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テレビのお仕事

2月1日の茶話会を目前に、風邪は治らず、一呼吸ごとに咳き込み、グ、グルジイ~!!
まだ半分寝たり起きたり、これで茶話会は間に合うだろうか・・・
レジュメどころか話の構想も立っていない・・・。
という状態のところに突然やってきたのが、テレビ番組制作会社Eからのメール。
「たけしのニッポンのミカタ!」という番組に、『江戸浮世人形』使わせていただけないか。
風邪と茶話会準備で参っている上、あまりにも途方もないご要望だったので、
お断りしたが、根負けして、ついにお引き受けすることになった。


本来ならそういうご依頼には、最低でも1週間の準備期間をいただくのだが、
今回は準備に1夜しかない。
急遽、ご希望の作品が大量なため、宅配便で送る。


収録日当日。
朝5時起きで天王洲スタジオに入ると、制作会社の担当の方が、
作品の入った宅配の荷物を持って、来てくださり、
セットアップの部屋も、タレント用のメイク室を確保してくれていた。
これだけのスペースがあれば、セットアップもらくだ。


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大作の「百菊見物」も、テーブルに広げられる。

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他の作品はメイク用のテーブルで。
電源も洗面所もあるので便利この上ない。



さて、これをスタジオまで運ぶには、立っている人形は一旦倒し、
指定された場所へ運ぶ。
完全セットアップしおわり、それからがまた大変。
カメラさんが、2センチ右とか、5センチ上げて・・・・
ってなことを言うと、美術さんが急遽、台を作ったりするのだが、そのすばやいこと。

ライティングにカメラワーク・・・・・・何度も何度も修正し、
最もよい状態を作り出す。

タレントさんが入る前に、スタッフが実際にテーブルに座り、
台本を読み上げて、カメラリハーサルをやる。
それが終わって、司会の国分太一さんがスタジオに入ってきた。
この時までに疲労の極みに達していたので、
なにかあったら呼んでくださいと頼み、
メイク室で半分寝ながら、モニターを見ていた。

ゲストの歌舞伎の市川左團次さん、東貴博さん、ももいろクローバーZの百田さんもテーブルにつき、待つこと20分あまり。
たけしさんが登場し、国分さんの司会でトークが始まった。
『江戸浮世人形』は、メインテーブルに並べられ、
出演者が映ると同じ画面に映し出される。
収録の後カメラさんが、拙作を1点ずつ念入りに撮影していた。




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セットアップに用意された部屋は、運河を望むステキな風景が。


この番組をご覧くださった方もいらっしゃると思うが、
放映されたものは、収録量の6分の1程度。
トークの出演者シーンも、同じく6分の1程度。
それでも『江戸浮世人形』、作者:岩下深雪
とテロップを2秒ほど入れてあったので、一応の約束は守っていただいた次第。

深夜帰宅で、翌日の茶話会用のレジュメと台本を作り、
さて茶話会の講演中、目を開けていられるか怪しかったが、
なんとか話ができた。

『江戸浮世人形』は、3度目のテレビ出演だったが(作者は出たことはないッス)、
テレビのお仕事は、もうねえ・・・た~いへんなのよ。

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※注 事前の番組告知は禁じられておりましたので、事後のご報告になりました。
   スタジオで撮影した写真の掲載も禁じられていますので、ご了承ください。

   尚、放送は2月21日(金)のスペシャル枠でした。










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# by edo-ukiyo-doll | 2014-03-02 12:22 | ご報告など | Comments(0)

雪見としゃれる


今年は立春に雪となり、そして週末にまた大雪となりました。
雪に慣れていない東京では、
気象庁から外出は控えてくださいというお達しも。



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山谷堀へ雪見に向かう人々

さて、江戸の頃は、江戸でも結構雪が降ったようで、
雪の浮世絵もたくさんあります。

「いざさらば 雪見にころぶ ところまで」
芭蕉の句ですが、
これは、一面の雪に、
「さあさあ、こんなに(さあらば)雪が降ったなら、雪見に行きましょうか。
雪で転んでしまうあたりまで、どこまでも」
それほどの気持ちではないかと思います。

