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カテゴリ:江戸歳時記( 80 )

雨の紫陽花



紫陽花の 珠となりたし きみが胸の・・・

そのあとがどうしても思い出せない。
高校生のころに読んでいた文芸雑誌に載っていた一首。


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いまは一体どれくらいの種類があるのだろう?
英名ハイドランジア。「紫陽花」とあてるが、
もとは大和言葉で、「集真藍」、
青い花が集まって咲くという意味だったとか。





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   きれいなブルーもあれば、
   やさしげなピンクもある。
   最近では西洋種の
   白く縦に長いものもよく見かける。
   土の酸性度が高いと青くなり、
   低いほどにピンクになるのだそう。




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もとは太平洋沿岸に自生するガクアジサイが原種で、
江戸時代に一気に改良が進み、一般にも広まっていったのだとか。
ということは、日本が原産国なのだろう。



これがヨーロッパに紹介されたのは、
1823年にシーボルトが著した『日本植物誌』のによる とされてきたが、
それよりも早く、1789年にイギリス人のバンクスが、
日本から中国にわたっていたアジサイを紹介したと 物の本にある。



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シーボルトがアジサイに名づけたのが「オタクサ」。
愛人・楠本滝の名を取ったのだとか。
今その名は学名としては使われていないが、
以来ヨーロッパではアジサイの大ブレークを迎え、
「東洋の薔薇」と呼ばれるようになった。


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上の浮世絵は、文化文政期に活躍した
三代目坂東三津五郎。
深川の自宅の庭で紫陽花を切ったところを描いたもの。
三津五郎の替紋である熨斗菱の浴衣を着て
いかにもくつろいだ感じ。



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もう梅雨も明けるにも間近なのだろう。
いま少し、しとしと雨が続くが、
紫陽花もそろそろ終盤といった観。
それでもまだ咲き誇るものあり。
ときにハッと胸をつかれるほどに鮮やかだったりする。

雨と紫陽花。
梅雨もまた愉し。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-08 11:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

七夕に・・・・



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現代の私たちにとっては、七夕は夏の行事ですが、
江戸時代には、秋の行事でした。
旧暦を用いている江戸時代は、夏は4,5,6月。
7月は秋になります。

七夕は牽牛と織女が天の川で逢瀬を楽しむ日。
ところが現代の7月7日は梅雨のど真ん中ですよね?
「五月雨を集めてはやし天の川」状態でしょ?
五月雨は梅雨ですし、五月晴れは梅雨の合間に晴れるから五月晴れ。
やっぱり旧暦じゃないと、季節の行事も意味がなくなります。




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宮中では古くから、
七夕には七百首の歌を詠むなどの遊びをしていましたが、
江戸時代も中盤を過ぎますと、
すっかり庶民の行事になりました。
色紙で作った吹流しや網、紙で作った大福帳やひょうたんに西瓜、
願い事を書いた短冊などで飾り立てた短冊竹を、
屋根に掲げます。



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6日の未明から江戸の空は、この短冊竹で覆い尽くされます。
壮観です!! (いいえ、私は見ていません!)
早朝、子どもたちは里芋の葉にたまった露で墨をすり、
字が上手になりますようにと願いをこめます。
娘たちはお針がうまくなりますようにとか、
恋の願いとか・・・これは和歌に託すのね、
短冊に書いて飾ります。

七日いっぱい飾ると、夕方には全部下ろして、
川や海に流します。


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琴座のベガ(織女)と、鷲座のアルタイル(牽牛)は、
天の川をはさんでデートするのですから、
やっぱり秋の晴れ渡った夜空でなくっちゃ
かなわぬ恋になっちゃうと思いません?




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とは言っても、7月7日であることにも、意味がありますから、
新暦の7月7日に笹飾りをして、お願い事をし、
旧暦の7月7日(今年は新暦8月26日)に、空を見上げ、
天の河原のデートを、拝見いたしましょうか・・・・グッド・アイディア!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-07 12:30 | 江戸歳時記 | Comments(0)

端午の節句

「六日の菖蒲、十日の菊」と申しますけれど、
なんときょうは八日・・・・。
この記事を掲載しようと用意しておりましたのに、
五日に扁桃腺炎で、あえなくダウン。
でもせっかくなので、来年のためと思って、
読んでいただjければうれしゅうございます。
とはいえ、本来端午の節句は、旧暦で行われるのが
季節に合いますので、
今年の旧暦五月五日は、新暦の五月二十八日です。


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五月晴れの空(梅雨の晴れ間)を泳ぐ
広重の鯉のぼりの浮世絵は、
まさに江戸の象徴ですね。

というのも、鯉のぼりは、
町人の武家への対抗意識から生まれました。
武家は端午の節句には、家紋入りののぼりを立てましたが、
町人は鯉をのぼりにすることを思いついたのでした。


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「竜門の滝」を必死に登った鯉が、
霊験を授かって龍になったという中国の故事から、
鯉は立身出世の象徴ですから、
出世の可能性の少ない武家に対し、
努力次第でどんな出世も可能な
町人の「意気地」ですね!

