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涼風をあなたに。江戸のうちわ絵。

今年は団扇の製造が間に合わないほどだそうです。
節電というより省電元年の今年は、
団扇もまた大人気!
各地にその土地独特の団扇がありますが、
の現代のうちわの90%は、四国の丸亀産だそうです。
すごいですね、一手に引き受けてます!

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さて、江戸時代のうちわの産地は、京都、讃岐などとともに、
なんと江戸も入っています。
「江戸うちわ」と呼ばれ、浮世絵の木摺りの技術を取り入れて、
役者絵、美人画、風景画など粋なうちわ柄をふんだんに使い、それが夏の風物にもなっていました。
それらの「うちわ絵」はかなりな数が残っていて、
へえ、こんなのがうちわになったんだぁ、
とちょっとオドロキだったりします。


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右の「うちわ絵」は、
「夕寿ず美」というタイトルも付いた国芳作です。
夕涼みの舟遊びとしゃれ込んでいるところですね。
川風の涼しさが伝わります。



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これも国芳の画ですが、蛸と熊の角力(すもう)に、
行司は蜻蛉です!

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「雪月花」というタイトル。
絞り風の花柄に、雪の風景と帆掛け舟の帆柱に月。
これで「雪月花」ですね。



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江戸うちわは房州の女竹という、
節が長くしなやかさのあるうちわに適した竹を使っています。
江戸独特の「絵うちわ」はどこか「江戸の粋」を感じさせます。
上のように、真夏に雪の絵をもってくる・・・・、
そんなところも、江戸のひねりのきいた粋の気がします。


ところで、ちょこっとだけ団扇を使うときのお作法。
電車など人ごみで、バタバタ大きくあおぐ人を見かけますが、
周囲の方にはとっても迷惑ですね。
うるさいだけでなく、隣の方の顔やら体に当たってたりします。
混んでるところでは、あおぐ部分が顎の下辺りに体に平行するように持ち、
静かにあおぎましょうね。
それだけでも涼しいですよ。

  060.gifあおげば涼し我が家のうちわ 
       押入れ庭にもはや幾本~~~~~~~060.gif041.gif003.gif042.gif


       
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by edo-ukiyo-doll | 2011-07-26 09:49 | 江戸歳時記 | Comments(0)

土用の丑の日、うなぎの日。

きょうは「土用の丑の日」。
うなぎを食べる日? ということになったのは、江戸時代も後半になってから。
土用は四季それぞれにありますが、夏の土用はこれから真夏に突入なので、
精のつくものを食べて夏バテしないように・・・・・・とのことからでしょう。

通説では平賀源内が、売れ行きの伸びないうなぎ屋の夏の宣伝文句に、
この日にうなぎを食べようと書いて店前に貼り出したところ、集客に成功したとか・・・。
大田南畝にも同様の伝説があるので、はっきりしたことはわかりませんが、
源内の郷里の四国では、この日に「う」の字のつくものを食べる習慣があるそうなので、
やや源内説が有利でしょうか?

f0186852_22272752.jpg うなぎには精力をつける成分があることは古くから知られ、
少なくとも安土時代には、
うなぎを丸ごと串に刺して焼いて、塩で食べていたとか。
焼いてぶつ切りした串刺しが、
蒲の穂(がまのほ)に似ているところから
「蒲焼」と呼ばれるようになりました。
江戸期に入り醤油が登場すると、
丸焼きに醤油と酒を混ぜたのを塗ったり、
山椒味噌を塗って食べていたようです。


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でも丸焼きは脂が強いし、よく焼けないので、
食べにくかったようで、
もっぱら肉体労働をする人々の間で食べられました。
これを開いて焼くようになったのは江戸時代。
京坂では腹開きにして長いまま串刺しにして焼き、
切らずにくしを抜いて盛り付けますが、
江戸では背開きにしてかた2~3片に切り、
串にさして焼きます。


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うなぎで思い出すのは、池波正太郎の『剣客商売』に登場するうなぎ売りの双六。
「悪い虫」という物語で双六は、若き道場主の大治郎に5両を渡し、
剣術を教えてくれ、と迫ります。
この男、じつにいいヤツで、後には手裏剣の名手杉原秀と夫婦になります。
双六は道端に2畳ほどの縁台を出し、
その上でうなぎを焼いていることになっていますが、
こんな感じでしょうか。


f0186852_2131141.jpgこの画は広重描く張交絵の「すさのおのみことの蒲焼屋」。
すさのおのみこと(広重のあてた漢字がないのでかなにします)は
出雲の国で、櫛名田姫(くしなだひめ)を襲う
八股の大蛇(やまたのおろち)を退治したという逸話があって、
すさのおのみことがさばいているのは、
うなぎ状の八股の大蛇!
アタマが龍みたいになってます。
うなぎの蒲焼に串はつきもの。
隣にちゃんと櫛名田姫がいますね。

