「ほっ」と。キャンペーン

ロンドン・オリンピックでは、
やや中心にあるハイド・パークのサーペンタインの池で
トライアスロンの水泳をやるそうで。
あそこでほんとに泳げるのだろうか・・・
と???の人も多いようですが、
一方、東京の中心から少しハズレの、かつては忍ヶ岡と呼ばれたそばの不忍池。
ここではまず水泳は無理でしょうが、
江戸のころには、東都第一の蓮池といわれています。


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蓮の花見頃は、小暑のあと20日頃と言われますので、
先週末に行ってみました~。
が、まだ3分咲き。

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それでもやっぱり美しかったですよ。
8月にはいって少したってからは、もっときれいですね。



不忍池の広さは見わたし3,4丁(300~400メートル強)、長さ5,7丁というのですが、
今は、かつては島として築かれた弁才天のある島も、
すっかり陸地になっているので、池がどれほど小さくなったかを感じます。

江戸の頃は隣接する動物園もなかったですし、
周囲のビルヂング群もなかったので、それはそれはみどりの只中。
黎明(未明~曙の頃)には、蓮の花が開くのをみようと、
大いににぎわいました。
この時間にはことさら匂い芳しく、
紅白の蓮の花が朝日に映える光景は、「たとへんにもの無し」だそうです。



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かつて、この界隈には料理屋が多く、広重なども描いています。
このような料理屋では、蓮飯が名物で、
蓮の若い葉を刻んで混ぜた飯を、ちょっと塩を入れて炊き、
大きな蓮の葉で、炊きあがった飯をくるんで少し置いてからだすと、
さぞや香りも良かったのでしょう。


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上の画は蓮の葉を採取している風景

蓮の花の香りの高さは、「蓮茗(はすちゃ)」としても、
のまれているようです。
作り方はちょっと大変。
蓮の花の中に質の良い、濃く入れたお茶を注ぎ、花びらを寄せて、
コヨリで花の先を結びます。
何枚も重なり合っているので、お茶はこぼれなくなります。(と書いてある)
それを、エイヤー! とばかりに逆さにしたら、
しばらくおきます。
今度は薄く入れたお茶を茶碗についで、そこに蓮の花のお茶を少しずついれて飲むと、
匂い高く、心すがすがしくなり、精神を養うそうです。
どなたかやってみたら、ご一報ください!

暑くてたまらないこんな日に、
蓮茗なんぞ飲んでみたいものですなあ。




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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-31 16:19 | 江戸歳時記 | Comments(0)

最近、富士登山者の2人に1人は女性だそうで、
「山女(やまおんな)」とは昔の言い方、いまは「山ガール」と言うそうな。

さて、富士山といえば、江戸時代の富士登山の賑わいは、
凄まじいとさえ言えるもので、
信仰心がありますから、誰しも一生に一度は登っておきたいわけです。
でも大変にお金がかかりますから、大勢で「講」という団体を作って、
ちょっとずつお金を積み立て、毎年、順繰りに富士山へ登拝できるという仕組みです。


ですが、登れない人のほうが多いので、
なんとかして富士のご利益を得られないものか・・・、
と考え出されたのが、見立ての富士。
江戸人は、実にこの「見立て」がうまい!
富士山から溶岩を持ち帰ってもらい、それで江戸市中に富士山をつくっちゃいました~。


f0186852_2255472.jpgこれが、あちらこちらにできて、
これを「新富士」とか
後には「富士塚」などと呼んで、
旧暦5月28日の夜から、
6月朔日にかけて参詣に行きます。
今年なら、新暦7月19日、昨日になります。

人工の小さな富士であっても、
お参りの前に家で線香を立てて捧げてから、
新富士へと出かけます。
        
        右の画は広重の描く「目黒元不二」。
         桜のころ、花を眺める人々。向こうには本物の富士。




駒込、深川八幡、鉄砲洲稲荷、浅草埋堀の砂利場、高田戸塚村、
茅場町天満宮、目黒行人坂などにあります。
現在でも、残っているところがあるので、実際に行ってみるのも江戸気分。


なかでも、駒込の冨士は、「一冨士 二鷹 三茄子」というのは駒込のことだとも言われ、
ここが新富士の元祖とも言われています。
駒込の「お富士さん」は、六義園の近く、富士神社の境内に現在しています。
下の図が、駒込のお富士さん。
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江戸の人々は、朝早くに富士に詣でますと、縁起物の麦藁細工の蛇を買います。
これは火除けのお守りですから、少しずつ形は変わりましたが、今も売っています。

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上の駒込のお富士さんの図にも、3人、麦わらの蛇を持っています










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  右の美人画は、英泉画描く美人画。
   この美人の左上のコマ絵には高田の富士。
   (コマ絵を拡大したのが左)
   ちょっと誇張していますが、
   実際にはもっと低いようです



牛込の高田富士は、朱楽菅江の
安永8年刊の『大抵御覧』では、
今戸の料亭や三叉中州と並んで、
江戸の新三景のひとつになっています。

安永年間に、
馬場下町の長四郎という人が、
高田水稲荷の境内に作ったもので、
これがきっかけで、
江戸市中のあちこちに、
新富士を築くのが流行ったと言われます。

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江戸の夏は、今でいう「エンターテイメント」が、
たくさんあって、
多くは信仰に関連するものですが、
自分の足で歩いて(船もあるけど)行って見た
「それ」らは、どんなにか感激だったでしょうね。





