「ほっ」と。キャンペーン


今年はなんだか戻り梅雨のようです。
それでもそろそろ、ぎらぎらと太陽が照りつける盛夏ですね。

真夏には、冷房しても、しなくても、
無駄なエネルギーをできるだけ抑えるために、
すだれはとても効果的。

平安時代には、宮廷で調度品、装飾品として使われていたすだれも、
時を経て、江戸時代になりますと、
庶民のあいだでも使われるようになりました。
武家ではもともと年中これを用い、
「御簾中」といえば、宮中もそうですけれど、
御三家、御三卿の御内室、つまり奥方をさします。
すだれは「御簾(みす)」といわれ、高貴な方のお姿を隠す役割をなしていたのです。
「近こう寄れ」といわれても、御簾(すだれ)をめくって
入って行ってはなりませぬ。

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「すだれ」は「簾」と書き、本来はこの字は「す」と読みます。
簾の字は、竹冠に廉・・・「廉」とはたくさん並んだ状態を言い、
「簾」は竹がたくさん並んでいること。
すだれの素材には、竹、御形(ごぎょう)、蒲(がま)、葦などいろいろありますけれど、
本来は、竹であることがわかります。
竹の「簾」を垂らす、吊り下げることから「すだれ」というようになりました。


江戸時代の庶民は、簾が風に揺れるのも、目で感じる涼しさとしましたので、
風に揺れやすいように少し短めにしてあります。
すだれの遮光・遮熱効果を望むのなら、すだれは窓外に下げます。
いまは、100円ショップでもたくさん売られています。
こんな簡単なすだれでも、結構涼しさを演出できます。
すだれを通して入る光もいいものですし、壁にインテリアとして下げるのも涼しげ。

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江戸時代も進み、川遊びが発達しますと、
「納涼船(すずみぶね)」にも下げられるようになりました。
タイトルの歌はこうです。

    吹けよ川風 あがれよすだれ 中の小唄の主見たや

涼しい川風がすだれを吹き上げ、いい喉の小唄のお方が見たい・・・

なんか、粋でしょ?
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-25 15:51 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸の夏の氷




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きのうは「大暑」・・・一番暑いころ・・・でしたけれど、
まるで梅雨の戻り。
夜には肌寒くさえありました。
去年の今頃は、大変な暑さでしたのに。


さて、7月22日は、旧暦の水無月、つまり6月1日でした。
大暑ですから、江戸も暑いことこの上ないわけで、
何とか涼しさを求め、舟遊びに、夕涼み・・・・
そんな庶民とはかけはなれた、将軍家の夏の行事に、
「氷」の献上があります。


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江戸時代、雪の多い加賀藩では犀川の上流と、
城内にも氷室を持っていました。
氷室というのは氷を保存する小屋で、右のイラストのようなもの。
なかには1月に、ぎっしりと雪が詰め込まれ、氷をキープします。

加賀藩では、毎年5月の末になりますと、
江戸に向かって早飛脚を立てます。
8人編成の人足たちが1組となって、随所で全員入れ替わり、
昼夜をかまわず走り続け、通常10日かかる行程を、
なんと半分の5日で走り抜けます。

これが将軍家に献上されるのが、6月1日。
江戸っ子たちはこぞって沿道に立ち、
長持ちに入れられた「お氷さま」からしたたる一滴でも浴びようと、
たいへんな騒ぎです。


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さて、江戸城に到着した氷は、
削られ砂糖水か何かをかけたものを、将軍家が食されたのでしょう。
ちょうど、平安時代の清少納言の『枕草子』に
「削り氷にあまづら入れて新しき金まりに入れたる」を
「あてなるもの」としています。
「あてなるもの」とは高貴なものくらいの意味でしょうか。
平安時代にすでにかき氷があったんですね!