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「雪月花」で、月見や花見があるならば、
雪見があってしかるべき、とも思うのですが、
現代では雪見などする人はあまりみかけません。

雪を愛でることは、
江戸の風流な人々にはこの上なく、
趣のある行楽だったようで、
家のこたつから雪見としゃれ込む人もいれば、
船で雪の景勝地へ出かける人もいます。


     隅田川には船。雪の待乳山(まっちやま)が素晴らしい。




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「木母寺(もくぼじ・向島にある)雪見」というタイトルの付いた広重の描いた雪景色。
高名料亭の「植木屋」の船着場です。



現代の、すっかりビルディング群に囲まれてしまった景色では、
たとえ雪がそれらを覆ったところで、
あまり景色もよくはないですしね。

でも江戸の頃は雪は、また別の美しい景色を生み出し、
人々には、時間もまた心にも、たっぷりとゆとりがあったので、
こうやって雪の風情を楽しむことができたのかもしれません。











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# by edo-ukiyo-doll | 2014-02-08 17:35 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸茶話会「江戸のお正月」終わりました。

すっかりご無沙汰し、新年のご挨拶もしないままに、
2月1日・・・江戸では前日が元日でしたので、これはお正月のお話にふさわしい!
ということで、今回(第11回)の江戸茶話会は、
「江戸のお正月」~江戸の年の瀬と年の始め~のお話をさせていただきました。


会場は昨年から、房総半島・九十九里海岸の白子町にある
『江戸浮世人形』ギャラリーの隣室。

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テーブルを囲んで、お茶の飲み、
お菓子をいただきながら、
途中で質問や感想も入り、
これぞ「茶話会」と言った感じで、
話している私も、とっても楽しかったですよ。


話し始める前に、隣のギャラリーで、
年末や正月に関連した作品を見ながら解説したので、
実感していただけたようです。


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 「もちつき」


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師走にまずやってくる「節季候(せきぞろ)」にはじまり、
なぜ日本では慌しく寒い師走に大掃除をするのか?
それは歳神様を迎えるため、13日に煤掃きをするからですよ・・・とか、
餅つきには鳶のお兄さんたちがやってくる・・・などなど。

春分、節分と除夜の鐘の関係。
(江戸時代に除夜の鐘はなっていなかったのは、なぜ?)

そして楽しい元日は、静まり返る江戸の町。
うって変わってエネルギッシュにはじける二日。
江戸の町をにぎわすのは、万歳に太神楽、猿回しに、鳥追いなどなど。

特に皆さんの興味を引いたのは、
年の瀬に日本橋の袂で開催される「才蔵市」のことでした。
三河からやってくる太夫は、才蔵市へ行き、
下総(千葉県の北の方)からやってきたお百姓の中から、
コイツ! と思った男を選びます。
互いに農民ですから、その関係は篤く義理堅かったのです。

そんなお話で、あっという間に2時間。



ギャラリーの階下にある「手作りshop」にも、関心を持っていただき、
私も作っている甲斐があります。

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一閑張りもどきや、アーティスティック・アイスキャン・バー・フレームとか、
なんちゃって見た目カルトナージュ・ボックス。
それにチーピー・アクセサリーい~っぱい。

でも、下の段には、伝統工芸の「組子工芸」のキーホルダーやペンダント。
いろんな「手作りモノ」のお店です。







こちらは委託販売の「南アフリカ」のアートな小物。
やっぱりアフリカンはとってもおしゃれです。
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# by edo-ukiyo-doll | 2014-02-05 13:16 | ご報告など | Comments(0)

『忠臣蔵』討ち入りの装束

12月14日が「赤穂浪士の討ち入りの日」ということを知っている人も、

ずいぶん少なくなったかもしれません。

この逸話は英語に翻訳され、“47ronin”という映画が、

アメリカで作られ、現在本邦でも公開中なのだそうで。

ネットで見たら、『忠臣蔵』というよりも、雰囲気は『指輪物語』。

でも赤西クン出てる・・・・・・・グフフフ。

 