それが今では「こどもの日」となります。
この日には、菖蒲湯に入ります。
いまでは、スーパーなどでも菖蒲だけ、
あるいは菖蒲と蓬をセットにしたものが、売られています。
お散歩のついでに、
きれいなヨモギを摘んで、お風呂に入れてもいいですよ。
ヨモギも邪気をはらいます。
たくさん摘んで、干しておくと、
いつでもヨモギ湯・・・芯から温まり、美肌効果もあり!


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中国の故事にちなんだちまきは、
関西では、端午の節句に欠かせない食べ物です。
平安時代の宮中行事の流れを汲んでいますから。
後で、黄な粉をつけていただきます!

一方、柏餅は、江戸で好まれました。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちず、
「子が生まれないと親は死なない」と解釈して、
子孫繁栄につながるものとしたのです。
でも、柏餅は近年いつでも売っていますので、
ちまきにしました。

少し日がたっても蒸しますと、
やわらかくいただけるのがちまきの良さです。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-05-07 14:50 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸に開いた花菖蒲



人形制作の片手間に、花菖蒲も作っています。
個展においでくださったお客様の間から、
何か記念に変えるものが欲しい・・・
というご要望にお答えすべく、
小さな鉢植えも作っています。
明治期のものと思われる資料を、
江戸時代に作られ今も残っている「堀切菖蒲園」にお住まいの方からちょうだいし、
それをもとに作っているものです。


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   いずれもサイズは、
   花菖蒲の部分が30ミリほどです。→
   これは「古花・仙川(こか・せんかわ)」


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←「古花・竜田川」
花器もすべて、浮世絵に実際に描かれているものを、
立体に再現しています。

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         「これは「かきつばた」
         花菖蒲とは異なります。




花菖蒲は自生するノハナショウブをもとに、
江戸時代の前期からすでに改良が始められていました。
時代が移ろい、幕末近く天保から弘化年間(1830~47年)ころには、
盛んに改良されるようになりました。


その改良に大きな貢献を果たしたのが、
旗本の松平定朝左金吾、のちに自らを松平菖翁と名乗った人物です。
菖翁は父の意志をついで、その生涯を花菖蒲の改良にかけました。
京都町奉行にまでなった人物ですから、けっこうなオエライさんだったわけです。
なんと84歳までご長命でいらしたようです。
その改良の状況記録が10冊ほど残されています。



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            「堀きり花菖蒲」 三代豊国・二代広重画
            当時、堀切菖蒲園は、こんなに広かったのですね!!






さて、花菖蒲は園芸上、
「江戸系」「伊勢系」「肥後系」と、大きく3つに分けられていますが、
これは江戸時代後期、改良が盛んに行われていたころに、
各地で改良が行われたものが、現代に引き継がれているものです。



「江戸系」は尾張藩主、徳川光友が江戸屋敷に各地の花菖蒲を栽培させたのが始まり。
庭や水田などに群植されるもので、
地植えで鑑賞しやすいように丈は高く、
群生して美しく見えるように花は中輪が多い。
また日興や風雨に強く、
花は色が鮮やかなものが多いというものです。



「伊勢系」は紀州藩主吉井定五郎が、
江戸花菖蒲を伊勢松坂に持ち込んだところから始まったとか。
鉢植えとして改良され、繊細で花振りは小さく、
色は淡く花弁はおおらかに垂れて女性的なのが特徴。
「肥後系」も鉢植えにして、室内で鑑賞するものとして改良されています。
こちらは男性的なのだとか。
というのも花容は雄大で花色は鮮やかで、丈が低く、
観賞用として競い合ったといわれます。


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まさに江戸時代、特に後期は園芸ブームに沸き、
投機的にも使われた植物は、
やがてバブル経済をもたらすことにもなりますが、
この話はまたの機会にお話いたしましょう。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-05-02 18:26 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「八十八夜」・・・とはよく聞きますね?
そして、新茶を摘むのもこのころというのも、
ご存知ですよね?
それだけご存知でしたら、もう十分ご存知です。


