「ほっ」と。キャンペーン

お正月とは、なんの行事?
な~んて、思ったことありますか?
「歳神様」を迎える行事なのだそうです。
お正月だから歳神様がおいでになるのではなく、
歳神様を迎えるからお正月があるのです!

そして、歳神様は稲の化身といわれ、
神様は門松を「よりしろ」つまり、
それに乗り移って、松の内の間には、そこに宿っていられるわけです。
諸事情により、門松みたいな大仰なものでなくても、松だけでもいいらしいです。


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日本橋越後屋の門松。


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                                                          右は武家屋敷の門松。

門松のルーツは中国の唐の時代に遡り、
日本には平安時代に伝来したものとか。
最初は松だけだったようですけれど、
戦国時代に、家康が武田を責めあぐねていたとき、
竹を斜めに切って松とともに飾り、戦勝祈願をしたのを機に、
竹も飾るようになった、というエピソードもあります。
ですから、武田家ゆかりの地では、竹は門松に使わないのだとか。

稲わらで作った飾り物です。
上の画の門松についているのがそれ。
こちらは歳神様を迎える場を清め、邪気をはらう効果があるそうです。

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松飾や注連縄、お供えの鏡餅など、
神様関係の飾り物は、
29日は9(苦)が付くためと、
31日は一夜飾りといって忌み嫌います。
基本事項さえ守っていれば、アレンジは自由。
伝統的なのにも、モダンなのにも、
歳神様はきっと降りてこられるでしょう。
たぶん・・・、だいたい・・・そこそこ・・・












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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-27 21:54 | 江戸歳時記 | Comments(2)

だからどうした? と聞かれると困るのですけれど、
夏至と比べると、なんと昼間の長さが6時間半近くちがいます。
だからかぼちゃを食べて、柚子湯に入り、夜に備えます。
ウソです(ニヒ)。


冬至にかぼちゃを食べる風習は、江戸中期から始まったらしいです。
カロチンが豊富なので、体内でビタミンAに代わり、肌や粘膜を強くして、
感染症などへの抵抗力を高めるので、
風邪を引かない・・・ということになったのだとか。
もちろん、江戸時代にそんなことはわかってはいませんでしたけれど、
経験的に冬にカボチャを食べるのはいいと知っていたのでしょう。


「ん」や「と」の付くものを食べる風習の土地もあります。
れんこん、だいこん、にんじんとか・・・・ん、
とうふ・・・と。
理由はわかりません。
ほかに、あずきや赤飯を食べるところもあるそうです。



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柚子湯は柑橘類特有の、皮に含まれる精油成分が、
血行を促進して、身体の芯から温まり、冷え性に効果バツグンです。
柚子湯は、もともとは冬至の日にお湯を沸かして髪と身体を洗っていたのが、
始まりといわれています。
冬至は湯治に通じることから、身体の悪い部分を治すとか、
ゆず(柚子)はゆうずう(融通)がきく、などの縁起担ぎからできた風習のようです。

きのう、高知のアンテナショップで、ゆずを一個いただきましたよ。
おとといはスーパーで安いゆずをたくさん買っておいたので、
こちらはゆず湯にし、土佐のいいゆずはお料理に使います。
あとはかぼちゃを昆布で炊いて、ホクホクをいっただきま~す!

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ゆず湯やかぼちゃの浮世絵がないので、
カボチャを食べようとしている私の画です。
ほんとは私ではありませんが、よく似てます。
「お多福」さんです。
幸運をもたらしまっせ(^^)Y
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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-22 13:10 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「歳暮の雪」

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十二月、「師走」と書くのは、師匠も駆けずり回るほど忙しい月、という意味ではなく、
本来、この「師」は僧侶のこと。
お盆と同様に、年の暮れにも先祖のため、僧侶に経を唱えてもらうので、
師、つまり僧侶が駆けずり回る、と言う意味である。 

師走はお歳暮の時期だが、江戸時代にもお歳暮は盛んに贈答されていた。
武家は上司に、商人はお得意様に、また庶民はお世話になった方々に贈る。
鴨や鶏、鮒や干魚、塩魚、中でも新巻鮭や数の子は、当時も贈答の品のトップにあり、
これは年神様にお供えするお神酒の肴とするためといわれる。
江戸時代には、じかに先様に届けるのが慣わしだった。
国貞による『東叡下歳暮の雪』をもとに作ったこの作品の女も、
あいにくと雪の中歳暮を届けに、東叡山、
つまり上野の山のすそに差し掛かった、というところか。

なお、タイトルになっている「歳暮の雪」の「歳暮」は
ギフトの「お歳暮」のことでなく「年の暮れ」を意味するもの。




〈制作こぼれ話〉
この作品の大変だったのは、雪の見せ方です。
どうやったら雪がふんわりと積もっている感じが出せるだろうか・・・?
塩やらクリスマスに使うスプレー、発泡スチロールの粒・・・・
いろいろ考えましたが、結局、昔、映画やスタジオで使っていた綿を使いました。

担いでいるのは新巻鮭ですが、
新巻鮭の写真や、北斎の画がとても参考になりました。
見たままそっくりに作っていけばよいので、
それほどたいへんではありません。
皮の光った感じをだすには、ヒミツの絵の具を使います〈笑〉。

いちばん大変だったのは、キモノの枚数の多さ!!
すべて粘土で作りますので、気が付いたらダルマみたいになってる・・・
なんてこともあり、つねに全体のバランスを見ながら成形します。
これがけっこう大変なんですがな。
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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-20 16:56 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

