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初めての、ボランティア。

仕事の上で、ボランティアをするのは初めてです。

今年の1月の個展で、
がん研有明病院に、ボランティアで展示をしていただけませんか?
と飛び込んできた方がいらっしやいました。
女性専用の病棟で、クラフトやアートの展示をしているそうで、
その場ですぐにOKしたものの、
夏になるころになってやっと、行動に移せる状態になりました。

うかがっていた電話番号に電話しますと、
いくつかの手違いを経て、
やっと10月と11月に、展示をすることになりました。
はじめは、ショーケースに1作品を展示すればいいと思い込んでいたので、
軽く請合ったのでしたが、
ケース全部に展示するのだそうで、
急いでこの季節のものを集めたしだい。

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「月見だんご」も旧暦の「後の月見」と思えばいいか。


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10月24日に入れ替えを予定していたのに、
ひどい風邪を引き込んで、あえなく延期としていただきました。
いまだに熱が下がらず、喉ははれたまま・・・・。
なまじ入れ替えに行って、病棟に皆さんに移ったらえらいことです。
はよ、治りたい!


一般の方は入れないので、ごらんいただけませんが、
病棟の方々の、お退屈しのぎやわずかなお慰めになれば、うれしいです。


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「福々坊」もがんばって作って、展示しました。





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by edo-ukiyo-doll | 2012-10-24 21:49 | いろんなお知らせ | Comments(0)

三升、見せます、團十郎

江戸のファッションをリードした歌舞伎とその役者たち。
名のある役者は衣装が自前でしたから、
評判を取るには、当然力を入れます。
そこから生まれた文様は、家紋と大きくかかわりを持っていたりします。


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 さて、市川團十郎の紋といえば「三升」。
 歌舞伎役者の紋には「定紋」と「替紋」とがあります。
 常紋はメインとなる家紋で、市川團十郎家は「三升」。
 一方、替紋はサブ的に使われますので、装飾的であったり、
 役者の好みなどが反映されています。

 團十郎の三升紋は、
 大・中・小の3つの正方形が、入れ子になったデザインです。
 この正方形が「升」または「枡」を表しているのですが、
 團十郎家がこの紋を用いたのには、
 いくつかの説があります。

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ひとつ目は、初代の團十郎が『鞘当』で、
不破伴左衛門という役をやったときに用いた衣装(右)の、
雲と稲妻文様の稲妻をアレンジした、という説。

二つ目は、こんなことです。
初代團十郎の父は武田の浪人で武家でしたが、
江戸は和泉町に住まい、「菰の重蔵」といい、
地元の有力者でもありました。
この父は唐犬十右衛門(有名な侠客です)と親交が深く、
息子が生まれたときには、十右衛門が「海老蔵」と名づけたとか。
その十右衛門が、團十郎の初演を祝って、
3個の枡が贈られたことから、という説。

そして三つ目は、初代團十郎が甲斐国出身で、
その地方では1升枡が大きく、通常の枡の3升分あって
「甲斐の大枡」ということに由来するという説です。

一番考えやすいのは、2番目の唐犬十右衛門の祝いの枡、
という説ですが、真実やいかに?


このシンプルな3つの正方形の定紋は、
時にアレンジされ、多様なデザインを生み出しました。


f0186852_7461546.jpg右は「六弥太格子」。
三升を互い違いに組み合わせたもの。
幕末に活躍した八代目団十郎が、
『一の谷武者絵土産』なかで、
岡部六弥太役で着用した裃に
この文様を遣いました。
現在もよく見かける、
とってもポピュラーな文様ですね
この画では描き方をまちがえていますが、
ご愛嬌。



f0186852_7473021.jpg「みます」はみますでも、
この襟には「三舛」と文字で
書かれています。
歌舞伎の衣装では、
襟にこのように屋号や、
紋の名前を入れているのも、
時折見かけます。



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牡丹の花の入った「蜀江つなぎ」ですが、
つなぎの四角が「三升」という、
一味違う蜀江になっていて、楽しいです。
(楽しいのは、私だけか?)
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by edo-ukiyo-doll | 2012-10-14 14:01 | 江戸の文様・江戸の色 | Comments(0)

萩揺れて。

10月なのにまだ暑い今年は、まだ萩が咲いているのを多く見かけます。
どうやら花のつくのが遅かったようです。

秋の七草の萩ですが、ずいぶん古くから日本にあったらしく、
草冠に秋・・・・・・「萩」という文字も日本で作られたようです。
万葉集に登場する植物では、「萩」が第1位だってご存知でした?
それほどに、暮らしに身近な植物だったということなのでしょう。

生薬として使われたり(根はめまいやのぼせ、またイボの薬としても使われた)、お茶にもなるし、種は粉にして飯に混ぜたり。
家畜のエサにもなれば、はいだ皮で縄もなえ、屋根を葺いたり垣根にしたり、染料にもなりました。


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西行に
「乱れ咲く野辺の萩原分け暮れて
       露にも袖を染めてけるかな」
という歌があって、萩原というほど、
そこらへんに群生していたのだなあと、思わせます。




萩はまた、秋の七草として江戸期にも人気があり、
寺島村百花園(現在の向島百花園)では、秋の七草を愛でる遊人が訪れます。

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  寺島村百花園の萩


さらに萩だけを楽しむなら、亀戸の「慈雲山竜眼寺(龍眼寺)」が随一。
推古天皇が殖髪(うえかみ)聖徳太子像をこの寺に収めたといわれています。
それから時がたち、明和3年(1766年)には、
太子堂を建立するために境内に萩を植え始め、
それが次第に増え、文政ころには「数千叢(すせんそう)」にもなったとありますから、
まさに「萩寺」と呼ばれる風格となったようです。
今は境内からスカイツリーも見え、規模は縮小されましたが、
江戸を偲ぶにはよいかもしれません。

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亀戸の龍眼寺の萩の庭


萩を用いた工芸品も多く残っていますが、
浮世絵などにもよく萩が見られ、江戸時代の古典への懐古をうかがわせます。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-10-06 15:53 | 江戸の園芸 | Comments(0)