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浮世絵で巡る日本橋~part1~


人数は少ないのですが(時にひとり)、「江戸研」なるものを開催? しておりまして、
先日は野外研修としゃれこんで、
お天気悪そうだし、
ならば逃げ場の豊富な「日本橋」を極めてみようと、
準備万端、参りましたところ、なんとあの大雪! 
幸いにも参加者2名だったので、元気よく雪の中に繰り出しました。

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まさに広重の描いた「雪の日本橋」がここにあります。
写真は日本橋南詰めから撮影しています。
高島屋はこの手前で、日本橋三越本店は橋を渡った左側になります。
慶長8年(1603)に、家康によって架橋され、
五街道の1里塚の出発点と定められました。

橋は「南詰め」とか「東詰め」といいますが、
南側、東側と、方角を表しています。
横長の画では、手前の橋が日本橋で、
橋の右側が「北詰め」、左側が「南詰め」になります。
有名な日本橋の魚河岸は、
北詰めの下流側(縦長の画では画面の下側に見えている屋根々々が魚河岸)にあります。


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幕末の日本橋の地図です。上のほうに横に流れているのが、日本橋川。



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  これは広重の『名所江戸百景』の
  「日本橋江戸ばし」。
  この画はどこを視点に
  描かれているのでしょう?

  当時は町方の橋に
  擬宝珠が付けられていたのは、
  日本橋と京橋だけなので、
  この橋は日本橋、
  とすると向こうに見えているのは、
  江戸ばしということになります。
  したがって上流から
  下流を見ていることになります。


向こうに見える白壁の蔵の並びが小網町だとご存じなくても、
橋上の魚の天秤桶で、
北詰めから南詰めに向かっていることがわかります。
天秤桶の後ろの桶だし、鰹が入ってるので、
魚市で仕入れ町なかに向かっていますよね。
おまけに、江戸橋の向こうに朝日が昇っています。

広重が『名所江戸百景』を出したのは、
安政の大地震で江戸の大半が破壊され、
江戸に住まう人々が災厄と困難に立ち向かっているときです。
初夏の曙の中を、勢いよく走り出す鰹売り。
たんに季節や名所を描いたのではなく、
江戸っ子広重が江戸っ子に送る、
復興のエールなのだと感じられます。



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さてこちらは、やはり広重の『東海道五拾三次』の「日本橋」。
この画は日本橋南詰めを描いています。
北詰には魚河岸がありますが、南詰めにあるのは高札場。
画の左側にある高札部分拡大します。

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   橋の向こうの魚河岸から
   魚を仕入れてきた男たちが、
   立ち話をしています。
   その左手に
   文字が書かれた板が
   たくさん下がっています。
   幕府からのお触書や、
   WANTEDの似顔絵なんかが
   貼られています。

高札場は全6箇所あって、ここには晒し場の併設されています。
法を犯した罪人が晒されているわけですが、
広重は画の中では巧みに見えないようにしている・・・・・・ということを、
以前うかがったことがあります。



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「日本橋」だけでも、
まだまだたくさんのお話があるのですが、
長くなりますので、続きはまた!


それにしても、この季節、
ちょうど赤穂浪士が討ち入りしたのが、
今年なら1月25日にあたるので、
ああ、浪士たちはこんな雪の中を、
吉良邸に向かっていったのかと、
ぼた雪で重くなった傘を振るいつつ、
「江戸の雪」を楽しんだ一日でした。
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by edo-ukiyo-doll | 2013-01-24 18:21 | 江戸の町 | Comments(0)

めでたやな~。江戸の正月「三河万歳」

新春のお慶びを申し上げます。
(もう七草になってしまいますが)


江戸の元日は、今年は2月10日にあたります。
立春も過ぎ、江戸の頃には正月はまさに「初春」「新春」というにふさわしい新年でした。
江戸では大晦日が終わるギリギリまで、
商家は掛取り(つけで買ってる客の支払い請求)に駆けずり回るので、
元日は大戸を開けず遅くまで休んでいます。
それでも元日は武家たちが身分別に、御城へ新年のご挨拶に行きますので、
大賑わいとなりますし、子どもたちも凧だ羽根つきだと、町中は賑やかです。
2日は商家の初荷ですから、さらに大賑わいとなります。

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これは霞ヶ関の正月風景。坂の上から江戸湾が見え、たくさんの凧が揚がっています。
武家地ですから立派な門松が立ち、通りを行くのは、
漫才師の太夫と才蔵、その脇を太神楽の一行が歩いています。

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    こちらは日本橋三井越後屋
    (現代の三越百貨店)の前を、
    左から鳥追い、漫才師、
    太神楽の人々がそろい組みで、
    歩を進めています。
    正月にはこの画のように、
    太神楽、万歳、鳥追いなどの季節的な芸人が、
    おおぜいやってきて、
    江戸の正月をさらに賑わしいものにします。




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上も霞が関ですが、右に鳥追い、左に太神楽、真ん中に風呂敷を担いでいるのが万歳師です。
万歳は主に三河万歳で、これは現代でも継承されていますが、
江戸の正月には欠かせません。
太夫と才蔵の2人一組で(流派によって異なることも)、
彼らは年の初めに、祝いの言葉を面白おかしく歌い舞って、
その年の福を願って寿ぎの芸を披露してまわります。



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画を見ますと、
太夫は風折烏帽子(かざおりえぼし)に、
大紋という格式のある装束で刀を差し、
手には扇子を持っていますし、
才蔵は侍烏帽子か大黒頭巾にたっつけ袴。
太夫は特に立派な身なりをしています。
これには訳があります。


徳川家が三河出身なので、三河の万歳師たちは優遇され、
御城や大名屋敷の座敷にあがって、万歳をします。
そのために太夫は武士のように帯刀、大紋の着用を許され、
頭には風折烏帽子、手には位の高い人が持つ「中啓(ちゅうけい)」という扇。
この姿は普通の大名と同程度の位に匹敵する服装ですし、
才蔵も武家の服装をします。

三河万歳師は、元旦には江戸城の「御門開き」を担当します。
「鍵いらずとざさる御代の明けの春~」と漫才師が門外から叫びますと、
城内からは「思わず腰ものばす海老の錠~」とあって、門が開けられます。
その後から登城の武家たちが、入っていくこととなるわけです。




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上は「才蔵市」の風景

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年末になると太夫が江戸に出てきますが、
そのときに才蔵を調達し、
何日かで教え込んで使ったものです。
日本橋南詰めの四日市という所に
「才蔵市」というのが立って、
下総(千葉県)の農家の男が
才蔵志願で集まるので、
太夫はそこから相性がよさそうなのを選ぶのでしょう。
ですが、次第に太夫と才蔵のコンビは、
又次の年も・・・・ということが多くなり、
幕末には才蔵市は無くなります。


太夫も才蔵も国は違えど農民なので、気もあって義理にも篤く、
太夫が江戸に着くとすぐに定宿に挨拶に行って再会を喜び、
都合で才蔵ができなかったりすると、代わりの者を送ったといいます。


太夫の歌に才蔵の鼓が入り、歌も舞いもおもしろく滑稽で、
正月の江戸のエンターテーナー、ここにあり!



本年も、ゆるゆるちょびっとがんばりますので、
よろしゅう、おたのみ申しまする~。

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by edo-ukiyo-doll | 2013-01-06 15:35 | ごあいさつ申し上げます | Comments(0)