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左の画は宮戸川のうなぎ漁。




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                                 五十三次の荒井宿もうなぎが名物で、
                                 上はそこのうなぎ漁の様子。


英国でもうなぎを食べます。
ヴィクトリア時代を背景にした推理小説など読みますと、
イーストエンド(ロンドンの場末の土地)の屋台で、
うなぎのジェリーを食べた・・・・・・などと書かれていて、
専門家にうかがったら、いまでもうなぎのジェリーを出す店があるとか。
でもとっても不味かったそうです。
いつか食べてみたいです!
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by edo-ukiyo-doll | 2011-07-21 16:46 | 江戸歳時記 | Comments(2)

涼風に風鈴

「涼風」・・・
「りょうふう」とも、「すずかぜ」とも。
いい響きですね。
さ~~っと涼しい風が入り、
軒下の風鈴が「ちり、ちり~ん」と鳴る。
近年廃れたと思われていましたが、
節電、いえ省電元年の今年、すだれとともに、
ふたたびあちらこちらに出現しています。

江戸時代に、もちろん風鈴はありました。
でも一般に普及したのは、案外遅く、
江戸時代も後期近くになってからでした。
素材としては、鋳物、陶器、ガラス(ビードロ)なんかですね。

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この浮世絵の女性が持っている風鈴は、
現代では見たことがありません。
おそらくは陶器ではないかと
思われます。
こんな凝った風鈴が
作られていたのですね。





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初期のころの錦絵にも、
すでに現代のカタチと同じ風鈴が。
このカタチはやっぱり
風鈴の基本なのですね。

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風鈴は弥生時代の銅鐸(どうたく)がルーツともいわれ、
これは祭事用のものでした。
やがて中国では竹林の中に、風鈴を下げて、
吉凶を占うものとして用いるようになります。
これがのちには、家の四方に下げて魔除けとしました。
そして遣唐使によって、仏教とともに日本に伝えられ、
日本では寺院の四隅にこれを下げ、
「風鐸」と呼んで、
音で魔物の侵入を防ぐ意味を持たせます。
今でも下がっている寺院がありますね?
中世に貴族たちもまた、軒下に下げて、
疫病神の侵入を防いだそうですよ。


全国各地に、風鈴の名産地がありますが、
南部風鈴もその一つ。
トーンの高い澄んだ音色は、金属ならではの音。
伊達藩御用の鋳物師だった江雲堂の松笠風鈴は、
安永の頃(1772~78年)に考案されたもの。

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               右の画は硝子師が風鈴を作っている光景。


よく言われる江戸風鈴は、あくまでブランド名ですが、
江戸では中期頃に長崎のビードロ師が製法を伝えました。
当初はまだまだビードロは高嶺の花。
お大名や豪商などが、楽しんでいただけでした。

江戸には「風鈴蕎麦」というのがおりました。
担いの夜蕎麦売りが、
それまでの、夜鷹蕎麦の不衛生だとの悪評を改善し、
荷の端に風鈴をくくりつけて売り歩き、
夜蕎麦売りの評判も、グンとよくなったそうですよ。


そして、幕末には、
ビードロなどの風鈴も、庶民の生活にもごく身近なものとなり、、
たくさんの風鈴を担いで歩く風鈴売りの姿は、
江戸の夏の風物詩ともなりました。



どこからか、風鈴の音が聞こえませんか・・・・・・・。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-07-18 18:19 | 江戸歳時記 | Comments(0)

ほ、ほ、蛍の宵

蛍をごらんになったことはありますか?
源氏蛍の時季はもうすぎて、平家蛍のころでしょうか。
私は超田舎育ちなので、家の二方は田んぼでしたから、
窓を開ければ蛍が飛んでいるのが見えたものです。
それでも夜、蛍狩りに行くのは楽しみとこわさが半分ずつ。
というのも、
「蛍と蛇を間違えないで。蛇の目は光って蛍に見えるから」
って言われたからでした。



