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江戸でキス!

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
と、芭蕉が奥の細道への旅をスタートしたのは、ちょうど今頃。
「行く春」・・・晩春というとちょっっぴり哀愁も漂いますが、
初夏の幕開け、でもあります。




さて、おいしいもののお話。
4月と5月のはざまなら、
鯛や尼鯛もいいですし、まだ貝類もいけます。
もちろん鰹ですけれど、イカもいいしそろそろキスが、
浅場でもかかるようになりますと、
私の出番です。
こう見えても釣りします。
キスは八十八夜のころに浅瀬近くまで来て産卵までに、
たくさん餌を食べるようになり、江戸湾でもこのころは絶好調なのだとか。



江戸時代はキスをなますに仕立てたりしています。
なますと聞きますと、つい大根なますを思い起こしますが、
本来なますとは、魚介や獣の生肉を細かく切ったものを、
野菜などと和えたものをいい、刺身もこの範疇に入りますが、
なますは最初から味をつけた料理をさします。


キスは煎り酒にして、酢と栗、紫蘇を加えるとあります。
煎り酒というのは、酒に鰹節や梅干、塩、しょうゆなどを加え、
煮詰めて漉したもので、
江戸時代には刺身やなますによく使ったとか。
販売しているので、さっそく求めました。
キスにアワビと大根おろし、栗、しょうが、葉付の柚子を添える、
というのもあります。

江戸のお献立をみてますと、「栗」がやたら出てきます。
縁起のいい食べ物でもありましたが、
なんといっても保存食品ということなのでしょうね。


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キスの画がみつからないので、これはぼらとうど。
ぼらは江戸では人気の魚でした。



さて、GWの頃なら、内房でもちょっとテンダーで出ただけで、
カタがまあまあのキスがかかります。
ついでにメゴチもくるので、これはヌルヌルしてて、
さばくのはちと厄介ですが、
てんぷらにすれば、味と食感は、キスの上をいきます。


キスは開いたのを海水でサッと洗って、
数時間だけ干したのを軽く焼いて。
これはたまりません。
やはりSAKEが合いますね。
なんちゃって、飲めそうなこと言っちゃった。


知り合いの板前さんが、キスは昆布〆もうまいと教えてくださいました。
3枚におろしたら、バットに塩を振り皮を下にして並べ、身にも軽く塩を振る。
しばらくして水分を取り、昆布にはさみ10分くらい冷蔵庫に置く。
細引きにしてカラスミをおろしたのと和える。
おお、からすみ!
ちとお高いわ。
ポン酢でもおいしいですよ。
お好みで。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-28 21:51 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸は潮干狩りの季節


貝のおいしい季節になりました。

旧暦3月3日は、江戸では潮干狩りが始まります。
当時は「潮干(しおひ)」と呼んでいたようですが、
江戸では訛って「ひおし」になるとか。
ずっと以前勤めていた会社の某氏は「ひよしがり」と言っておりまして、
「潮干狩り」自体を知らなかった私は、「日吉がり」とは、
一体いかなるものか、思いは木下藤吉郎へと飛んでしまったのでした。


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その後、それが「潮干狩り」と言うもので、
遠浅で砂の中から貝を掘り起こすという行楽の一つと知って、
これは行きたいものだ、ぜひ、行かねば・・・
と思いつつまだ、そこへ至っておりません。
わが郷里の海は、磯なので夏に磯遊びはいたしますけれど、
砂の中から貝を掘り起こす習慣は無く、
たぶん、浅利、蛤はいないのだと思います。


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  さて、江戸。
  3月から4月、
  今のカレンダーで言えば、
  もうちょっと前から
  6月初旬にかけて、
  (今年は寒い春なので
  今くらいの気候ですね)
  潮干狩りが盛んに行われました。


江戸湾の一番奥、芝浦、高輪、品川沖、佃沖、深川洲崎(現在の木場のあたり)に、
潮干狩りの人々がどっと繰り出しました。
朝早くから船を出し、沖まで参りますと、
卯の刻(午前6時頃)から潮が引き始め、午の半刻(正午頃)には、
海底がすっかり丸出しになります。

そこで、みなワラワラと船からおり、いよいよ潮干狩りの開始です!


