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肌寒いこんな夜には・・・・・しちりん



こんな夜にはあったか~いお話。
しちりん! 「七輪」とか「七厘」と書きます。
似たものに火鉢がありますが、しちりんは移動式調理用コンロ。
あくまで調理用ということらしいです。
「こんろ」という言葉はすでに元禄時代(1688~1704年)には、
読み物に登場しているとか。

しちりんといって、現代の私たちが思い描くのは、
円形の土でできたようなアレ。
アレの素材は珪藻土ということです。
軽くて耐火性が高く、赤外線を出すそうで、特に焼き物にいいのだとか。
つまり、秋刀魚を焼けということね!
江戸時代も面に長屋で愛用され、秋刀魚やめざしが焼かれ、
ご飯もお汁もこれで炊かれたのでしょうね。




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上の画は、明治時代に描かれたものですが、江戸時代そのままです。
お勝手の上がりかまちに、四角いしちりんがみえています。




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上の画は天保期、江戸時代末期の一人暮らしの男の家の様子。
奥には据付のかまどが見えていますが、コンロもあるのですね。




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上の絵は、台所の奥にやはり据付のかまどがあるのに、
移動式のコンロがあり、炭でなく、焚口から細い薪が見えています。



「しちりん」と言われるのは、燃費がよく一日に燃料代が7厘で済んだからとか。
1厘は1円の1,000分の1、明治期の貨幣単位なので、
明治期からの呼称かもしれません。
あるいは、炭を置く火棚に孔が7つあいているからだとか。
いずれにせよ、いまもあまり変わらない形です。
長四角のしちりんをテレビで見ました。
あれが欲しいな。
やっぱり秋刀魚を焼きます。
焼きとりもいいし、焼き網でお餅やきのこも焼くと、
きっとおいしいね!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-24 12:34 | 江戸ぐらし | Comments(1)

深まりて秋。灯火親しむ。.

というわけで、江戸の明かりから、
照明器具、行灯と提灯の浮世絵を。

江戸時代に入ると、木の枠に紙を貼った行灯が考案され、
風にも強い照明器具が登場します。
行灯は次第に工夫を加えられて、さまざまな形が生まれます。
ろうそくはとても高かったので、庶民は油を使った行灯を使います。
菜種油は高価なので、もっと庶民はイワシの油なんか使いました。
相当臭かったらしいです。
行灯の明るさは、60Wの100分の1(裸火なら50分の1)ほど。


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    この丸い形の行灯は、「遠州行灯」と呼ばれ、
   紙を張った側面の一部がくるりとスライドして、
   裸火で明るくなります。
   で、この娘さんは裸火で読書中ですね。



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これは春信の画ですけれど、
嫌がる子供を
何とか蚊帳に引き入れようとお母さん。
向こうに見えているのは、角行灯。




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ずいぶん青い浮世絵でしょ?
(と思ってアップしたら、黒くなっちゃいました )
これは幕末の前期頃、「ベロ藍」と呼ばれる青色が輸入され、
絵師たちはその鮮やかさに魅了され、
こぞってベロ藍(ベルリン藍)を使いました。
広重の空の青もこれです。
この青い浮世絵は、新吉原の遊女で、吉原特有の提灯が見えています。
各楼(遊女屋)の名前が入っています。





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これは、外出するときに持ち歩くぶら提灯。
墨堤を夜桜見物としゃれ込んで、
遅くなった客の見送りをしている仲居は、
高名料亭のひとつ
「小倉庵」の提灯を下げています。



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へたっぴぃで、申し訳ない。
自筆の「あかり」のスケッチブック。
浮世絵などで照明器具を見つけたら、
こんな風にスケッチしておくと、
制作に役立ちます。



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上の浮世絵は新吉原の、座敷風景。
不夜城吉原は日に千両(まあだいたい1億円)稼ぐ、
吉原ではもちろん、百目ろうそくの燭台を使ってます。


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右は春信画。
夜陰に紛れ、梅の枝を折ろうとしている彼に当たる
石灯籠の明かりを、振袖で覆っている娘。
ほほえましい「共犯」の香り!






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なにやってるかわかります?
早い話が、影絵です。
酒宴などで、こんなことをして遊んでいた江戸人たち!
みんなして、まるっとおバカです!
ここまで実際やったかどうかはわかりませんが、
かなりやったと思います。
こんなおバカも、今になってみれば立派な江戸文化!
みなさまも、後世に文化として残るおバカなこと、
秋の夜長に、やってみてはいかがでしょう?









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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-19 17:04 | 江戸ぐらし | Comments(0)

ホームページを開設いたしました。

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いつも、Edo CoCoブログをご訪問くださいますみなさま、
ありがとうぞんじます。

このたび、岩下深雪のホームページ「Edo CoCo」が、
出来ましたのでお知らせ申し上げます。


http://edoukiyoningyou.edo-jidai.com


今後ともよろしくお願い申し上げます。


                            「江戸浮世人形」
                                  岩下深雪








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*註 すべての人形作品の、無断転写・複写を禁じます。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-18 17:27 | ごあいさつ申し上げます | Comments(0)

九里四里うまい十三里。江戸の焼き芋

江戸時代から変わらぬ食べものが、こんなに身近にありました。
そう、その名は「焼き芋」。
今はスーパーでも石焼芋を売っていて、
昨日買った石焼芋が,なんと、まだ生だったのです。
もちろん返しに行きました。
それで江戸の石焼芋事情を少々、と思った次第。

