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カテゴリ:江戸歳時記( 73 )

あゆはお好き? 浜崎じゃなく・・・。

鮎の解禁日は、早いとこなら5月中旬。
生まれ育った村から、5村くらい南下したところに、
追良瀬川という鮎のいい川があって、
子どもの頃、親しくしていた別の一家とよく行った。


広い川原で父たちが川に入って竿を振るのを見ていた。
何をしているのか良くわからなかったが、
しばらくすると魚がかかって、大人たちは忙しくなる。
私はただじっと、川の音を聴いている。

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やがて大人たちは、
拾った木切れで焚付けた火の中に石を入れ、
しばらくすると
火の中から石を取り出し、その上に獲れた鮎を置く。
それから味噌をつけ又少し焼いた。
みその焦げるいい匂いが、川原に漂う。
なんてステキなピクニックだったろう。まだピクニックという言葉は知らなかったが。

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江戸時代、相模川の鮎は幕府への献上品だったので、
明治時代に至るまで、厚木から江戸の青山までの青山街道を、
鮎を担いだ人々が歌を歌いながら走って行った。


多摩川の鮎は平安時代から、歌にも詠まれ、
江戸時代になると、「御春屋(おつきや)」といって、
江戸城内で使われる食材や燃料などを管理する場所に、収められた。
これを「御菜鮎」と特別に呼んだ。
ちなみに「御春屋」があったあたりは、現在の毎日新聞社本社のある場所だそうな。



鮎は初夏か秋の落ち鮎。
海に帰った稚魚は、春に5~6センチになって、
再び遡上し、コケを食べて育つ。
夏に上流にいた鮎は、秋には下流に下り産卵する。
これを落ち鮎という。
鮎の一生は1年。だから「年魚」とかいて「あゆ」と読ませる。

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夏は焼き鮎に、たで酢を添える。
たでの葉をきれいに洗い、当たり鉢で当たったら、
中鉢に移し替えて、そこへ酢を注ぎ別の空の器に又移す。
かき混ぜてはいけない。
これを繰り返すと味良いたで酢ができる。


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右の画は豊国の『東都高名会席盡』より。
コマ絵のなかに鮎があり、「中勝(なかかつ)」と書いてある。
「中勝」は鮎料理で有名な甲州街道の新宿の料亭。


「義経千本桜」の三段目で、鮓屋が登場するが、
ここの鮓は鮎の生馴れ鮨。
塩漬けにした鮎と飯を交互に鮨桶に入れて、
重石をすること1ヶ月。
東北や北海道では、これをホッケや鮭、ハタハタなどで作る。
「飯ずし」と言われるものだ。
発酵食品なので、癖が強い。
だが気に入るとクセになる。
       



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by edo-ukiyo-doll | 2011-06-16 10:43 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸でキス!

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
と、芭蕉が奥の細道への旅をスタートしたのは、ちょうど今頃。
「行く春」・・・晩春というとちょっっぴり哀愁も漂いますが、
初夏の幕開け、でもあります。




さて、おいしいもののお話。
4月と5月のはざまなら、
鯛や尼鯛もいいですし、まだ貝類もいけます。
もちろん鰹ですけれど、イカもいいしそろそろキスが、
浅場でもかかるようになりますと、
私の出番です。
こう見えても釣りします。
キスは八十八夜のころに浅瀬近くまで来て産卵までに、
たくさん餌を食べるようになり、江戸湾でもこのころは絶好調なのだとか。



江戸時代はキスをなますに仕立てたりしています。
なますと聞きますと、つい大根なますを思い起こしますが、
本来なますとは、魚介や獣の生肉を細かく切ったものを、
野菜などと和えたものをいい、刺身もこの範疇に入りますが、
なますは最初から味をつけた料理をさします。


キスは煎り酒にして、酢と栗、紫蘇を加えるとあります。
煎り酒というのは、酒に鰹節や梅干、塩、しょうゆなどを加え、
煮詰めて漉したもので、
江戸時代には刺身やなますによく使ったとか。
販売しているので、さっそく求めました。
キスにアワビと大根おろし、栗、しょうが、葉付の柚子を添える、
というのもあります。

