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江戸も師走は大忙し

まるで何かに追いたてられるかのように、
12月の声を聞くと、気もあせりだし、
もはや、師走も半分になっちゃいました。
年の瀬を前にバタバタするのは、時間と追っかけゴッコの現代人の特徴、
と思いきや、江戸人もそうでした。

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師走、8日の「事始め」。
なんと、この日から正月の準備が始まるのです。

13日には「煤払い」といって、大掃除をします。
これは江戸城も武家屋敷でも、商家でも、勢ぞろいで煤払いをしました。
日本の神さま・・・歳神さまは清められた場所にしか下りてこないそうで、
お正月の準備も、清められた場所で行う、ということなんですね。
煤払いの後は、だれかれかまわず胴上げをし、
お酒が出て、商家ではご祝儀まで出るのだそうで、これはすごい。


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これは商家の煤掃(大掃除)の様子。



大掃除もこの頃から、「きょうは照明」「明日は硝子」
なんて、ちょっとずつやっておけば、大騒ぎすることもないのですけれどね。
あんたはやらはる? と聞かれれば「NO」。 えへへ。


江戸では14日の深川八幡を皮切りに、
「歳の市」が次々と開かれます。
中でも浅草浅草寺の歳の市は、14~24日「ガサ市」と呼んで、
お正月用品から生活用品、何でもあります。
17~19日は同じ浅草寺で、「羽子板市」が開かれます。

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浅草寺の年の市の風景。



22日には冬至となって、柚子湯にカボチャ。
そして大晦日へと突入する江戸なのでした。
この大晦日がまた、た~いへん。
ツケで買い物でしたから、この日は掛取りがきます。
「大晦日よく回るのは口ばかり」
ない袖は振れないもの、言い訳しまくりです。


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こうやって江戸の師走はやっぱり忙しかった。
師走が忙しいのは、日本の特徴のようですね。
おまけにクリスマスだってあるし。
その前に年賀状作って、書かなくっちゃ!
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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-15 17:34 | 江戸歳時記 | Comments(0)

越後屋の手代は京の言葉なり

「おこしやす。これはこれは、丸藤屋はんのごりょんはん、
いとはん、ようおいでくださいました」
ってな風に、客を迎えただろうと推測されるのは、
日本橋・越後屋呉服店の手代・清之助。
担当は京友禅で、小僧に言いつけてさっそくあでやかな反物を広げて見せる。
越後屋では、呉服(絹織物)の高級感を出すために、
京男を雇い入れ、江戸店に置くというもっぱらの噂だ。


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上と左の画は、越後屋の内部。
天井から下がっているのは、
手代や番頭の名前で、
各人がひとつの商品を担当し、
その商品のスペシャリストとなって、
客に対応するシステムをとったのである。
これも評判をとった




越後屋呉服店は、延宝元年(1673年)日本で初めて大々的に、
「現金掛け値なし」で商売をした大店である。
現在の三越の前身であることは、誰もが知っている通りである。
「現金掛け値なし」がなぜそんなに重要なことだったのだろう。


それまでは呉服業に限らず、大店というものは、
武家や大名相手がほとんどで、屋敷に商品を持って行き買ってもらう。
支払いは、盆と暮れの年2回。つまり「付け」である。
ってことは支払ってもらえないこともある。
「現金」とは「付け」はいっさいやりません。
全て現金で、その場でお支払いください、ということ。
現代はそれがゴク当たり前になっているが、当時は画期的なことだった。


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       上下の画はどちらも、広重によるもので、
       越後屋の広告のために作ったものだろう

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「掛け値なし」というのは、商品には全て正札がついているので、
その料金で支払ってくださいということだ。
というのも、当時はついている値段から、
交渉によって支払い価格を決めていた。
越後屋はこれをやめたのである。
開店当初は店の前にずらりと商品を並べ、
バーゲンセールのようにやったらこれが大当たりをとったという。


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初代三井高利は伊勢・松坂の出身で、14歳で兄の店で修業を始めた。
その後独立して、京で呉服屋の卸業を開始。
そしてさらに、京・大坂に呉服店を出した。
50歳のころに、息子たちと共に、江戸に進出。
これが「現金掛け値なし」の店で、もう大名相手はやめ、
町方をターゲットにした。
逆転の発想である。