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江戸湾はこんな沖まで引き潮になって、
潮干狩りができました。



潮干狩りは行楽ですから、行楽に付き物のお弁当は、
「提重(さげじゅう)」といって、
重箱や酒器、取り皿も組み込まれたランチ・ボックスや、
「弁当重」などの塗りものに、
海苔巻き、ちらし寿司、煮しめに卵焼き、かまぼこ、
和え物などつめて、持って行きます。
また、これらの船には、煮炊きの用意がしてあるものもあって、
その場で調理する風景も見られます。



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ご存知「お富さん」。
「切られの与三」でおなじみ、
歌舞伎『与話情浮名横櫛
(よわなさけうきなのよこぐし)』で、
木更津に預けられた
小間物屋の若旦那・与三郎と、
地元の親分の妾・お富とが
恋に陥るのも、
潮干狩りに出た木更津の浜でした。




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潮干狩りができる浜辺も、年々少なくなっていくような気がしています。
それと今年は災害と、あの収束しない事故のせいでしょうか・・・。
あまり潮干狩りの話題も耳にしませんが、
またきっと、潮干狩りのできる日が来ることを願っています。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-22 20:03 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「義経千本桜」と狐 

桜のこのころになると思い出すのが、これ。
いいですねー、なんたってタイトルがいい。
「義経千本桜」!
で、話はやっぱり、狐忠信になっちゃうんですが、
スイマセン、狐ずきなもんでして・・・。
狐つき・・・ではありません。

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「義経千本桜」は壮大なドラマなのですが、
狐忠信のお話はその一部分です。
義経は院から賜った初音(はつね)の鼓を、
形見として静(しずか)に与えます。



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そして家臣の佐藤忠信を
静の供につけてやるのですが、
このときの忠信は実は狐。
忠信の手がときどき、狐になるのね。
両方の手を軽く握って、
手首をチョイと曲げる。
これでもう狐。

この鼓こそ、
忠信狐の両親の皮から作られたものだったのです。
ですから、鼓恋しさに、
忠信は静にどこまでも付いて行きます。




f0186852_2027053.jpg吉野山は満開の桜。
時々ふっと消えてしまう忠信ですが、
静が鼓を打つと、どこからともなくヒョッコリと現れる。
これがまたすばらしく美しい舞台背景です。
この季節にこの演目を観ると、やはり心は浮き立ちます。
山また山は、桜のあでやかさ。
それとも吉野山の山の精霊に魂を奪われるのか?

追っ手を「エイ、ヤーッ!」とやっつけてしまい、
(狐の神通力でか?)、
静と忠信は義経が逃れているという、
吉野のさらに山奥へと分け入っていくことになります。

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一番のお楽しみの、
忠信が狐に変身して、静に初音の鼓をもらうのは「川連法眼館」の場面。
欄干の伝い走りやら宙吊りやら、
忠信を演ずる役者さんは、動きが激しくて本当に大変です。
でも、熱演に比例して観客は夢中です。

狐ながらも、子が親を慕う切ない気持ちを、
わずかな動きの中に描く人、
大きなアクションで惹き付ける人、
役者さんによって、演じ方が大きく違ってくるのも見ごたえのあるお芝居です。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-17 16:44 | my favorite | Comments(0)

江戸の桜~御殿山いずこ

ずっと前から気になっていた「御殿山」。
江戸時代には江戸の3大桜の名所的存在だったのに、
今も地名としては耳にしますが、
桜のことなど全く聞かないのはなぜだろうと、すごく不思議でした。
飛鳥山も、墨田堤もちゃんと残ってるのに、です。
桜満開の御殿山の浮世絵も、た~くさんあります。

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上は広重が描いた御殿山の「夕桜」

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      こちらは北斎の御殿山の桜。



残念ながら、御殿山は無くなりました。
山とはいっても、まあ、丘くらいに思っていた方がいいでしょう。
これがイギリスだったら、「山」だと言い張るかもしれませんが、ここは日本。

御殿山というからには、「御殿」があったのです。
徳川家康が狩や接待に使うために「品川御殿」を造りました。
それ以前に、大田道灌がここに館を構えていたそうです。
そして、家康が入府したときに、江戸城改修のために、
相当量の土が削り取られました。