江戸のお献立をみてますと、「栗」がやたら出てきます。
縁起のいい食べ物でもありましたが、
なんといっても保存食品ということなのでしょうね。


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キスの画がみつからないので、これはぼらとうど。
ぼらは江戸では人気の魚でした。



さて、GWの頃なら、内房でもちょっとテンダーで出ただけで、
カタがまあまあのキスがかかります。
ついでにメゴチもくるので、これはヌルヌルしてて、
さばくのはちと厄介ですが、
てんぷらにすれば、味と食感は、キスの上をいきます。


キスは開いたのを海水でサッと洗って、
数時間だけ干したのを軽く焼いて。
これはたまりません。
やはりSAKEが合いますね。
なんちゃって、飲めそうなこと言っちゃった。


知り合いの板前さんが、キスは昆布〆もうまいと教えてくださいました。
3枚におろしたら、バットに塩を振り皮を下にして並べ、身にも軽く塩を振る。
しばらくして水分を取り、昆布にはさみ10分くらい冷蔵庫に置く。
細引きにしてカラスミをおろしたのと和える。
おお、からすみ!
ちとお高いわ。
ポン酢でもおいしいですよ。
お好みで。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-28 21:51 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸は潮干狩りの季節


貝のおいしい季節になりました。

旧暦3月3日は、江戸では潮干狩りが始まります。
当時は「潮干(しおひ)」と呼んでいたようですが、
江戸では訛って「ひおし」になるとか。
ずっと以前勤めていた会社の某氏は「ひよしがり」と言っておりまして、
「潮干狩り」自体を知らなかった私は、「日吉がり」とは、
一体いかなるものか、思いは木下藤吉郎へと飛んでしまったのでした。


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その後、それが「潮干狩り」と言うもので、
遠浅で砂の中から貝を掘り起こすという行楽の一つと知って、
これは行きたいものだ、ぜひ、行かねば・・・
と思いつつまだ、そこへ至っておりません。
わが郷里の海は、磯なので夏に磯遊びはいたしますけれど、
砂の中から貝を掘り起こす習慣は無く、
たぶん、浅利、蛤はいないのだと思います。


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  さて、江戸。
  3月から4月、
  今のカレンダーで言えば、
  もうちょっと前から
  6月初旬にかけて、
  (今年は寒い春なので
  今くらいの気候ですね)
  潮干狩りが盛んに行われました。


江戸湾の一番奥、芝浦、高輪、品川沖、佃沖、深川洲崎(現在の木場のあたり)に、
潮干狩りの人々がどっと繰り出しました。
朝早くから船を出し、沖まで参りますと、
卯の刻(午前6時頃)から潮が引き始め、午の半刻(正午頃)には、
海底がすっかり丸出しになります。

そこで、みなワラワラと船からおり、いよいよ潮干狩りの開始です!


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江戸湾はこんな沖まで引き潮になって、
潮干狩りができました。



潮干狩りは行楽ですから、行楽に付き物のお弁当は、
「提重(さげじゅう)」といって、
重箱や酒器、取り皿も組み込まれたランチ・ボックスや、
「弁当重」などの塗りものに、
海苔巻き、ちらし寿司、煮しめに卵焼き、かまぼこ、
和え物などつめて、持って行きます。
また、これらの船には、煮炊きの用意がしてあるものもあって、
その場で調理する風景も見られます。



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ご存知「お富さん」。
「切られの与三」でおなじみ、
歌舞伎『与話情浮名横櫛
(よわなさけうきなのよこぐし)』で、
木更津に預けられた
小間物屋の若旦那・与三郎と、
地元の親分の妾・お富とが
恋に陥るのも、
潮干狩りに出た木更津の浜でした。




