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正月(1月)の末頃から、市中には太鼓を叩いて、
子ども相手の太鼓売りがやってきます。
子どもたちは太鼓を買ってもらって、叩いて遊び、
数人で狐を描いた絵馬を持って、
各家々の戸口に立ち、
「稲荷さんの御権化(おかんげ)、御十二銅おあげ・・・・」
とうたいますと、
ほんとうは12銭与えるのでしょうけれど、
実際は1銭あげたそうです。
子どもたちが勧進して歩く
・・・というところでしょう。



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王子稲荷の初午の賑わい



江戸の初午の日は、地口行灯の一大イベントの日でもあります。
「地口」とは今でいう「ダジャレ」に通じるものですが、れっきとした言葉遊びで、
江戸っ子の教養の表れでもありました。
「絵地口」といって、地口を絵にも描く、判じ物でもあります。
これに長屋の男どもも、名誉を掛けて競い合います。


この日はまた、手習いの師匠に入門する日でもあり、おとっつぁんが机を担いで、
子を連れておっしょさん(お師匠さん)のところへ行く姿も見かけます。


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京坂も江戸も、初午の日には小豆飯(赤飯)と、
からし菜の味噌和えを食べるのが慣わしだったとか・・・。
もちろん京は稲荷のご本家ですから、その賑わいはひとしおですが、
江戸のこの日の忙しさは格別です。










・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-02-29 14:39 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸も師走は大忙し

まるで何かに追いたてられるかのように、
12月の声を聞くと、気もあせりだし、
もはや、師走も半分になっちゃいました。
年の瀬を前にバタバタするのは、時間と追っかけゴッコの現代人の特徴、
と思いきや、江戸人もそうでした。

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師走、8日の「事始め」。
なんと、この日から正月の準備が始まるのです。

13日には「煤払い」といって、大掃除をします。
これは江戸城も武家屋敷でも、商家でも、勢ぞろいで煤払いをしました。
日本の神さま・・・歳神さまは清められた場所にしか下りてこないそうで、
お正月の準備も、清められた場所で行う、ということなんですね。
煤払いの後は、だれかれかまわず胴上げをし、
お酒が出て、商家ではご祝儀まで出るのだそうで、これはすごい。


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これは商家の煤掃(大掃除)の様子。



大掃除もこの頃から、「きょうは照明」「明日は硝子」
なんて、ちょっとずつやっておけば、大騒ぎすることもないのですけれどね。
あんたはやらはる? と聞かれれば「NO」。 えへへ。


江戸では14日の深川八幡を皮切りに、
「歳の市」が次々と開かれます。
中でも浅草浅草寺の歳の市は、14~24日「ガサ市」と呼んで、
お正月用品から生活用品、何でもあります。
17~19日は同じ浅草寺で、「羽子板市」が開かれます。

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浅草寺の年の市の風景。



22日には冬至となって、柚子湯にカボチャ。
そして大晦日へと突入する江戸なのでした。
この大晦日がまた、た~いへん。
ツケで買い物でしたから、この日は掛取りがきます。
「大晦日よく回るのは口ばかり」
ない袖は振れないもの、言い訳しまくりです。


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こうやって江戸の師走はやっぱり忙しかった。
師走が忙しいのは、日本の特徴のようですね。
おまけにクリスマスだってあるし。
その前に年賀状作って、書かなくっちゃ!
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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-15 17:34 | 江戸歳時記 | Comments(0)

風流ですなあ、紅葉狩り。

週の後半、あいにくの雨ですが、皇居の回りも紅葉となりました。

江戸の紅葉の見頃は立冬(2011年は11月8日)より7、8日頃と、
『東都歳時記』にあります。
ですが地球温暖化のせいもありましょうか、年々時期は遅くなり、
今年は、1~2週間、あるいはそれ以上遅くなっているところもあるようです。

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現代では紅葉は眺めるだけになりましたが、
平安時代には宮中やの貴族たちが、
紅葉のもとで宴を開き、
和歌を詠み「紅葉合(もみじあわせ)」
といって、これを競う遊びが流行りました。
それが江戸時代には、
庶民にまで広がっていきます。



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江戸時代の紅葉狩りは、
桜のお花見のように大勢で繰り出すのではなく、
小人数でその下で宴を催したり、
句をひねったり、紅葉を満喫します。
紅葉狩りをするのは隠人、
医者、僧侶などで、婦女子はしない
・・・・ともいわれていますが、
浮世絵や草紙の挿絵などには、
女性や子供も多く見られます。
宴や句会などを催したのが、
医者、 隠人、僧侶など
・・・ということかもしれません。