それはさておき、今年の『忠臣蔵』のお話は、

討ち入りのときの衣装について。

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このギザギザの文様は、『忠臣蔵』の討ち入りのときの装束として、

もはや、芝居の世界ではなく、史実とさえ思われがちです。

この文様は「鋸歯文(きょしもん)」といいます。

これはもちろん歌舞伎の舞台から始まったことで、

これは当時の「定火消し」の装束だったとよくいわれます。

 

深夜に徒党を組み、まして武器など持っていることがわかれば、

当然、止められますから、火消しの装束をまとった、ということにしたようです。

しかし、実際には、黒い小袖(着物)を着用し、

股引に脚絆(膝下に巻く布)、履物はわらじ、

あとは各自思い思いにせよ、というような指示が、

大石内蔵助から出ていたとか。

 

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実際の定火消しの装束には、「鋸歯文様」はあまりみられないのですが、

芝居のなかで派手で目立つため、用いられたのかもしれません。

しかし討ち入り当夜に、
実際に赤穂浪士の討ち入りを目にした人々の証言には、

「火事装束のようなものを着ていた」ということが残っています。

 

この鋸歯文様は世界中で見られ、空間に魔物が住むと考え、

空間を埋めることによって、魔物を寄せ付けない、

そんな発想から文様が生まれたといわれ、

そんな時代に生まれたひとつががこの「鋸歯文」でもあり、

きわめて原初的な文様といえます。

インドネシアでは「トゥンバル」と呼ばれ、
「更紗」にも多く用いられています。

 

日本には弥生時代から古墳時代に多く見られ、

銅鐸や土器、古墳の壁画また鏡など、

信仰的な用途に使われたことがうかがえます。

後に、幕末の新撰組が忠臣蔵に倣ってか、

浅葱色の鋸歯文様の羽織をまとっていたといわれます。

 






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# by edo-ukiyo-doll | 2013-12-13 13:03 | 都市伝説 | Comments(0)

組子工芸を見に行く。

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「組子」ってご存知ですか?
和室などの障子や、欄間、床の間の明りとり、
あるいは寺社、伝統的な和建築の宿などで、
いまも立派な組子の建具が見られます。
でも今やこの職人さんたちは数少なく、
知り合いの「織田組子工芸」の織田さんは、まさに達人。

織田組子工芸が出展されると言うので、
さっそくお尋ねしました。
「コラボさいたま」という商工見本市です。

さいたまスーパーアリーナで、
11月8日~10日(日)まで開催しています。
工芸品はもとより、お菓子、車、デジタル製品・・・・・・
あらゆるジャンルが参加しているので、なかなかたのしかったです。

「さいたま新都心」駅の目の前なので、
この週末、お近くにおいでの際は、ちょっと寄ってみてはいかが?



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組子はこんな風に、薄くカットした細い木を組み合わせて、作ります。
また詳しくは後日書きますね!

新しいブログスタイルの書き方がわからない~。
なんども消えてしまったり・・・・。





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# by edo-ukiyo-doll | 2013-11-09 09:21 | いろんなお知らせ | Comments(0)

雁の伝説

「雁が渡って行く」
なんとうつくしい言葉だろうかと、いまさらながら思うのだが、
雁が渡っていく空を、久しく見たことがない。
子どものころは故郷の津軽で、
鍵(「く」の字型)になって飛んでいるのを見たのだったが・・・・。


日本に渡ってくる雁はシベリアで繁殖し、
秋になると日本で越冬するために、やってくる。
そして春にはまたシベリアへと帰っていく。
「初雁」は最初に渡ってくる雁で、秋を告げるものとされる。