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潮干狩りができる浜辺も、年々少なくなっていくような気がしています。
それと今年は災害と、あの収束しない事故のせいでしょうか・・・。
あまり潮干狩りの話題も耳にしませんが、
またきっと、潮干狩りのできる日が来ることを願っています。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-22 20:03 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸の桜~御殿山いずこ

ずっと前から気になっていた「御殿山」。
江戸時代には江戸の3大桜の名所的存在だったのに、
今も地名としては耳にしますが、
桜のことなど全く聞かないのはなぜだろうと、すごく不思議でした。
飛鳥山も、墨田堤もちゃんと残ってるのに、です。
桜満開の御殿山の浮世絵も、た~くさんあります。

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上は広重が描いた御殿山の「夕桜」

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      こちらは北斎の御殿山の桜。



残念ながら、御殿山は無くなりました。
山とはいっても、まあ、丘くらいに思っていた方がいいでしょう。
これがイギリスだったら、「山」だと言い張るかもしれませんが、ここは日本。

御殿山というからには、「御殿」があったのです。
徳川家康が狩や接待に使うために「品川御殿」を造りました。
それ以前に、大田道灌がここに館を構えていたそうです。
そして、家康が入府したときに、江戸城改修のために、
相当量の土が削り取られました。

「品川御殿」は、元禄15年(1702年)に焼失してしまい、
その後は再建されなかったようです
寛文年間(1661~72年)、ここに数百本の桜を植えたので、
眺望に恵まれ、品川の沖のほうまでも見え、
絶好の桜の名所となったのです。


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そして時は飛んで、幕末の嘉永6年(1853年)、
外国から開国を迫られ、天下はまさに、上を下への大騒ぎ。
押し寄せる黒船への備え、防備のために、
大砲を海に向かって設置しなければなりません。
そこで、砲台を作るために一番近い山「御殿山」を削り取って、
目黒川河口に近い海に、砲台を作ったのです。
ここは「御殿山下台場」と呼ばれ、
のちには台場小学校の敷地となっています。

こうして御殿山は、消えゆきました。
ただ広重らの浮世絵が、
御殿山を想像するよすがとなるだけなのでしょう。


これは広重による御殿山と島側の宿を眺めた画。
家康のころ削られても、まだけっこうなお山。
大坂の天保山よりはうんと高い!037.gifにひひ。

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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-06 18:55 | 江戸歳時記 | Comments(0)

桜咲くころに


被災された方々のお辛さを思い、直接手は届かないまでも、
自分にできる何かをしていきたいと思います。

被災したとある町では、自治能力の高さゆえ、
立ち直りも早く進んでいるところがあるそうです。
江戸時代の村の組織系統が、現代にまで受け継がれ、
すばらしい結果を生んでいると聞きました。

未だ復興の動きもできない土地も多くあるでしょうが、
きっと明るさは取り戻しましょう。

これからの復興の未来図には、
江戸のころになされてきた知恵にも、
役立つことがたくさんあるかもしれません。

また、Edo CoCoが、たわいのない江戸の話などで、
お心を和らげる一助となれば幸いです。
これからも、江戸のお話をつづってまいりますね。


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世情の不安と忙しさに忘れかけておりましたが、
なんと桜の季節なのです! 
そこできょうはこんなお話。


以前イギリス人に
「なぜ日本人はそんなに桜に固執するのか、夢中になるのか?」
と問われて、
「日本の桜は咲いてる期間が短い。ゆえに侍の精神、潔さと通じるところがあって好まれるのだ」
と答えようとしたが、
「潔い」という言葉が見つからない。
困った!

