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百菊見物 (百種接分菊)

先日、「トラッド・ジャパン」という日本文化を英語で説明する番組で、
「菊」をやってました。
chrysanthemum・・・・これが英語で菊。
クリサンテマム・・・・て読むのでしょうか?
番組の中で、国芳の「百種接分菊」の画も紹介されていました。


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上は、国芳の「百種接分菊」の画を基に、以前の個展『華のお江戸は花ざかり』のために作った作品です。




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実際の展示では、百菊はこのように、小屋掛けされますが、
写真では菊がよく見えるように、小屋をはずしています。




以下は、作品につけた解説文です。

江戸時代には、菊作りが盛んに行われ、
巣鴨、染井辺りの植木屋の菊園、寺島の百花園などが菊の名所でした。
文化(1804~18年)末期には、
人物(菊人形)や帆掛け舟や灯籠などの「形造り」が流行ります。
巣鴨・染井では庭に縁台までだして見物させる植木屋が、50軒以上もあり、
ここに蝟集する人々目当てに、通りには酒や料理の店、茶店が軒を連ねたといいます。

形造りとはべつに、一本の台となる菊の茎に、
他の種類の茎を接いでいく「一本造り」という手法を高めた植木屋もいます。
それまでに20~30種類の菊を接いだものはありましたが、
駒込染井の植木屋・今右衛門は、
太さ 3寸(約 9cm)の茎に、100 種類もの中輪の菊を接いで
「百種接分菊」を造り上げました。
その「百種接分菊」に集まる人びとを描いた一勇斎国芳の浮世絵をもとに、
さらに私のオリジナルを多数加えて制作したのがこの「百菊見物」というわけです。




すごい情熱ですね!
現代ではこのような菊作りは無理、と思われていましたが、
「百種接分菊」に成功した方がいるとか・・・。
現代にもすごい人がいるのですね。


私の作った百菊は、すべて異なるように一本ずつ作り、
画と同じようにそれぞれに名前をつけ、名札を下げています。
画で見えない背後の菊は、自分で推理と想像力を働かせ、
それらしい菊と名前を付けました

また「百菊見物」の人形には、
すべて名前があり、職業やどこに住んでいるかも設定しています。

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右の人は繁蔵さん。
神田相生町「平右衛門店(通称かかし長屋)」の青物売りで、だいの菊好き。
ふけて見えますが38才のひとり者。
とっても律儀でいいヤツなので、いい女性がいたら紹介してください!(笑)


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ぼけた写真でごめんなさい。
人形の大きさは手と比較してね。
この人は、船宿「川茂」の女将・お与野。深川にある客筋のいい船宿で、
きょうは染井の世話になっているお武家の屋敷に挨拶に来た途路なので、
高級な外出着を着ています。





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   このお武家は相生金吾衛門。
   御家人のご隠居ですが、
   囲碁仲間の友人が風邪で
   こられなくなって、
   一人できたから、少し寂しいのね。
   帰りに風邪っぴきの友に、
   饅頭でも買って行ってやろうかと・・・・・。




こうやってドラマが作られていくように思いませんか?

現代では菊観は廃れてしまいましたが、
小さな江戸ワールドで、江戸の人々に混じって、菊観ができますよ。












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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-25 10:53 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

今夜は十三夜

きょう10月9日(2011年)は、旧暦の9月13日で「十三夜」です。
毎月十三夜はありますが、旧暦では9月はもう秋の終わり。
いにしえより、ゆく秋の月を惜しむかのように十三夜を愛でていたようです。


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江戸時代後期になりますと、
十三夜を「後の月見」とか
「二夜月(ふたよづき)」などと言って、
きぬかつぎ(小さめの里芋の皮をむかないもの)、
栗などお供え物をします。

仲秋の名月を見たら、十三夜の月見もしないと
「片見月(かたみづき)」といって、
忌み嫌うようになりましたが、
この風習は吉原からはじまったとも言われています。
仲秋の名月見に来た客は、
後の月見も必ず登楼する約束をさせられるのです。
吉原の集客キャンペーンが、
庶民にも広まっていったのですね。



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とはいえ、晩秋の月を愛でる人は多く、
仲秋の名月の華やかな月見に対し、
静かにいつくしむような観月の風情があります。







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上の画は、舟で月見の一行が小名木川の「五本松」に差し掛かったところ。
川面まで松の枝がのび、ここから見る月はどんなにかうつくしいことでしょう。
丹波国の大名九鬼家の下屋敷から伸びている松ですが、
もとは5本あったそうです。



江戸の月の名所は数多く、
湯島、愛宕山、真乳山などの高いところ、
高輪、品川などの海浜、
隅田川、隅田川、不忍池といった水辺。
また玉川や武蔵野あたりへと、遠出する人もいます。


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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-09 06:57 | 江戸歳時記 | Comments(0)

ご長寿を願って「重陽」の節句

今年10月5日は、旧暦の9月9日にあたり、「重陽の節句」です。
残念ながら他の節句のように、現代にはあまり残っていませんが、
江戸時代、この日は千代田のお城に登城した大名諸侯は、
邪気をはらい、長寿を願って「菊酒」を賜ったそうです。
古くは中国から伝わった行事で、宮中で催されていたのが、
やがて武家にも広まったものです。

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これは、春信描く見立て菊慈童(きくじどう)。
「菊酒」の由来はこの「菊慈童」にあるようです。
菊は中国から伝来したものですが、もとは鑑賞物ではなく、
上等な薬として、邪気をはらい、血気を養い、不老長寿の効能があるとされました。

昔々、中国に魏という国のあったころ、王命により不老長寿の霊水の源を探すようにと、
探検隊が各地を経巡った。
あるとき、レッケンという山の奥に菊の咲き乱れる地があり、そこに少年がたたずんでいた。
聞けば少年は700歳になるという。
少年が言うには、周という、さらに昔々のもっと昔、
周の帝からいただいたありがたい仏の言葉を書いた菊の葉から、
滴ったしずくこそが霊水であり、それを魏の王様に差し上げる、と。
それこそが「菊水」すなわち「霊水」だと言われています。
「菊水」・・・・あの、日本酒。不老長寿のありがたい水だったのね~。
そこで、菊の花びらを酒に浸して飲む、
という風習が広まっていきました。

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なぜ、9月9日が「重陽」と言われるのでしょう?
陰陽では奇数は「陽」です。
奇数の中でも9は最高に「陽」ですね。
9月9日は、最高の「陽」が二つ重なるので「重陽」。
「重九」ともいい「長久」につながり、ことさら長寿の念が増したのでしょう。
本来はこの日、丘に上って菊酒を飲み、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)の薬玉(くすだま)を身に付けて、
邪気をはらい悪鬼を寄せ付けないようにしたのだとか。

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  広重描く、
  染井の植木屋の
  菊園風景。


江戸時代には、武家はもとより町方でも、赤飯をたき、刺身や焼き魚のご馳走をいただきます。
この日は、栗もつきもので、招かれれば栗を贈り物に持っていくことも多いようです。








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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-05 12:51 | 江戸歳時記 | Comments(0)