夏の氷が初めて記録に登場するのは、『日本書紀』です。
夏のある日、奈良近郊で領主の氷室を見つけた皇子が、
その氷を天王に献上し、たいそう喜ばれたのだとか。
江戸時代も、天皇家への氷献上も続けられていました。

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では庶民は・・・といいますと、
夏の氷など目にすることもできませんので、
「旧年寒氷をもって製したる餅を食してこれに比らふ」と、
『東都歳時記』の6月1日の項に書かれています。
まあ、息災であるようにとの行事ですから。




ちなみに私は、
午後に苺みるくアイスをいただきました。
シャリシャリがたまりません!

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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-24 12:31 | 江戸歳時記 | Comments(0)

金魚売り



縁日で、金魚がすくえたためしがない。
本来、不器用にできているのだろう。

金魚は中国南部で生まれ、
室町時代の中期頃(1,500年頃)に、
日本にやってきたといわれる。

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江戸時代には養殖技術も発展し、
量産できるようになって、
中期頃になると、庶民でも気軽に買えるようになった。

夏も近づくと江戸の町には金魚売りの声が聞こえる。




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作品の「金魚売り」は、柳の木陰で涼んでいる金魚売りに
子どもが茶碗を手に、金魚を買いに来たところ。
「坊、これかい?」
「そっちの、そのぶちの、それ!」
「おっとっと、これかい?」
「ちがう、そこの、それ!」
「ああ、これか!」
そこで川柳に
「金魚売り 是(これ)か是かと おっかける」



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江戸時代に金魚ブームとなり、
庶民にも金魚が普及したのには、
「金魚玉」が手軽に作られるようになったこともある。
びいどろ・・・硝子の入れ物で、まあるくつくられている。
金魚玉の中で金魚の顔が、グン! と大きくなる。

「びいどろに金魚の鼻のいきつまり」
ははは、まさに!


小さな金魚玉は、狭い長屋にもつるして鑑賞でき、
びいどろの世界を眺め、人々は
いっとき、憂き世の憂さも忘れたのかもしれない。




*註 すべての人形作品の、無断転写・複写を禁じます
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-22 17:22 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸、両国の川開き

毎年、7月の末頃に、東京は隅田川の花火大会が開催されます。
毎夏の楽しみにしているのですけれど、
これは、江戸時代の両国の川開き(旧暦5月28日)
に端を発しています。
江戸では、隅田川以外での打ち上げ花火は、禁止となり、
現代のように、1日だけの花火大会ではなく、
川開きの日から、7月晦日まで、連日のように、
量は少なかったのですけれど、打ち上げられました。


8代将軍吉宗の時代、享保17年(1732年)は大飢饉で、
西日本にイナゴの大群が発生し、凶作となり、江戸ではコロリ(コレラ)も流行しました。
吉宗はこの慰霊と悪病退散を願って、隅田川で水神祭を行いました。
このときに、両国の川端の料理屋が幕府の許可を得て、
川施餓鬼を行うと同時に、花火を打ち上げたのです。

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それ以前から隅田川での納涼は行われており、
明暦の大火・振袖火事で中断されていましたが、
しばらくしてまた盛んになりました。
特に花火が上がるようになってからは、
納涼船の数もおびただしく、
こちらの岸から集まっている船を伝って、
向こう岸までたどり着けたといいます。


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さて左の浮世絵は、
もとは6枚つづりのものを
つないでみました。
まあ、なんとかわかりますよね?
これは川開きの日ですね。
橋上のおびただしい見物客。
この時代の花火は、
現代のものと違って、
実に質素なものでした。
それでも江戸の人々を
熱狂させるには十分でした。



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これは大川端の料理屋で花火を楽しむ一行。







f0186852_21124172.jpgそしてこちらは、両国橋と、
橋の袂にひしめく夜店や
屋台の出店。
これらの見世は、
普段は夕刻までの営業ですけれど、
川開きから3ヶ月間は、
夜半までの営業が許されましたので、
川べりの店々が吊るした
提灯のあかりが川面に映って、
それはそれはきれいだったと
いいます。









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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-18 21:04 | 江戸歳時記 | Comments(0)

夏の宵、ゆかたの艶

近年、また少しゆかたブームになって、
夏祭りや花火大会などは、ゆかた姿をよく見かけます。
着物が見直され、手始めにゆかたを・・・というのは、
着物に親しむには、とてもよい方法ですね。