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長火鉢で手にしているのは「新茶」


ではもちょっとだけ詳しく・・・。
八十八夜は、立春から数えて、88日目です。
立春は2月4日でしたので
・・・・・・・シコシコ(指を折る音)
数えました?
今年は5月2日になります。
八十八夜、節分、入梅、半夏生、土用・・・などを、
「雑節」といって、
中国から伝来した「二十四節季」以外の、
稲作中心の日本独自の
季節の移り変わりの目印のようなもの、
なのだそうです。

♪夏も近づく八十八夜~~♪
という歌をご存知でしょうか・・・?
この歌のタイトルは「八十八夜」ではなく「茶摘」。


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 左は、『東海道名所之内』の「宇治」(二代国貞画)。
 ♪茜だすきに菅の笠~~♪
 の歌のようなこの姿の女性たちは、
 「茶摘ツアー」に参加した人々。
 コスプレ時代ですから、まず衣装から!
 まさにこの歌の通り、立夏はもうすぐ。
 今年は5月5日が立夏です。

八十八夜の頃になりますと、
「八十八夜の別れ霜」などといい、
遅霜の心配もあまりなくなります。
大地がもっとも滋味をたたえるので、
このときに摘んだ新茶を飲むと、
不老不死、無病息災ともいわれます。
江戸時代には、将軍家に新茶を献上する
お茶壷道中が、宇治から江戸に向けて出発します。
このお茶壷道中が、宇治を出立するまでは、
新茶を他に出すことは禁じられていました。


さて、現代に立ち戻って・・・

GWに突入した、きょうの東京は暑かったです。
半袖も出し、ガラスの器も出し、すだれもだしました。
日傘やサンダルも、もう出したほうがいいでしょう。
さまざまなUVカット製品もね!

八十八夜はお茶摘だけでなく、
そろそろ夏の準備をしましょうという頃でもあるのです。
でもまだ梅雨寒もあるかも知れませんから、ご用心。










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by edo-ukiyo-doll | 2009-05-01 13:57 | 江戸歳時記 | Comments(0)

弥生は潮干狩り


4月・・・旧暦弥生の頃は、
1年中でも最も潮の満ち引きの差が大きくて、
満月、新月の前後は大潮となる。
したがって、この頃潮干狩りも盛んになるわけ。

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江戸時代も同じ。
品川、芝浦沖、深川の洲崎、高輪、佃沖など、
二十余町は全面、干潟となる。
早朝に舟を沖まで漕ぎ出し、
朝6時頃から潮は引き始め、正午頃には沖が海底をあらわす。
一面の干潟で、老若男女、ひざ上まで着物をたくし上げ、
いっせいに潮干狩りと相成る。

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ハマグリにアサリ、時にはひらめや小魚が
ばたついている!
「蛤にひらめも混じる大当たり」
とはそんな様子を描いた川柳。
獲った魚介は土産にも、
その場で調理する組もいたり、
うたげはつきものである。


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品川となれば、
潮干狩りと称して遊郭に繰り出す男も多い。
深川の洲崎も明治になってからは、この手が使えた。
「潮干狩り」と称して、洲崎の遊郭へ。
明治22年(1888年)に、根津に東京帝大ができて、
根津にあった岡場所が、この洲崎に移転されたものだ。
ここも大変な人気の場所で、
洲崎弁天を望みながらの風景もよい。


舟には煮炊きの道具が用意され、
女の中には「潮干狩り小袖」といって、
袖丈を極端に短く仕立てた着物を着るものもいる。
てんでに篭を持ち、キャアキャアはしゃぎながら、貝を拾う。
まだ水も冷たい頃だ。
潮風に吹かれ、一日こうして戸外で過ごす。

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ああ、私も潮干狩り、してみたい。
海辺で生まれ育ったのに、潮干狩りの経験がない。
そもそも「潮干狩り」という言葉を聞いたのは、
東京に来てからだった。
津軽で、潮干狩りなんて聞いたことがないもの。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-04-12 21:11 | 江戸歳時記 | Comments(0)

櫻とひな祭り

新暦の現代、雛祭りも、とうに終わり、各地から桜の便りが聞かれます。
江戸時代の雛祭りは、まさに今頃、桜の時期が雛祭りでした。
江戸時代は、旧暦ですから、今年なら3月29日が、3月3日になります。

陰暦3月最初の「巳の日」を「上巳(じょうし)」といって、五節句のひとつです。
後には3月3日と固定しましたが、
「桃の節句」と「雛の節句」などともいいます。
え? 桜の季節なのに、「桃の節句」?
と思われるかもしれませんね。
もともとは中国から伝わった節句ですから、桃の節句。
中国にも桜はないことはないのですが、
桃のほうが多いし、好まれましたし、また桃には違う意味もあります。