でも本当は、桜ははらはらすぐに散ってしまうがゆえに、
もともと武士には好まれなかったのだそう。
ちょうど、椿が好まれなかったように。
それが時代が変わるにつれ、
逆に桜は武士の精神の象徴みたいになっちゃった、
というのも興味深い。


ところで、上野公園は現代でも花見の最高のスポットと言われるが、
(なにが最高なのかは、ご想像にお任せします)
江戸期には途中から、酒宴などが禁止の花見の場所だった。

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これは広重の描いた上野のお山だが、
みなおとなしくそぞろ歩いており、お酒飲んだりしている姿はない。

山同心という役人が厳しく見張っていたので、
それでは息も詰まろうと、
暴れん坊将軍の8代吉宗が、
王子の飛鳥山にたくさんの桜を植え、
庶民が心行くまで楽しめる空間を提供した。





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上の画は飛鳥山の花見の情景。

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上の3枚つづりの画のひだり右を拡大したもの。
右の折の重なりを担いでいるのは、鮨売り。
鮨売りはこのような若衆に多かったもので、
普段は遊里で売り歩くが、正月には町でも売り歩く。




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  左は飛鳥山の桜。

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上の中央部分の拡大だが、富士山の下にたくさんの茶店が見える。
なんとのどかで、楽しそう。





ほんとに、何ゆえ私たちはかくも桜に心惹かれるのだろう?

桜にまつわる思い出を、
誰もがひとつは持っているだろう。

出逢い、別れ、恋・・・。
そしてこの春、何もかも失われてしまった人にも、きっと桜の思い出が・・・・。

人それぞれの思い出を、桜は一身に背負って,
ただひたすら美しく、
今年も咲くのでしょう。










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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-03 17:49 | 江戸歳時記 | Comments(0)

如月の末に立ちたる雛の市

昨日は暖かかったですね。
先週19日は、二十四節季の「雨水(うすい)」といって、
雪が雨に変わり、水もぬるんで「春が来ますよ~~~~!」と、
春のお知らせの日です。
二十四節季というのは、1年を24等分して、
四季をもっと細かく分けたようなものですね。


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そして新暦では、そろそろひな祭りが近づいています。
本来(旧暦)は、今年でしたら4月5日が桃の節句に当たりますが、
そのころでしたら桃の花も開き、桜も咲くころですから、
いかにもひな祭りにふさわしい時期です。

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   ひな祭り(桃の節句)も元は中国のお祝いでしたが、
   日本に入ってきて、平安朝の宮廷では、
   身のけがれを人形(ひとがた)に
   移して、水に流す儀式になりました。
   それは次第に、人形を飾る女の子の
   お祝いになって行きます。
   今日のような、段飾りになったのは、
   江戸時代中期ころからとか。
   詩を詠んで酒を酌む祝い事から
   時代によって形を変え、
   女の子の成長を願うお祭りになったのです。
   「雛祭り 皆ちっぽけな くだを巻き」
   うふふ、白酒で酔っ払っちゃって、かわいいのね!
   子供用の白酒は弱かった・・・・ともききます。


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このお雛様、自分で買って来るのではなく、
親類などから女の子へのプレセントとしていただくのが、しきたりです。
そして、江戸の各地にも、雛の市が立ちましたが、
なんといっても、日本橋の十軒店(じっけんだな)に立つ雛の市は、
もっとも大規模で、その賑わいは、こんな感じでした。


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ここは、現在の日本橋の三越本店から神田のほうに行った大きな通りで、
両側に雛の店があり、通りの中央にも、小屋掛けの店が立ち並びます。
この画は店の中から通りを見ているので、
中央には小屋掛けの店の屋根が見えています。
立派な武家の姿も見えますし、たくさんの人形の木箱が積まれ、
左の階段の下では、せっせと箱に釘を打つ職人。
この通りは、五月には端午の節句の人形やのぼりが、雛人形に取って代わります。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-27 14:27 | 江戸歳時記 | Comments(0)

節分の豆と鬼の話

このところ毎年、節分の日のスーパーマーケットは、
「恵方巻き」なるものの山となります。
「恵方巻き」は1970年代に大阪の、海苔問屋協同組合が、
海苔販売の拡大のために、道頓堀で仕掛けた大イベントが、
マスコミに取り上げられ、
やがて全国のスーパーとコンビニを巻き込んで
全国展開し、この何年かで一気にはやりだしたもののようです。
江戸の末期に、大坂(おおざか)の船場で、
商売繁盛を祈願して始まったと言われますが、
発祥は不明のようです。
バレンタインデーとチョコレートの関係と同じですね。


