「ほっ」と。キャンペーン

昨日は暖かかったですね。
先週19日は、二十四節季の「雨水(うすい)」といって、
雪が雨に変わり、水もぬるんで「春が来ますよ~~~~!」と、
春のお知らせの日です。
二十四節季というのは、1年を24等分して、
四季をもっと細かく分けたようなものですね。


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そして新暦では、そろそろひな祭りが近づいています。
本来(旧暦)は、今年でしたら4月5日が桃の節句に当たりますが、
そのころでしたら桃の花も開き、桜も咲くころですから、
いかにもひな祭りにふさわしい時期です。

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   ひな祭り(桃の節句)も元は中国のお祝いでしたが、
   日本に入ってきて、平安朝の宮廷では、
   身のけがれを人形(ひとがた)に
   移して、水に流す儀式になりました。
   それは次第に、人形を飾る女の子の
   お祝いになって行きます。
   今日のような、段飾りになったのは、
   江戸時代中期ころからとか。
   詩を詠んで酒を酌む祝い事から
   時代によって形を変え、
   女の子の成長を願うお祭りになったのです。
   「雛祭り 皆ちっぽけな くだを巻き」
   うふふ、白酒で酔っ払っちゃって、かわいいのね!
   子供用の白酒は弱かった・・・・ともききます。


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このお雛様、自分で買って来るのではなく、
親類などから女の子へのプレセントとしていただくのが、しきたりです。
そして、江戸の各地にも、雛の市が立ちましたが、
なんといっても、日本橋の十軒店(じっけんだな)に立つ雛の市は、
もっとも大規模で、その賑わいは、こんな感じでした。


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ここは、現在の日本橋の三越本店から神田のほうに行った大きな通りで、
両側に雛の店があり、通りの中央にも、小屋掛けの店が立ち並びます。
この画は店の中から通りを見ているので、
中央には小屋掛けの店の屋根が見えています。
立派な武家の姿も見えますし、たくさんの人形の木箱が積まれ、
左の階段の下では、せっせと箱に釘を打つ職人。
この通りは、五月には端午の節句の人形やのぼりが、雛人形に取って代わります。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-27 14:27 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「金唐革」・・・ご存知でしょうか?
では、「金唐革紙」はいかがでしょう?
ふたつとも、自分で写した写真がないので、
掲載できなくてごめんなさい。
仕方ないので、ご想像くださいね。

「金唐革」とは、古くヨーロッパで発明された革の加工品で、
早い話が、革で作った超高級壁紙。
画家のボッティッチェリによって作られたといわれている。
なめし革に金属箔を張ってニスを塗り、
模様を彫った金属の型の上においてプレスすると、
模様が浮き上がる。
つまり、エンボス加工というものになる。
これに彩色をして完成。
美しい上に、湿気や光線に強く、自然劣化もしにくく、
虫にも強くて耐久性は抜群だ。
だから当時の世界の大富豪メディチ家が庇護し、
大いに発展し、イタリアルネサンス期から
フランスロココ期までの3百年を生き抜いた工芸品である。

これが日本にもはいってきたのは17世紀半ば。
何しろ数が少なく貴重なものだから、
日本では分割されて、刀の柄や武具、
煙草入れとなって、金持ちの男たちを飾った。
輸入禁止となってますます希少価値が高まるが、
でも欲しい、あのカッコいい金唐革の煙草入れ欲しー!
と当時の男どもは思ったわけだ。




そこで登場したのが平賀源内。
彼は金が欲しかった。
なんたって安永3年(1774年)に秩父鉱山での失敗で、
何とかしてその穴を埋めなければならない。
思いついたのは、当時大流行だが庶民には手の届かない、
金唐革。
安永7年、和紙を用い、浮世絵の木版の技術を応用して、
空摺りして凹凸を出し、この上に漆を塗ってみた。
結果は失敗だった。
源内さんはこれで一山当てようとしたが、
これもダメだった。

幕末近くなって、ヨーロッパの館や宮殿が、
リニューアルの時期を迎えると、
壁からはがした金唐革が大量に日本にはいってきて、
猫も杓子も金唐革となった。
皮肉なもので、金唐革を紙で作ろうとした成果が、
明治時代になって実を結び、
日本製の「金唐革紙」はウィーン万博で大当たりを取り、
ヨーロッパで大流行した。
ロンドンのバッキンガム宮殿の壁も、
日本の「金唐革紙」で覆われたという。

バッキンガム宮殿にいらしたら、
この話を思い出し、穴のあくほど「壁紙」ごらんになってね~!
見すぎて「穴」あけないようにね~(笑)







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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-17 19:07 | ああでもねえこうでもねえ | Comments(0)