江戸時代には、園芸の熱狂的大ブームの中、
紅葉や楓も園芸の的となりました。
8代暴れん坊将軍・吉宗の時代、
唐から献上された「トウカエデ」というのを、
伊藤何某という人物に託され、
伊藤氏は接木でみごとにふやすことができました。
吉宗将軍はいたく感心し、伊藤氏にこれを下げ渡したところ、
楓のとりこになってしまっていた彼は、
たくさんの楓の種を開発したそうです。
そんなこともあって、江戸時代には100種を超える楓があります。

でも・・・・・カエデとモミジの区別がわからないので、きかないでね~037.gif



さてさて、そりゃあ紅葉は京の都はさもありなんですが、
品川鮫洲の海晏寺(かいあんじ)や、
向嶋の秋葉大権現、下谷の正燈寺、滝の川などなど、
お江戸にもたくさんの名所があります。


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ことのほか海晏寺(上の画)は紅葉の名所として名高く
ここは曹洞宗補陀落山海晏寺というのが正式名称。 
現在は第一京浜が横を通り、かつての紅葉を愛でた面影はなくなってしまいましたが、
当時の様子はたくさんの画に残されています。



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こちらは「真間の紅葉手古那の社継はし」とタイトルの付いた
広重の「江戸百景」の画。
真間は現在の千葉県市川市のあたり。
7世紀の半ばころのお話です。
手古那という美しい乙女がおりました。
あまりの美しさに大勢の男たちが、言い寄ってきました。
そのことに思い余った手古那は、
当時海だったこの地に身を投じた・・・・・
という伝説の土地です。
江戸からかなり離れていますが、紅葉の名所として、
物悲しい伝説に心はせながら、
江戸の人々は訪れるのでしょう。


我が家の近くの銀杏並木も、「金色のちひさき鳥のかたちして」
はらはらと舞い散り始めています。
「ポプラ並木、まっ黄色だね!」
というけど、あれはポプラじゃなくて、銀杏ですからね!

雨が上がったら、紅葉を見に行きませう。





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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-01 10:30 | 江戸歳時記 | Comments(0)

冬の楽しみ「酉の市」

 「酉の市(とりのいち)」は、「酉の町」とも呼ばれ、
11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼です。
江戸っ子には「お酉さま」と親しまれている、とてもにぎやかな行事。
一の酉、二の酉、年によっては三の酉までありますが、
三の酉まである年は火事が多いと言い伝えられています。

今年は一の酉が2日(水)、二の酉が14日(月)、三の酉が26日(土)。
江戸時代には鷲大明神といわれ、日本武尊を祀っていて開運の神さまとされています。
江戸では葛西花又村(現在の東京都足立区花畑)にある鷲大明神の氏子たちの収穫祭が、
酉の市の起源ですが、御府内(江戸市中)からは遠かったので、
次第に浅草田んぼ・吉原裏手の、新鳥越鷲神社への参詣が増えていきました。

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なので、上の広重の画のように、遊女の部屋からも、
酉の市への参詣人の往行がよく見えます。
この画の左下にはなじみの客が買ってきてくれたのか、
熊手のかんざしが数本置かれています。
中の1本におかめさんと松茸が飾りにあるのは、
吉原だというご愛嬌。

そのためこの日だけは吉原の裏門も開放され、一般の通行が許されるようになりましたので、
日ごろはめったに入れない人々も、遊女見たさに行きますし、
遊女の家族たちも、そっと会いに行くことができました。


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さて右の画では、男は熊手と八つ頭(芋の一種)を持ち、
左の女は粟餅(粟で作った餅)を下げています。

「熊手」は福や金をかき集めるために、
「八つ頭」は子だくさんとか、人の頭となるように、
「粟餅」は黄色いことからそれが黄金に通じるとされ、それぞれに縁起物のおみやげになります。
江戸では、酉の市の熊手は、遊女屋、茶屋、料理屋、船宿、芝居などにかかわる業種の人々が多く買い求めます。


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『江戸浮世人形』にも、「酉の市」があります。
熊手をかつぐのは商家の小僧さん。
お仕着せの縞の着物に紺の股引き、
背中には縁起物のお土産の入った風呂敷を背負っています。
お内儀はお召納戸色の地に、菊花紋散らしの表着。
外出のため着物を帯の下にたくしこみ、帯締めで押さえています。
手に持っているのは防寒用の頭巾ですが、
人手の多さに暑くなったのか脱いでしまったのですね。


ところで、三の酉まであるときは火事が多いといわれますが、
その理由ははっきりしていません。
亭主が酉の市にかこつけて吉原に行くのを、女房が阻むために、
火事が多いから家にいなよ・・・ということが広まっていったと言う説もあります。
さもありなん。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-11-19 20:31 | 江戸歳時記 | Comments(0)