「品川御殿」は、元禄15年(1702年)に焼失してしまい、
その後は再建されなかったようです
寛文年間(1661~72年)、ここに数百本の桜を植えたので、
眺望に恵まれ、品川の沖のほうまでも見え、
絶好の桜の名所となったのです。


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そして時は飛んで、幕末の嘉永6年(1853年)、
外国から開国を迫られ、天下はまさに、上を下への大騒ぎ。
押し寄せる黒船への備え、防備のために、
大砲を海に向かって設置しなければなりません。
そこで、砲台を作るために一番近い山「御殿山」を削り取って、
目黒川河口に近い海に、砲台を作ったのです。
ここは「御殿山下台場」と呼ばれ、
のちには台場小学校の敷地となっています。

こうして御殿山は、消えゆきました。
ただ広重らの浮世絵が、
御殿山を想像するよすがとなるだけなのでしょう。


これは広重による御殿山と島側の宿を眺めた画。
家康のころ削られても、まだけっこうなお山。
大坂の天保山よりはうんと高い!emoticon-0136-giggle.gifにひひ。

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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-06 18:55 | 江戸歳時記 | Comments(0)

桜咲くころに

被災された方々のお辛さを思い、直接手は届かないまでも、
自分にできる何かをしていきたいと思います。

被災したとある町では、自治能力の高さゆえ、
立ち直りも早く進んでいるところがあるそうです。
江戸時代の村の組織系統が、現代にまで受け継がれ、
すばらしい結果を生んでいると聞きました。

未だ復興の動きもできない土地も多くあるでしょうが、
きっと明るさは取り戻しましょう。

これからの復興の未来図には、
江戸のころになされてきた知恵にも、
役立つことがたくさんあるかもしれません。

また、Edo CoCoが、たわいのない江戸の話などで、
お心を和らげる一助となれば幸いです。
これからも、江戸のお話をつづってまいりますね。



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世情の不安と忙しさに忘れかけておりましたが、
なんと桜の季節なのです! 
そこできょうはこんなお話。


以前イギリス人に
「なぜ日本人はそんなに桜に固執するのか、夢中になるのか?」
と問われて、
「日本の桜は咲いてる期間が短い。ゆえに侍の精神、潔さと通じるところがあって好まれるのだ」
と答えようとしたが、
「潔い」という言葉が見つからない。
困った!

でも本当は、桜ははらはらすぐに散ってしまうがゆえに、
もともと武士には好まれなかったのだそう。
ちょうど、椿が好まれなかったように。
それが時代が変わるにつれ、
逆に桜は武士の精神の象徴みたいになっちゃった、
というのも興味深い。


ところで、上野公園は現代でも花見の最高のスポットと言われるが、
(なにが最高なのかは、ご想像にお任せします)
江戸期には途中から、酒宴などが禁止の花見の場所だった。


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これは広重の描いた上野のお山だが、
みなおとなしくそぞろ歩いており、お酒飲んだりしている姿はない。

山同心という役人が厳しく見張っていたので、
それでは息も詰まろうと、
暴れん坊将軍の8代吉宗が、
王子の飛鳥山にたくさんの桜を植え、庶民が心行くまで楽しめる空間を提供した。

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上の画は飛鳥山の花見の情景。

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上の3枚つづりの画の左を拡大したもの。
右の折の重なりを担いでいるのは、鮨売り。
鮨売りはこのような若衆に多かったもので、
普段は遊里で売り歩くが、正月には町でも売り歩く。




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これ飛鳥山の桜。

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上の中央部分の拡大だが、富士山の下にたくさんの茶店が見える。
なんとのどかで、楽しそう。





ほんとに、何ゆえ私たちはかくも桜に心惹かれるのだろう?

桜にまつわる思い出を、
誰もがひとつは持っているだろう。

出逢い、別れ、恋・・・。
そしてこの春、何もかも失われてしまった人にも、きっと桜の思い出が・・・・。

人それぞれの思い出を、桜は一身に背負って,
ただひたすら美しく、
今年も咲くのでしょう。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-04-03 17:49 | 江戸歳時記 | Comments(0)