中南米が原産地のさつま芋は,
中国経由で琉球国に入ってきました。
そして薩摩に伝わって、「さつま芋」となったわけですが、
京阪では「琉球芋」って言います? 
幕府は享保20年(1735年)に、
薩摩から種芋を取り寄せて、これを
青木昆陽センセイに栽培させました。
センセイはまんまと成功し、
飢饉対策プロジェクトの一環として、幕府はさつま芋の栽培を、
全国展開したというわけです。




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焼き芋は意外なことに京都で始まりました。
それがずいぶん後になって江戸に伝わり、江戸に焼き芋屋が出現したのは
寛政(1789~1800年)頃といわれています。
上の浮世絵は、3代豊国描くところの焼き芋屋。
かまどの上部に芋を並べ木蓋をし、下からの火で焼いているのがわかります。



江戸の諸事情ガイドブックともいうべき『守貞漫稿』には、
江戸には焼き芋屋が少なく、焼き芋は木戸番小屋で売ることが多いとあります。
木戸番というのは、町々の境に設けた木戸の番人のことです。
これを「番太」と呼び、町から出している給金があまりに微々たる物なので、
木戸番小屋では、駄菓子、わらじ、箒などの
日用雑貨を売っても良いことになっていました。

そこで夏には金魚、冬は焼き芋を売っていたのです。
ふつうの駄菓子屋では火を使って商売することは、禁じられていました。
でも木戸番なら火の用心の仕事もしますから、特別に火を使うことを許されたのです。
木戸番の仕事というのは、木戸の番だけでなく、夜中はずっと町内を
「七ツ半でござい」チョンチョンと、拍子木を打って夜回り兼時刻のお知らせをします。
ですから、お上も焼き芋売ってよし! としたのでしょう。




f0186852_20521886.jpg右の画は『東都歳時記』という江戸時代の本の挿絵です。

さてさて、江戸のご婦人方はこれを「おさつ」と呼び、幕末近く天保の頃には、
焼き芋は大ブレークしました。
1本4文、およそ80~100円くらいでした。
江戸では「〇焼き」とか「八里半」と書いた置き行灯を出しています。
「〇焼き」は「一本丸ごと焼く」という意味、「八里半」は「九里(栗)に近い味」という意味。
ところが「九里四里うまい十三里」とうたった人がいて、
焼き芋人気はますます天高く上っていったといいます。
秋、天高く・・・、おお、食べ過ぎに注意しましょう!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-17 20:55 | 江戸の食べ物 | Comments(0)

新蕎麦は恋の味


「新蕎麦は恋の味」・・・・そんなの、うそ、ですやん!
でも、新蕎麦食べにいって、
相席になった人と恋におちることも無きにしにあらず・・・。
「あら、ごめんあそばせ。私のお葱、そちら様のお蕎麦の上に・・・」
「ああ、いえなんのなんの。葱も美人につままれて、喜びすぎたのでしょう、ははははは」
「んまあ、おじょうずな、おほほほほ」

はい、おバカはさておき、
江戸っ子はやっぱり「新蕎麦」に走りました。
初物を食べると七十五日長生きするといわれるその上に、
蕎麦は長寿の食べ物。
となったら、当然、まず江戸っ子は走ります。
蕎麦屋もきそって玄蕎麦を仕入れ、
「新蕎麦」の札を店先に掲げますから、それを見たら、もうたまりません。

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   「新蕎麦のかけ札早し呼子鳥」
   これは、かの酒井抱一の句。
   播州姫路のお殿様の次男ですが、
   この時代の文化的サロンの代表者です。
   呼子・・・人を呼んだりするときの、小さな笛のように、
   「新蕎麦」の札は人を呼ぶのに、すごい効果!
   ってなとこでしょうね。



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    これは歌舞伎の「鬼あざみの清吉」の夜蕎麦売り。


醤油が全国的に普及するのは、江戸時代も後期になってからです。
それまでは、もっぱら大根おろしに味噌を加えた
タレで食べていたようです。
醤油が普及しても、やはり蕎麦には大根おろし
という人が多かったのでしょう。



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かわいい大根ざむらいが、蕎麦屋の前で。


ところで、現代のお話です。
それほどの蕎麦っ喰いではありませんけれど、
新蕎麦の札を見ると、ついフラフラと・・・・。
ところが、「新蕎麦がうまい」というなら、
他の季節の蕎麦はまずいのか? とおっしゃる
蕎麦屋のご主人がおいでのようで、
そういわれても・・・・・モジモジ・・・としてしまいます。
一口に新蕎麦といっても、
北海道から九州まで9月~11月に、
蕎麦がとれるので、どれをして「新蕎麦」というのか・・・・
なのだそうです。


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江戸の更科とか、御前蕎麦もいいけれど、
ずいぶん前に信州の白骨温泉への途中でいただいた
いかにも蕎麦の産地らしい、黒くて太目の蕎麦、十割蕎麦は
今でも、もう一度あれがいただきたいな~と
思うほどのうまさでした。


ああ、やっぱり新蕎麦・・・・ちょいと心が惹かれます。

あなたのおそばの、お蕎麦はいかが?
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-15 12:12 | 江戸の食べ物 | Comments(0)