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 歌川國周画「鬼ハ外福ハ内」 (幕末の浮世絵)


それはさておき、「節分」は本来は年に4回あります。
立春、立夏、立秋、立冬の前日が、すべて「節分」。
季節を分けるので「節分」といいますが、納得です。
では、なぜこの時期の節分だけが残ったのか?
旧暦(太陰太陽暦)では、一年でもっとも大切なのが、
歳神さまをお迎えするお正月。
これがちょうど立春前頃になり、大晦日に節分になったりしました。
上の浮世絵では、お正月の鏡餅などがあって、
正月と節分が、
同じときになっていることがわかります。
今年は、節分の日が元日になります。
ですから江戸では今頃、餅をつく音、正月の物売り、掛取りが走り・・・・
年末のあわただしさのさなかです。


ところで、節分で豆をまくのはなぜでしょう?
これは、日本に古くからある「散米(さんまい)」という神事と、
中国から伝来した「追儺(ついな)」または「鬼やらい」という宮中の行事が、
いつしか民間に広まって、今の形になったものです。


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 『北斎画譜』より。上に〆飾りが下がっている。
 

散米は神社で精霊のために米をまいた行事で、
これが豆に変わっていったようです。
追儺は慶雲3年(706年)に疫病がはやり、
多くの死者をだしましたので、
中国から伝わっていたこの儀式を取り入れ、
「除災招福」祈願をしたのが始まりだとか。

これには、疫病をもたらす悪鬼に扮した人を、
桃の弓と葦の矢で射たり、
鉾(ほこ、長い柄の槍みたいなもの)を持って、
大声で追い回す行事でした。
宮廷では、この行事は平安時代にはなくなってしまいましたが、
寺社が受け継いでいたようです。
そして寺社では「散米」と「追儺」の行事をたくみにミックスして、
江戸時代には節分の「豆まき」が、庶民にも浸透していました。


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「梅幸の豆まき」


ところで追儺には、桃の弓が使われていたのですけれど、中国では古くから、
桃には鬼を退治する霊力があるとされ、
『古事記』にもイザナギノミコトが、鬼に桃を投げるシーンがありますが・・・・
なにかひらめきませんか?
そうです! 「桃太郎」! 
鬼退治に行く太郎は、
なぜ桃から生まれなければいけなかったのか・・・・
なるほど、そんなわけがあったのですね。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-01 22:00 | 江戸歳時記 | Comments(0)

雪だるま

もうすぐ立春とはいえ、
お寒うございます。

この冬は去年の夏の異常気象の影響で、日本海側や北の方では、
積雪がすごくなっています。
雪かき、雪下ろしにはくれぐれも十分なご注意意を。


さて、立春の前日の節分までは「寒」の時季なので、
江戸でもこのころよく雪が降ります。
今年の元日は新暦の2月3日ですが、
浮世絵に見る江戸や、各地の雪景色の多くは、
お正月前のようです。


「雪だるま」は雪が降る土地でしたら、
どこでも作るでしょうね?
もちろん、江戸時代にも雪だるまは作られました。


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      右の母と子の画では「雪だるま」が、
      左にわずか見えています。
      でも、なんだか現代の「雪だるま」とは
      形が違いません?





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子供たちがさまざまな雪遊びをしています。
左側に大きな雪だるま!
これが江戸時代の雪だるま・・・・
本当に達磨の形につくるものなのですね。



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      上の画では右のほうで
      はは~ん、こうやってつくるんだぁ、
      現代の子供たちとおんなじだね!
      と思ったら違います。
      これは雪だるまを作っているのではなく、
      「雪ころがし」といって、
      単に大きな雪だまを作る遊び。


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これも雪ころがし。



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『源氏物語』の台二十帖「朝顔」に、
月明かりの中で、光源氏と紫の上が、
女童らに「雪まろばし」を作らせ見ている・・・・
というシーンがあります。
「まろばし」は「転がし」の古語。
いつの時代も、雪を見れば子等は転がしちゃうんですね!