地方の商人に越後屋の商品をおろし、行商をさせて全国に
「越後屋」の名を浸透させた。
突然の雨には、顧客に傘を提供した。
傘には「越後屋」のロゴが大きくはいっている。
     夕立に 振る舞い傘を 三井出し
江戸中が「越後屋」でいっぱいになったことだ。
抜け目のない商売には、いつの世も同じ発想の転換が必要。








・・・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-05 15:45 | 江戸ぐらし | Comments(0)

風流ですなあ、紅葉狩り。

週の後半、あいにくの雨ですが、皇居の回りも紅葉となりました。

江戸の紅葉の見頃は立冬(2011年は11月8日)より7、8日頃と、
『東都歳時記』にあります。
ですが地球温暖化のせいもありましょうか、年々時期は遅くなり、
今年は、1~2週間、あるいはそれ以上遅くなっているところもあるようです。

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現代では紅葉は眺めるだけになりましたが、
平安時代には宮中やの貴族たちが、
紅葉のもとで宴を開き、
和歌を詠み「紅葉合(もみじあわせ)」
といって、これを競う遊びが流行りました。
それが江戸時代には、
庶民にまで広がっていきます。



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江戸時代の紅葉狩りは、
桜のお花見のように大勢で繰り出すのではなく、
小人数でその下で宴を催したり、
句をひねったり、紅葉を満喫します。
紅葉狩りをするのは隠人、
医者、僧侶などで、婦女子はしない
・・・・ともいわれていますが、
浮世絵や草紙の挿絵などには、
女性や子供も多く見られます。
宴や句会などを催したのが、
医者、 隠人、僧侶など
・・・ということかもしれません。


江戸時代には、園芸の熱狂的大ブームの中、
紅葉や楓も園芸の的となりました。
8代暴れん坊将軍・吉宗の時代、
唐から献上された「トウカエデ」というのを、
伊藤何某という人物に託され、
伊藤氏は接木でみごとにふやすことができました。
吉宗将軍はいたく感心し、伊藤氏にこれを下げ渡したところ、
楓のとりこになってしまっていた彼は、
たくさんの楓の種を開発したそうです。
そんなこともあって、江戸時代には100種を超える楓があります。

でも・・・・・カエデとモミジの区別がわからないので、きかないでね~emoticon-0136-giggle.gif



さてさて、そりゃあ紅葉は京の都はさもありなんですが、
品川鮫洲の海晏寺(かいあんじ)や、
向嶋の秋葉大権現、下谷の正燈寺、滝の川などなど、
お江戸にもたくさんの名所があります。


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ことのほか海晏寺(上の画)は紅葉の名所として名高く
ここは曹洞宗補陀落山海晏寺というのが正式名称。 
現在は第一京浜が横を通り、かつての紅葉を愛でた面影はなくなってしまいましたが、
当時の様子はたくさんの画に残されています。



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こちらは「真間の紅葉手古那の社継はし」とタイトルの付いた
広重の「江戸百景」の画。
真間は現在の千葉県市川市のあたり。
7世紀の半ばころのお話です。
手古那という美しい乙女がおりました。
あまりの美しさに大勢の男たちが、言い寄ってきました。
そのことに思い余った手古那は、
当時海だったこの地に身を投じた・・・・・
という伝説の土地です。
江戸からかなり離れていますが、紅葉の名所として、
物悲しい伝説に心はせながら、
江戸の人々は訪れるのでしょう。


我が家の近くの銀杏並木も、「金色のちひさき鳥のかたちして」
はらはらと舞い散り始めています。
「ポプラ並木、まっ黄色だね!」
というけど、あれはポプラじゃなくて、銀杏ですからね!

雨が上がったら、紅葉を見に行きませう。





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by edo-ukiyo-doll | 2011-12-01 10:30 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「江戸浮世人形」人形師・岩下深雪の江戸はここにあり       ホームページ開設 http://edoukiyoningyo.edo-jidai.com


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