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「おけさ」と「はいや」

「江戸学」の第一人者・田中優子さんはおっしゃった。
「江戸を知るためには、いったん、江戸を離れよ」
この言葉を聞いて以来、「北前船」に心とらわれている。

寛文12年〈1672年〉、幕府の命により、
河村瑞賢が航路を開拓した「北前船」は、
さまざまな物資を、北へ西へと運んだが、
物資以外の無形のものも運んで行った。
そのひとつに船乗りたちの間で歌われた「はいや」がある。

皆さん、よくご存知の「佐渡おけさ」。
   ♪佐渡へ佐渡へと草木もなびくよ~♪
というあれは大正時代の、
新民謡ブームの波に乗って作られた新しいものだ。

以前から「おけさ」が「はいや」の流れを汲むものであることは、
民謡学の第一人者であり、守門者といわれる竹内勉さんの
ラジオ番組で知っていた。
竹内さんは、わたしの尊敬して止まない方の一人だが、
彼ほどの情熱を持って探求を続行する人を知らない。
『はいや・おけさと千石船』の著書も出している。

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それはさておき、北前船の船乗りたちが、
九州の「はいや節」または「はんや節」と呼ばれる里謡を、
日本海経由で、港々に伝えていった。
それが佐渡に伝わって「おけさ」と名を変えたのは、
掛け声からの変化によるという説もある。

ではこの北前船で伝えられていった「はいや」は、
どこから来たものなのか?
九州は肥後の「牛深ハイヤ節」がそれといわれる。
この歌はもともと祝い歌だったのだが、
潮待ちや風待ち、あるいはシケ待ちの船乗りたちから、
次の港へと伝播していった。

「はいや」は7・7・7・5調の26音が中心となって、
♪ハイヤー♪または♪アイヤー♪あるいは♪ハンヤー♪
と歌いだすのが特徴だ。
「はいや」は、「越中おはら節」に、「加賀ハイヤ節」に、
そして津軽に渡って「津軽あいや節」となり、
今に伝わることとなった。


北前船の運んできたものを、
わたしたちは連綿と
後世にも伝えようとしている。









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by edo-ukiyo-doll | 2011-09-25 19:01 | ああでもねえこうでもねえ | Comments(0)

きょう9月10日は、下水道の日だそうです。
以前、江戸の上水道のことをお読みくださった方から、
「江戸の下水道はどんなだったの?」とご質問いただきましたので、
下水に関してかきますね。

パリに環状の大下水道が作られたのは1740年、
イギリスでは1863年に下水道が作られました。
日本ではというと、明治30年(1900年)に東京・神田に作られたのが最初です。
江戸(東京)に西洋のような下水道ができたのは、遅かったのです。
なぜか?
江戸では、し尿と、生活排水や雨水は、完全に分けて処理され、
しかも下水に流される水はあまり汚れていなかったので、
西洋のような暗渠にする必要性がなかったのです。

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この図の奥の方(人物の向こう、家の手前)に、
鍵形に作られている溝が下水道。



江戸には下水道が完備されていました。
主に生活排水と雨水を流すための下水で、
ほとんどは開渠(地中に管を埋めるのでなく、地上に溝を掘ってオープンになってる形)です。
パリやロンドンでは、当時は城や館にはトイレがありましたが、
庶民はおまるにして、「捨てるよ~!」みたいな大声かけ、通行人も「いいよ~!」と応えたら、
上からザッバ~ンと捨てられたようです。
糞尿まみれの通り・・・、日本では考えられませんね。
江戸などでは肥料に使うので、近在のお百姓さんが買いに来ます。
長屋の大家さんはそれが大きな収入にもなります。
それで、下水にし尿が入ることがありません。

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   右の挿絵には、見世の前の地面に、
   石組みで作られた溝があります。
   (溝と書いて「どぶ」と読むことが多いです)。


江戸は水が豊富ではなかったので、井戸水を大切に使いきります。
米のとぎ汁は鉢植えにかけたり、洗濯も洗剤などないので、そこらへんにまけば、
土にしみこんでいきます。
お風呂も薪が高いし、火の用心もあるし、水は大切なので、
個人で風呂を持つのは、よほどのお金持ち。
湯屋はたくさんありますから、毎日のように湯に入り清潔です。
というわけで、下水に流れていく生活排水も、あまり汚れてはいないので、
堀や川に流しています。

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右の画のように屋根から落ちる雨を集めて流すのは
「雨落下水」といいます。

「割下水(わりげすい)」は、通りの中央部にある溝で、
水はけのために作られています。
「本所割下水」。
鬼平こと長谷川平蔵の実家があったのでしたっけ。
本所は武家地ですが、
元は田んぼだったので水が上がりやすく、
割り下水が作られたのだとか。

下水に関してはまだたくさんお話がありますが、またいつか。








 

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by edo-ukiyo-doll | 2011-09-10 15:24 | 江戸ぐらし | Comments(0)

音のある風景「虫聴き」

台風の被害はございませんでしたでしょうか?
想像を絶するほどの被害状況に、心が痛みます。
心よりお見舞い申し上げます。


大型で長引いた台風もようやく去り、
日が傾くころから虫の音が聴こえてきます。

江戸時代には、「虫聴き」と称して、
わざわざ郊外まで出かけることがありました。
お花見と同じような感覚だったのでしょう。
今はお花見は残っていますが、虫聴きはすっかり廃れてしまいました。


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江戸時代の虫聴きの人気スポットは、第一に「道灌山」です。
『江戸名所図会』にも取り上げられています。
道灌山は現代では西日暮里駅の、
すぐ上にある西日暮里公園がそこにあたり、
確かその表示が出ています。
広重の絵でも、虫の音を聴きながら一献傾け、
月も愛でる趣向のようです。


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      左の図は「広尾の原」。
      当時はまったくの郊外で、
      古川(渋谷川)が流れる湿潤な土地でした。
      ここは蛍狩りの名所でもあったところで、
      当時はどんなにか水の音も、耳に心地よかったことでしょう。
      渋谷川は今は、渋谷駅から上流は暗渠となっています。

 

江戸時代、風景は単に見るだけでなく、
聴くものでもあったのではないかと思います。
「音」を聴く風景です。
虫の音、川や堰、滝などの水音、風が吹き草むらの揺れる音・・・、
自然の風景にも、さまざまな音を聴いて、
風景を感じていたような気がするのです。
それが日本の風景の捉え方かもしれません。

ではどうして風景を愛でることから、
その「音」の部分が欠落してしまったのか?
鳥越けい子さんとおっしゃる大学教授の方がこうおっしゃっています。
「明治以降受け入れた西洋近代の美意識が、
ビジュアル中心の世界で、音風景は弱体化していった」
残念なことです。



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一番上の『江戸名所図会』を元に、広重が虫聴きの浮世絵を描いています。


例えば夕暮れのころ、まだ月は出掛かっている時刻で、
田舎の駅のホームで列車がやってくるのを待っている。
気がつくと集く(すだく)虫の音。
耳を澄ますと、「リ~ン、リ~ン」と鈴虫。
「キリキリキリキリ」と鳴くのはコオロギ。
「チンチロリン」は、あ、あれは松虫。
列車が明りをともして、カーブを曲がって駅に近づいてきます。
虫の音が一瞬、高くなり、そして静かになったような・・・。
そんな風景が、今私の脳裏に浮かんでいます。

虫の音、聴こえませんか?
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by edo-ukiyo-doll | 2011-09-06 22:50 | 江戸歳時記 | Comments(0)