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雪だるまはこんなに大きくしっかり作られるのですね。
これだけのものを作るには、
道具も力も必要です。

上の画では、雪かきがあって、
手前の男は、高下駄の緒が切れちゃったんですね。
すげようと、持っていた魚を雪だるまにのっけて、
犬が狙ってますね!
お~い、おじさ~ん、
犬に盗られちゃうよ~~~~~~!


江戸の雪だるま、大人が作るものだったのですね。
でも子どもも真似して、ちゃっこいの、
作ってるのではないでしょか?
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by edo-ukiyo-doll | 2011-01-29 12:21 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸も大雪、子らは遊び大人は・・・。

朝、目覚めて一面の銀世界だったりすると、
うれしくなってしまいます。
雪国で、雪下ろしや、雪かきにご苦労なさっているみなさまには、
申しわけありません。
私も雪国生まれ育ちなので、ご苦労はよっくわかります。

それはさておき、
江戸もやはり大雪のときももちろんありました。
そんな朝を描いたのが、下の浮世絵、
「江都(えど)新大橋 雪の朝タ(あした)」というタイトルです。


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大雪に子どもたちは大はしゃぎで、
子守の子どもも、もちろん一緒に遊んでいます。
富士山も雪をかぶり、火の見櫓も木々もなにもかも、雪化粧です。
桶に張った氷を吊り下げて、太鼓にして遊ぶ子、
子守の女の子に、雪玉をぶつけられている酒屋の小僧さん、
中央では、犬にわらじを噛み付かれるわ、
子守の女の子に、髪ををむんずとつかまれるわで、
はだしで踏ん張る男の子。
女の子、強し!
右のほうでは雪ころがしに夢中です。
そんな江戸の朝です。

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こちらは雪の降りしきるなか、
橋の上ですってんころりんのおいちゃん!
左の笠の人がのけぞってるのは、


おいちゃんの下駄がチンを直撃~!
おお、なんという悲劇003.gif 
笑ってはいけないのであります!


橋の上はすべりますからね、みなさまもご注意を。
あ、受験期に・・・・って言ってはいけなかった。

がんばれ受験生!
果報は寝て待てです、あとはよく眠りましょう。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-01-14 06:48 | 江戸歳時記 | Comments(0)

門松は26日から立てはじめます。

お正月とは、なんの行事?
な~んて、思ったことありますか?
「歳神様」を迎える行事なのだそうです。
お正月だから歳神様がおいでになるのではなく、
歳神様を迎えるからお正月があるのです!

そして、歳神様は稲の化身といわれ、
神様は門松を「よりしろ」つまり、
それに乗り移って、松の内の間には、そこに宿っていられるわけです。
諸事情により、門松みたいな大仰なものでなくても、松だけでもいいらしいです。


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日本橋越後屋の門松。


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                                                          右は武家屋敷の門松。

門松のルーツは中国の唐の時代に遡り、
日本には平安時代に伝来したものとか。
最初は松だけだったようですけれど、
戦国時代に、家康が武田を責めあぐねていたとき、
竹を斜めに切って松とともに飾り、戦勝祈願をしたのを機に、
竹も飾るようになった、というエピソードもあります。
ですから、武田家ゆかりの地では、竹は門松に使わないのだとか。

稲わらで作った飾り物です。
上の画の門松についているのがそれ。
こちらは歳神様を迎える場を清め、邪気をはらう効果があるそうです。

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松飾や注連縄、お供えの鏡餅など、
神様関係の飾り物は、
29日は9(苦)が付くためと、
31日は一夜飾りといって忌み嫌います。
基本事項さえ守っていれば、アレンジは自由。
伝統的なのにも、モダンなのにも、
歳神様はきっと降りてこられるでしょう。
たぶん・・・、だいたい・・・そこそこ・・・












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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-27 21:54 | 江戸歳時記 | Comments(2)