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さてこの絵は、文政期(明治になる50年前)に描かれた
英泉の「四季の詠め(ながめ)おさな遊び 三月上巳花見」。
「めんないちどり」という遊びをしているところです。
「鬼さんこちら」みたいなものでしょう、
左の女の子が着ているのは、当時大流行した「蝶々も止まれ」という玩具を
文様化した図柄です。
女の子たちの頭には、桜のかんざしがさしてあります。
高いものではなく、町にやって来る「かんざし売り」から買ったものでしょう。




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こちらの絵は鳥居清長のものですが、
この花入れに飾られている花は、椿に桃、そして桜です。
ちょうど今の時期の花々です。






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そしてこれは、国貞の「風流古今十二月ノ内 弥生」。
豪華なお雛さま、池におしどりも泳ぐ庭には満開の桜!
どこぞの大店のおひな祭りのようです。

江戸を知るためには、文献を探し出して事実を「知識」として
知ることは、たしかに重要なことです。
しかし、「江戸を味わう」こと、「江戸を感じる」ことは
さらに大切なことのように思えます。
こうやって今のカレンダーを、旧暦にスライドさせて、
日本の伝統的な行事は、本来、こうだったのか・・・
と実感していただければ・・・とも思うのです。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-03-28 12:47 | 江戸歳時記 | Comments(0)

此花咲夜姫

西南のほうから、桜の便りがきこえてきます。
でも、今朝は全国的に気温が下がり、
関東でも雪の降ったところもあります。
お花見前に、少しだけ櫻のお話をいたしましょう。


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きょうは、此花咲夜姫のことです
「桜」に関するエピソードが、
歴史書の中に始めて登場するのは、
720年に編纂された『日本書紀』だそうで、
時は402年、帝が池に船を浮かべ酒を酌もうとした時、
盃に一片の花びらが落ちて浮かびました。
「この花の出所はいずこか探れ」とのお言葉に家臣が探し出すと、
それが桜だったとか・・・。

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「さくら」という言葉はどこから来たのかといいますと、
諸説あり、此花咲夜姫(コノハナサクヤヒメ)に端を発する
という説もあります。
此花咲夜姫は『古事記』では木花之佐久夜毘売と、
『日本書紀』では木花開耶姫と表記されますね。

この姫さまはお父さんを、
大山津見神(オオヤマツミノミコト)といい、
此花咲夜姫の姉妹は全部で4人。長くなるので省きますね。


さて、此花咲夜姫の名前は、
宮崎県の木花(きばな)という土地の、さくや姫さまという意味。
ある日、姫は外出中に邇邇芸命(ニニギノミコト)に声をかけられ、
プロポーズされたのですけれど、いったんは断わりました。
しかし嫁ぐこととなったのですが、すでに臨月となっておりました。
ところが邇邇芸命は
「そんなに早く出産するなど、私の子ではない」
と言い張り、
もし此花咲夜姫が出口のない産屋で、
しかも火をつけられても無事に出産することができたら、
自分の子供とみなそう、というヒドイ条件をもちだします。

f0186852_19451012.jpgしかし、此花咲夜姫は無事出産したのです。
三つ子で、これらが
ホスソリノミコト(海幸彦)、
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)、
ホアカリノミコトです。

そして此花咲夜姫は神武天皇のひいお祖母さんになるそうです。
あらま、だんだん迷路に入ってきちゃいましたね。
抜け出さねば・・・。


さてさて、此花咲夜姫のお父さん大山津見神は、
姫に、春になると桜に姿を変えて、
稲の霊として地上に現れるよう命じました。
だから此花咲夜姫は桜の霊といわれるし、
田んぼの神様でもあるわけです。


それで、人々は、
桜の咲き具合によって稲の収穫を占い、
桜の花が美しく長く咲くことを願い、
酒肴を持って山に登り、
花の下で豊作を祈った・・・・・
それが、花見のルーツだという説もあります。

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此花咲夜姫はまた富士山の神様となっていますけれど、
これは近世になってからで、
此花咲夜姫は、全国の浅間神社に祀られています。
山梨県では安産の神様にもなっているとか・・・・・・・。

それにしても、『古事記』や『日本書紀』など、
日本の神話や天皇家のルーツに入り込むと、ここはもう迷路です!
ラビリンスに迷い込みますと、一生抜け出られないとも限りません。
ツルカメ、ツルカメ(笑)
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by edo-ukiyo-doll | 2009-03-26 15:07 | 江戸歳時記 | Comments(0)