「花桶」


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この作品は寛保・延享(1741~48年)の頃の
吉原の高級遊女の姿。
髪は兵庫髷。
表着(一番上に着ている着物)の文様は、「花入亀甲」と「雪輪散らし」。
中着(表着の下の着物)の「亀蔵小紋」は、
当時人気の役者がまとった衣装から流行った文様で、
当時のファッション・リーダーでもあった吉原の女らしい衣装だ。
「紗綾形」地に「梅紋散らし」の帯を前結びにして、花桶を手にしている。

贔屓客からの贈り物なのだろう、花桶には和歌の短冊が添えられている。
吉原のトップクラスの遊女は、
茶の湯、琴、胡弓、和歌などの教養が高くなければならなかった。

花桶の花は、白梅、水仙、椿で、春まだ浅い季節に彩りを添える。

梅は中国が原産地で、漢方薬として奈良時代に日本に渡来した。
遣唐使の母港でもあった太宰府から、梅は日本を東へと広まっていったのである。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」
は、あまりにも有名な菅原道真公の歌。
ただしこの和歌の梅は紅梅といわれる。

椿を「海石榴」とも書くのは中国で、
“(日本から)海を渡ってきた石榴に似た実”の意。
学名をカメリア・ジャポニカ・リンネといい、
日本が原産だが、一般に広まったのは江戸時代。
寛永年間(1624~43年)に椿ブームとなり、たくさんの品種が生まれた。
18世紀にはヤソ会のカメリ宣教師がヨーロッパに持ち込み、
19世紀に大ブレークした。
このような背景があってアレクサンドル・デュマは「椿姫」を著すこととなる。




*注◇亀蔵小紋・・・市川亀蔵(後の九代市村羽左衛門)が舞台で着用し
て大流行した渦巻文様。  
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-09 11:09 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

節分の豆と鬼の話

このところ毎年、節分の日のスーパーマーケットは、
「恵方巻き」なるものの山となります。
「恵方巻き」は1970年代に大阪の、海苔問屋協同組合が、
海苔販売の拡大のために、道頓堀で仕掛けた大イベントが、
マスコミに取り上げられ、
やがて全国のスーパーとコンビニを巻き込んで
全国展開し、この何年かで一気にはやりだしたもののようです。
江戸の末期に、大坂(おおざか)の船場で、
商売繁盛を祈願して始まったと言われますが、
発祥は不明のようです。
バレンタインデーとチョコレートの関係と同じですね。


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 歌川國周画「鬼ハ外福ハ内」 (幕末の浮世絵)


それはさておき、「節分」は本来は年に4回あります。
立春、立夏、立秋、立冬の前日が、すべて「節分」。
季節を分けるので「節分」といいますが、納得です。
では、なぜこの時期の節分だけが残ったのか?
旧暦(太陰太陽暦)では、一年でもっとも大切なのが、
歳神さまをお迎えするお正月。
これがちょうど立春前頃になり、大晦日に節分になったりしました。
上の浮世絵では、お正月の鏡餅などがあって、
正月と節分が、
同じときになっていることがわかります。
今年は、節分の日が元日になります。
ですから江戸では今頃、餅をつく音、正月の物売り、掛取りが走り・・・・
年末のあわただしさのさなかです。


ところで、節分で豆をまくのはなぜでしょう?
これは、日本に古くからある「散米(さんまい)」という神事と、
中国から伝来した「追儺(ついな)」または「鬼やらい」という宮中の行事が、
いつしか民間に広まって、今の形になったものです。


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 『北斎画譜』より。上に〆飾りが下がっている。
 

散米は神社で精霊のために米をまいた行事で、
これが豆に変わっていったようです。
追儺は慶雲3年(706年)に疫病がはやり、
多くの死者をだしましたので、
中国から伝わっていたこの儀式を取り入れ、
「除災招福」祈願をしたのが始まりだとか。

これには、疫病をもたらす悪鬼に扮した人を、
桃の弓と葦の矢で射たり、
鉾(ほこ、長い柄の槍みたいなもの)を持って、
大声で追い回す行事でした。
宮廷では、この行事は平安時代にはなくなってしまいましたが、
寺社が受け継いでいたようです。
そして寺社では「散米」と「追儺」の行事をたくみにミックスして、
江戸時代には節分の「豆まき」が、庶民にも浸透していました。


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「梅幸の豆まき」


ところで追儺には、桃の弓が使われていたのですけれど、中国では古くから、
桃には鬼を退治する霊力があるとされ、
『古事記』にもイザナギノミコトが、鬼に桃を投げるシーンがありますが・・・・
なにかひらめきませんか?
そうです! 「桃太郎」! 
鬼退治に行く太郎は、
なぜ桃から生まれなければいけなかったのか・・・・
なるほど、そんなわけがあったのですね。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-02-01 22:00 | 江戸歳時記 | Comments(0)