                  右は鉄砲洲稲荷の富士塚







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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-20 16:43 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「水菓子」といっても、スイーツのことではなく、フルーツのことです。
いまでも、茶の湯では水菓子といっていますし、料亭などでもそういっていますね。

さて、江戸では夏になりますと、道端でこの「水菓子売り」が、店を広げます。

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盤台桶や籠などに、西瓜、真桑瓜、桃などを積み並べ、
西瓜は切って赤い色と、
甘みがあるところを見せますし、
真桑は皮を剥いて四ツ割りにし、
桃には水を打って夏桃のうつくしさを演出して売ります。
てなことを、明治時代に江戸の風俗として書かれています



冷たいわけではないし、現代の果物のように、
とっても甘いわけでもないのですが、
水分が多くほのかな甘さでも、江戸の人々には、
どんなにかおいしく感じられたことでしょう。
現代人は、冷たいもの、甘みの強いものに慣れ過ぎてますね。

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     この西瓜は暗緑色に筋が入っています。
     割り方も、横割り!
     真桑瓜や桃も並んでいますね









ろうそくを立てて、
西瓜を切り売りしているおいちゃん。
一服つけるとこです。
盤台桶を逆さにして、上に西瓜並べてます





なかでも西瓜は一番人気。
原産地は南アフリカのカラハリ砂漠あたりらしいです。
砂漠で西瓜? 西瓜も生き延びるために、水分蓄えたのね。
もちろんその原種からどんどん変化し、私たちの知っている西瓜になったのでしょうけど。


エジプトでは紀元前何千年も前にすでに、西瓜があったらしいですし、
11世紀ころには中国に伝わっています。
中国では西から来た瓜というので、西瓜(シイグワ)と呼んだのだとか。
日本には天正7年(1579年)に、長崎に持ち込まれたのが最初とか、
17世紀半ばに隠元禅師が中国から持ってきたなどいわれますが、
平安時代にはすでに伝わっていたらしいです。

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それはさておき、江戸時代の西瓜は、現代のようにシマシマでなく、
全体が黒っぽい緑色のまん丸なものが多いようです。

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元禄のころ(1700年前後)には、日本各地でそれぞれに改良がなされ、
さまざまな種類が作られていたようですが、
江戸近郊の大森羽田、北沢、世田谷、八王子、亀戸などで栽培され、
水路などで江戸市中に運ばれ、市場へ届きます。


それほど甘みはなく、出回った初めのころは、
下世話な食べ物とされていましたが、
果実をすくい取って、砂糖をかけ、しばらくおいてから食べるなど、
高級な食べ方もされるようになりました。

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  でも、働くおいちゃんたちは、
    こんなところでムシャムシャ、
   ガブガブ食べてたのね!
   証拠の皮が残ってますよ。
   西瓜が江戸では、気軽に買える
    人気の食べ物だってわかりますね




ちなみに西瓜は漢方では種も皮もよく使われ、
皮はコレステロールの減少、血管拡張の働きがあるとされます。
また、果汁は利尿効果が高いので、「スイカ糖」は腎臓の薬として用いられるとか。
夏のむくみでお医者さんに行ったら、
スイカはカリウムが多いので、むくみをとる効果がありますよ、
と勧められ、以降、夏の朝には一切れいただきます。






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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-12 18:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

七夕の食べ物

七夕は今年も雨のようですね。
といっても、梅雨のシーズンに七夕を、というのですから、
仕方ありませんね。
ほんとうの七夕は秋の行事で、今年は8月24日ですから、
織姫と彦星のデートをごらんになりたい方は、
ぜひ、この日に夜空に目を凝らしてくださいね。

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さて、江戸時代の七夕は、京の貴族の行事を踏襲したものなので、
七夕の日には、将軍の江戸城はもとより、
諸藩でも家臣は礼服をまとい、ご祝儀の挨拶に行きます。

七夕には、何か特別なものを召し上がりますか?
江戸時代には、素麺(そうめん)をいただきます。
夏の終わりに素麺・・・健康のためではなく、
中国の故事に由来しているようです。

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奈良時代に、中国から日本に、
「索餅(さくべえ)」というお菓子が渡来しました。
別名、「むぎなわ」ともいわれていますが、
小麦粉と米粉をミックスしたのに塩を入れ、
縄のようにねじって作ったものらしいです。
それが時代が進むと、柔らかいうちに伸ばして、
包丁で細く切ったものに変化したらしいのです。

これがなんで七夕に?
中国の伝説に、
王の子が7月7日になくなったのですが、
成仏できなかったのか、
この子の霊が人々に「おこり」
という病気をもたらしました。
そこで、この子が好きだった索餅を作ってお供えし、
霊は去っていったといわれます。


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 笹竹に短冊などを飾るのは、
        江戸時代になってからの風習。
        7月6日にこの画のように、
        物干し台の手すりなどに
        くくりつけて飾ります。
        それで、江戸の七夕は、
        笹竹で空が覆われるようだ
        と言われます。





この索餅というお菓子が、素麺の元になったとも言われ、
お公家さんはもとより、江戸時代には将軍から庶民まで、
七夕には素麺を食べることになったのです。
食べるだけでなく、七夕はお祝いの日ですから、
上司や親戚咽にもご挨拶に行きますが、
たいてい素麺や水菓子(果物)を持っていきます。


明日は、素麺食べようっかな~emoticon-0102-bigsmile.gif









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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-06 18:18 | 江戸歳時記 | Comments(0)