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           右のゆかたは、
           「源氏香」と「小葵」の文様で、
           「浮線綾(ふせんりょう)」の帯が
           華やかですね。
           かんざしは猫に手毬。
           くわえ楊枝で、ちょっと伝法な女です。


本来、ゆかたはせいぜい、ホームウェアなので、外出着ではないのですけれど、
花火見物や、ちょっとしたおでかけには、ゆかたを着ていけます。
夏の湯上りに、シャキッと糊のきいたゆかたを着ますと、
祭囃子など聞こえ、宵宮に出かけてみたくなったりしますね。


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左は、江戸時代の末頃に流行した
鳥のシルエットを描いたもの。
現代の目で見ますと、
とても奇抜。
こんな柄が、とっても
流行しました。


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右は歌麿の描く、
引き札(広告)のためのゆかた。
「手綱染め」という、江戸時代中期に、
歌舞伎の衣装から、流行した柄です。





ゆかたは、平安時代頃に、当時の入浴は蒸し風呂でしたので、
高貴な方々の入浴の際には、
湯帷子(ゆかたびら)という
麻の単衣(1枚仕立ての着物)をまとって入りました。
これが江戸時代に入って、木綿が流通しますと、
木綿のゆかたが作られ、
湯上りの汗取りとして、湯屋に持っていくようになり、
さらに、湯上りに着るようになり、
それがいつしかホームウエアになりました。


f0186852_219317.jpgのゆかたは、孟宗竹の文様で、
縞模様のアレンジしたもの、と考えられます。
おなじ縦縞でも、こんな柄は、大胆なので、ほっそり見えますよ!
襟と袖口には、紅絹をつけました。


ゆかたが着られれば、着物はすぐに着られるようになります。
ゆかたではなく、単衣はちゃんとした着物ですから、
下着もそれなりにつけなければなりませんが、
ゆかたは麻のシャリ感のあるスリップ式にすると、
とても涼しく着られますよ。



男のゆかた姿も、いいですね!
ゆかたを着てるだけで、簡単に「粋」なんて言ってはいけません。
柄の選び方や、着こなしで、初めて、カッコよくなります。

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格子も、染でできるようになりますと、
格子のゆかたが多くなりました。


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舟遊びの客は、菊花入り鱗合わせ。
船頭は、こうもりの図柄に、
「蝙蝠」の文字を散らしています。
これも、芝居の文様で、団十郎家ゆかりのものです。
この絵は、役者絵ですね。




女性のゆかたは今は1万円程度で、かわいいのが買えたりします。
2,980円で、下駄と手提げの3点セットもみつけましたよ!
着物が着てみたいな~、なんて思っておいでの方も、
こんなところから始めてもじゅうぶんです。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-13 15:21 | 江戸歳時記 | Comments(0)



お江戸の夏の宵は、なかなかに賑わしい。


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大きなちょうちんを下げた男は、辻占売り。
辻で占いをしていたところから「辻占」と呼ばれるようになったが、
辻占売りのスタイルもさまざまで、これは「かりんとう売り」の格好。
元は深川の「山口屋」といって、かりんとうを売る店の委託で、
かりんとうを売っていたのを、
次第にかりんとう売りから、辻占売りになっていったという。

また一説では、最初は辻占だけを売っていたのが、
いつしか、せんべいやかりんとうに、
札をつけて売るようになったというものだ。
夜に、大きなちょうちんを下げ、
「香ばしやかりんとう・・・恋の辻占・・・」
と歌い歩いたそうだ。





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   一方右の写真は「枝豆売り」。
   かの『守貞漫稿』に、
   夏の夜にこれを売る。
   特に貧しい層の人々の生業で、
   売り手は男女両方いるが、
   江戸では女子が多いとある。



時代が少し下ったころのものと思われるが、
「あわれさは 枝豆売りに 首二つ」
という句が残っている。
必ずといっていいほど、赤ん坊を背負っての仕事だったことをいっている。

京阪では「さやまめ」というが、
江戸では枝付きのまま売るので「枝豆」と呼ばれる。

辻占は年間を通してあったが、
枝豆売りは当然、夏だけの風物詩となる。






*註 すべての人形作品の、無断転写・複写を禁じます。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-13 00:51 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