小正月


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年もあらたまりまして、本年もよろしくお願いいたします。


さて、全国に残る小正月とどんど焼き

旧暦1月15日は、小正月・・・聞いたこと、ありますか?
いまは新暦で行うところも多いようです。
元日を「大正月」と呼んだのに対し、15日は「小正月」と呼びます。
江戸では7日までを松の内とされたのに対し、上方では15日までが松の内
だったようです。

また小正月は「女正月」とも呼ばれ、お正月に忙しく立ち働いた女連中をねぎらう日でもあります。
それから、餅花といって、柳の小枝に色をつけた餅をつけたものを飾ります。
これは豊作を願う、大切な行事で、「花正月」と呼ぶ地域もあるようですよ。
秋田では、祖母がやっていたのを、幼心にきれいだったな・・・と覚えていますし、
隣近所のおばさんたちが集まってきて、ご馳走を食べ、笑い興じていた記憶もうっすらあります。
またこの日の朝には、あずき粥を食べる地域もありますね。
大阪の知人が、これを好きだとおっしゃるので、作ってみようと思います。

この日はまた、「どんど焼き」とか「左義長」といって、
上の写真のように、竹を組んで、お正月に使った門松や注連飾りを焼き、
それらにお宿りになっていた歳神様を炎にのせてお送りするのだとか。
お盆の先祖のみ霊送りと似てるところを見ますと、
どうやらもともとあった行事が、仏教と結びついた行事らしいです。


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というのも「左義長」とは、
三毬杖とも書き、平安には時代の宮中の行事でした。
「毬杖」は「ぎっちょう」と読みますが、
毬を長い柄の槌(つち)で打つ遊びの道具の長い柄を、
3本用いて先端をくくり、
この上に扇や短冊を掲げて、
陰陽師(占い師)が呪詛を唱えながら焼いて、
その年の吉凶を占ったのが始まりとか。
残念ながら江戸では、
火事の元として禁止されましたけれど、
全国各地にたくさん残っています。

現在は、観光化されたものもありますが、
子どもたちは書初めの書を焼い手上達をねがったり、
この火で餅を焼いて食べると、
病にかからないとかで、子供の行事のとも言われてます。


お住まいの地域では、そんな行事、今もなさっていらっしゃいますでしょうか?









・・
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by edo-ukiyo-doll | 2009-01-14 12:37 | 江戸歳時記 | Comments(0)

秋の七草



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「秋の七草」

上の画は歌川広重作『冨士三十六景』中「甲斐 大月の原」。すすき、桔梗に小菊、おみなえしなど秋の花の中に、すっくりと立つ冨士は、もう雪を抱いているのだろうか・・・。


「萩が花尾花葛花撫子の花
         女郎花また藤袴朝顔の花」
と詠んだのは、山上憶良です。
そしてここには「秋の七草」が読み込まれていて、
この歌さえ覚えれば、ちょっとした物知りに!(かな?)
萩は長い枝に小さな薄紫の花をつけて、風に揺れる風情がいかにも秋。
尾花とはススキのこと。あのふさふさした狐の尾っぽのような穂は花です。
その穂の部分で作ったミミズクで有名なのは雑司ケ谷で、
今でも名産品になっています。

葛はちょっと郊外の山野にまいりますと、
あらゆるものに絡み付いて覆い尽くしています。
この根から取れるのが、正真正銘の葛粉です。花はピンクで小さな可憐な花です。
撫子は英語でピンク。そう、色の名前、「ピンク」の語源となっている花です。
女郎花(おみなえし)は、1メートルもの高さになり、
山野にはたくさん自生しています。黄色い小さな花を平たい状態につけます。
この根も漢方薬では乾燥させ、利尿剤として使われます。

藤袴は今ではあまりなじみのない花ですね。
高さが1メートルくらいになりまして、薄紫の房状の花をつけます。
最後の朝顔の花、というのが少々クセモノでございまして、
じつはこれ、桔梗のことを指す、というのが定説になっています。

この秋の七草は、春の七草が漢方薬として多く遣われるのに対し、
その美しさから、図柄として愛されてきました。
小袖や工芸品、襖絵や屏風絵として今も数多く残っています。

都会にお住まいでも、花屋さんの店先で、ススキや桔梗、女郎花、撫子などが見られます。
もっと自然の中でお住まいなら、
七草以外にもたくさんの種類の野菊や
マツムシソウにリンドウなど、さまざまな花に出会えます。

ほんの一輪でもお部屋の中にあると、
グンと秋が近づいているような気がしますね。
「目にはさやかに見えねども・・・」
秋はもう、ほら、そこまで来ています。
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by edo-ukiyo-doll | 2008-09-17 15:29 | 江戸歳時記 | Comments(2)