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さて、江戸時代の蛍狩りです!
蛍狩りにはやはり少々郊外へと出かけます。
まず第一の名所は、落合の姿見の橋辺あたりといいます。
このあたりの蛍は「落合蛍」といって、ひときわ明るかったとか。
現在は「おとめ山公園」になって、蛍の保存飼育ががなされ、
夏には蛍鑑賞会が行われています。
「おとめ山」は乙女山ではなく、御留山。
将軍のお狩場があった名残です。
王子滝野川では、どこよりも早く蛍が飛びかうので、名所になっています。
他には石神井川、谷中の蛍沢、目黒あたりの田畑、墨田堤などなど。



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上の画は英泉の描く御茶ノ水の蛍。
画中に「茗渓」とありますが、
そういえばかつてお茶の水橋のそばに「茗渓堂」という本屋さんがありました。


平家蛍に源氏蛍。日本には約40種の蛍がいるそうです。
農薬や汚水、はたまた開発によって、蛍は激減してきましたが、
近年、蛍は健康な土地のバロメーター的役割をになって、
人工飼育などによって、復活されている地域も増えました。


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蛍の語源ですが、「ほ」は「火」のこと、「たる」は「垂れる」の意。
「蛍とは、この虫の身より火垂るるの意」と昔の本にあります。
清少納言は『枕草子』で、
「夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ蛍飛びちがひたる、
雨など降るさへをかし」
と述べています。


今年はどこかで、蛍が見られますでしょうか?
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by edo-ukiyo-doll | 2011-07-08 22:24 | 江戸歳時記 | Comments(0)

半夏生(はんげしょう)ってなんでげしょう?

スーパーに行ったら、
「7月2日はタコを食べましょう」とテープから流れてました。
「タコの日」かと思いきや「7月2日は半夏生(はんげしょう)!」とまたテープ。
そうでした、7月2日は「半夏生」といわれる日です。


「半夏生」という植物があります。
大きめの葉の表面の半分ほどが白いので、「片白草(かたしろくさ)」とも言われ、
この花が咲くのが夏至を10日ほど過ぎた時期。
漢方薬の「半夏」は「カラスビシャク」といわれて、違うものですが、
開花時が同じころなので、混同されているようですが、
カラスビシャクの花の咲くころ・・・という説もあります。




もともとは、夏至が終わったら田植えを始め、半夏生までには田植えを終わっていなさいよ、
そして、この日がきたら少しはお休みしなさいね~、
という稲作の民の目安の日と思えばいいみたいです。



今頃田植え? と思われるでしょう。
明治時代になって稲の改良が始まり、寒さに強い品種が生まれましたが、
それ以前の稲は、寒さとの戦いでした。
この日までに田植えが終えられれば「半夏半作」といって、
いつもの半分は米が取れる、とされていました。

田植えを終えられたお百姓さんたちは、
お疲れ会と稲の生育を願って、いつもとはちがったものを食べます。
それで「タコ」なんですね。
各地で食べるものは異なりますが、京坂ではタコ!
田植した苗が、タコの脚のように伸びて、しっかりと地面に根付くように!
との祈りをこめて。
それが今でも受け継がれ(特にスーパー? ビジネスは大事)、
いまや半夏生のタコは、全国展開です。



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讃岐では、田植えと麦刈りが終わり、ねぎらいのためうどんを打って食べたとか。
それで讃岐のうどん好き! なんですね。
奈良では小麦でもちを作り、田んぼの神さまにお供えするそうです。

私が感激したのは、福井・大野の焼きサバです。
江戸時代、大野の藩主が飛び地の越前町で獲れたサバを運ばせ、
田植えで疲れきっている農民たちに振舞った、
いえ、食べさせたのですって・・・・。
想像して、なんだかウルウルきました。
魚が口に入るなんて、内陸部ではなかったでしょうに、
焼いたサバは、お百姓さんたちの栄養となり、
なによりも「殿さまがなぁ、食べろってくださった・・・」
そのことがどんなに、心の栄養になったでしょうか・・・。
大野では今も半夏生には、魚屋さんで丸ごと焼いたサバが、
この日だけで1200尾も売れるのですって!


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てなわけで、きょうはお昼にうどんをいただきました~。

青森の夏イカも売ってたので、夜にはタコならぬイカの刺身もどんぶりいっぱい作り、
新生姜をたくさん混ぜ、ガーっとかきまぜて。


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梅ジュースも造ったので、クエン酸で元気だそう。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-07-02 22:11 | 江戸歳時記 | Comments(0)