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3代豊国画「仮名手本忠臣蔵・十,十一段目」



時は元禄15年、12月14日・・・・
みなさまご存じ(ご存じない方もおいでですね)、
赤穂の浪士、吉良邸討ち入りの日です。
この時期になりますと、ときどき
「雪を踏みしめサク、サク、サクサクサク・・・・・」
とつい口をついて出てしまいます。


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3代豊国画「於加留」       

国芳画「5段目・定九郎、勘平」



『忠臣蔵』という話に惹かれるのは、
あだ討ち物が好きなわけでも、討ち入りにワクワクするわけでなく、
四十七人それぞれに物語があり、
彼らを取り囲む人間模様、大工の娘から将軍まで、
またそれぞれに人生があり、
それをスパッと切った断面を見せてくれるからなのです。

古い映画で『グランド・ホテル』というのがあります。
「ホテルには100の扉、ひとつの廊下があり、部屋の数だけ物語がある」
映画の中で、そう語られます。
『忠臣蔵』または『赤穂浪士』の魅力は、まさにそこにあります。
あるいはアガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』。
容疑者一人ひとりの人生が描かれ、そして静かに、
殺人=討ち入りへと、突入していきます。



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北斎画「浮絵・忠臣蔵夜討之図」


みなそれぞれに、悩み、苦しみ、惑い、ほのかな希望を持ち、挫折し、決断を迫られ・・・・
人間とはかくも愛おしいものなのか・・・・
長い間に話は誇張され美化され、事実とはかけ離れたかもしれません。
たとえば、寺坂吉右衛門は四十七士に入れないという説もあります。
彼は吉田忠左衛門の足軽でしたので、武士ではありませんでした。
遁走されたといわれ続けていましたが、
大石内蔵助の命を受け、瑶泉院に報告し、83歳で没するまで、
遺族たちのために奔走し続けたとも解釈され、
池宮彰一郎の『最後の忠臣蔵』に描かれます。

またこれも、逐電されたとされる赤穂藩国家老・大野九郎兵衛も
悪人扱いされ続けてきましたけれど、
いやいや、実は・・・・
かれもまた、大いに注目すべき人物でしょう。
天野屋利兵衛にいたっては、この人を中心に、
赤穂浪士の話を作っても面白そうです!


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国貞画「大橋力弥」




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国貞画「堀部弥兵衛と安兵衛」





吉良邸跡や泉岳寺に詣でる趣味はありませんけれど、
四十七士に関係した人々もまた、とても魅力的です。
今のところ、吉良邸討ち入りの日、蕎麦屋の二階に集結したとされますが、
果たしてこの頃店として蕎麦屋があったか・・・疑問です。
そんな、さまざまな興味を投げかけるこの事件は、
いつの世にも人間の普遍性を内包して、
人々を惹き付けるのでしょう。
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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-14 19:34 | 江戸歳時記 | Comments(0)


はやいもので、きょうはもう師走の13日。
大掃除の日です。
なんてきくと、ビックリなさるでしょ?
江戸ではこの日は「すす払い」の日とされていました。
江戸時代の初期に、幕府がこの日を「すす払い」と決め、
それが庶民の間にも浸透したようです。

師走の大掃除は、日本人のきれい好き・・・・からではなく、
歳神様をお迎えするための、清めの行事から始まったものです。
歳神様とは、正月にやって来られ、
「恵方神」や「歳特神」などとも呼ばれています。
八百万の神がいるとされるJapanですが、
この神様は、五穀豊穣をもたらすので、
稲作民族には、もっとも大事な神様ってわけですね。

ですから、この歳神様をお迎えするに当たって、
その場を清めることから始めます。
「事始め」とは、神様をお迎えする準備事を始めることを指すのです。
決して、習い事を始める意味ではありません。

この日は商家でも、すす払いをします。
昔は、煮炊きなども薪を使っていましたので、煤が出ますし、
埃なども煤同様、すす竹といって、
細いタケの先っぽに笹の葉がたくさんついたもので、
壁も天井も梁も、これを使ってすすを落とします。

すすを払い、汚れを落とすことは、
「けがれ」を落とすことでもあったのでしょう。
商家では、その家の主を胴上げするのが慣わし。
なぜだかはわからないそうです。
これも神様をお迎えすることと関係があるのかもしれませんね。

この日は、もちや蕎麦、酒などが振舞われますし、
鯨汁を食べる習慣のある地方もあったとか。

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この画では、すす払いのために、
結び飯や煮しめが用意されています。
あらら、つっかえちゃった!



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上の画は、まさにすす払いの日の商家を描いています。
左下では、かまどの煤を払っています。
その上には、店の上がりかまちには岡持ちがいくつもあって、
男が蕎麦かうどんか、すすっていますね。
酒もすすめている様子もありますし、
外では畳の表替えが終わったのか、たくさんの畳が見えます。
左端には、すす竹を担いだすす竹売りが通ります。

おお、すす竹売りですか・・・・・。
明日は12月14日・・・・。

宝井其角がすす竹売りに扮した大高源吾と、
両国橋で出会ったのはまさに12月13日。
源吾の落ちぶれた姿が痛々しかったのです。
其角はそれをあわれみ、
「年の瀬や水の流れも人の身も」とよみますと、
源吾はこう応えます。
「あした待たるるその宝船」
落ちぶれているはずの源吾の顔は、晴れやかだったに違いありません。

きょうはすす竹売りの声が、江戸の町に響いていたことでしょうね・・・・。

そう、明日は赤穂の浪士討ち入りの日です。
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by edo-ukiyo-doll | 2010-12-13 23:28 | 江戸歳時記 | Comments(0)