雨の紫陽花



紫陽花の 珠となりたし きみが胸の・・・

そのあとがどうしても思い出せない。
高校生のころに読んでいた文芸雑誌に載っていた一首。


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いまは一体どれくらいの種類があるのだろう?
英名ハイドランジア。「紫陽花」とあてるが、
もとは大和言葉で、「集真藍」、
青い花が集まって咲くという意味だったとか。





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   きれいなブルーもあれば、
   やさしげなピンクもある。
   最近では西洋種の
   白く縦に長いものもよく見かける。
   土の酸性度が高いと青くなり、
   低いほどにピンクになるのだそう。




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もとは太平洋沿岸に自生するガクアジサイが原種で、
江戸時代に一気に改良が進み、一般にも広まっていったのだとか。
ということは、日本が原産国なのだろう。



これがヨーロッパに紹介されたのは、
1823年にシーボルトが著した『日本植物誌』のによる とされてきたが、
それよりも早く、1789年にイギリス人のバンクスが、
日本から中国にわたっていたアジサイを紹介したと 物の本にある。



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シーボルトがアジサイに名づけたのが「オタクサ」。
愛人・楠本滝の名を取ったのだとか。
今その名は学名としては使われていないが、
以来ヨーロッパではアジサイの大ブレークを迎え、
「東洋の薔薇」と呼ばれるようになった。


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上の浮世絵は、文化文政期に活躍した
三代目坂東三津五郎。
深川の自宅の庭で紫陽花を切ったところを描いたもの。
三津五郎の替紋である熨斗菱の浴衣を着て
いかにもくつろいだ感じ。



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もう梅雨も明けるにも間近なのだろう。
いま少し、しとしと雨が続くが、
紫陽花もそろそろ終盤といった観。
それでもまだ咲き誇るものあり。
ときにハッと胸をつかれるほどに鮮やかだったりする。

雨と紫陽花。
梅雨もまた愉し。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-08 11:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

七夕に・・・・



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現代の私たちにとっては、七夕は夏の行事ですが、
江戸時代には、秋の行事でした。
旧暦を用いている江戸時代は、夏は4,5,6月。
7月は秋になります。

七夕は牽牛と織女が天の川で逢瀬を楽しむ日。
ところが現代の7月7日は梅雨のど真ん中ですよね?
「五月雨を集めてはやし天の川」状態でしょ?
五月雨は梅雨ですし、五月晴れは梅雨の合間に晴れるから五月晴れ。
やっぱり旧暦じゃないと、季節の行事も意味がなくなります。




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宮中では古くから、
七夕には七百首の歌を詠むなどの遊びをしていましたが、
江戸時代も中盤を過ぎますと、
すっかり庶民の行事になりました。
色紙で作った吹流しや網、紙で作った大福帳やひょうたんに西瓜、
願い事を書いた短冊などで飾り立てた短冊竹を、
屋根に掲げます。



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6日の未明から江戸の空は、この短冊竹で覆い尽くされます。
壮観です!! (いいえ、私は見ていません!)
早朝、子どもたちは里芋の葉にたまった露で墨をすり、
字が上手になりますようにと願いをこめます。
娘たちはお針がうまくなりますようにとか、
恋の願いとか・・・これは和歌に託すのね、
短冊に書いて飾ります。

七日いっぱい飾ると、夕方には全部下ろして、
川や海に流します。


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琴座のベガ(織女)と、鷲座のアルタイル(牽牛)は、
天の川をはさんでデートするのですから、
やっぱり秋の晴れ渡った夜空でなくっちゃ
かなわぬ恋になっちゃうと思いません?




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とは言っても、7月7日であることにも、意味がありますから、
新暦の7月7日に笹飾りをして、お願い事をし、
旧暦の7月7日(今年は新暦8月26日)に、空を見上げ、
天の河原のデートを、拝見いたしましょうか・・・・グッド・アイディア!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-07 12:30 | 江戸歳時記 | Comments(0)