浮世絵には、雁が描かれたものがたくさんある。


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手元にはないが、本郷の月を背景にして、3美女が並ぶそこに、雁行が描かれている画がある。
たしかに江戸では、フツーに雁が渡ってきていたのだ。
江戸でさえ見られた雁・・・・。
では、いったい、雁たちはどうなってしまったのか?
古来より、雁は鴨などと同様に、狩の対象とされていたが、
1971年には、全国で数千羽まで減少し、狩猟は禁止。
マガンやヒシクイといった雁の類は、準絶滅危惧種となったという。
なるほど、なかなか雁を見ないのも、無理はなかったのね。



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津軽の北のほう、北海道の函館に近い、外ケ浦という海辺には、
「雁風呂」という言い伝えがあるそうだ。

雁たちは北から渡ってくるときに、枝をくわえて持ってくる。
疲れたら、海の上にそれを浮かべて休む。
津軽の浜に到着すると、雁たちは枝を浜辺に置き、
春になってまた北に帰るときに、浜に置いた枝を持って行く。
帰る時期を過ぎても浜に残った枝は、
冬にあえなくこの世を去った雁のもの。

帰れなくなった雁たちの供養のため、
村人たちは残された枝を集め、風呂を焚く。



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江戸の人たちはそんな伝説を知っていただろうか・・・・。
雁を描いた絵師たちの心には、
きっと同じようななにか、
渡るその姿に、哀愁のようななにかを感じていたのかもしれない。





















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# by edo-ukiyo-doll | 2013-11-07 11:47 | 江戸歳時記 | Comments(0)

秋の江戸茶話会のご案内。


大型台風のため、
「江戸茶話会」は
中止とさせて頂きます。



房総半島を直撃とのことで、外房線も運休の可能性が高いため、
残念ですが、中止いたしますので、ご了承ください。




第11回「江戸茶話会」
「世界が仰天!した 江戸の園芸」
      ~長屋の鉢植えから、狂乱のバブルまで~

幕末の外国人たちが驚いた日本の園芸の様子とは? 
江戸時代はまさに園芸ブームの連続!
秋にまつわる作品、または園芸に関する作品、
そして大作「百菊見物」を展示の予定です。
『江戸浮世人形』の作者・岩下深雪が、
人形制作の過程で得たことを、作品を用いながらお話いたします。


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「百菊見物」は幕末近くに作られた「百種接分菊」を、
粘土細工で再現しています。
「百種接分菊」とは、1本の菊の茎に、100種類の異なった種類の菊を繋いで、
1本の菊に仕立てた、まさに神業的園芸技術と言われます。
それを見に謂集する人々を、国芳の原作からさらに拡大し、
作り上げています。

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開催/2013年10月26日(土) 

時間/14:00~15:30 (茶話会後に茶菓タイムです)

会場/九十九里海岸・白子町 AD-FAN内「江戸浮世人形ギャラリー」

交通/外房線「茂原駅」から、小湊鉄道バス白子車庫行き「幸治」下車。徒歩5分。
   東京駅八重洲口から白子町直行バスもあります。
   *参加ご希望の方には、アクセスの詳細(時刻と接続、及び地図)をお送りいたします。

参加費/2,500円(お茶とお菓子が付きます)

定員/10名

申し込み締め切り/10月23日(水)
申し込み方法/ホームページのメールでお申し込みください。

『江戸浮世人形』ホーム・ページ Edo-CoCo
        http://edoukiyoningyo.edo-jidai.com/

●お申し込みいただきますと、受付確認のメールを差し上げます。
 3日以内にメールが届かない場合には、お手数ですが再度お送りください。


主催/お江戸漫遊連&岩下人形工房
後援・協力/AD-FAN  



     
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-10-03 17:12 | いろんなお知らせ | Comments(0)

秋草文様あれこれ

やっと秋らしい空が見られるようになりました。
異常気象は、これからも続くのかもしれませんが、
それでも草花が、野山に季節を彩るのはうれしいことです。

四季のある日本では、古くから四季の花々が文様にも取り入れられてきました。
「春の七草」は食用とされることが主ですが、
「秋の七草」は観賞されることがメインです。

「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花
        女郎花 また藤袴 あさがほの花」
 
    これは『万葉集』に収められた山上憶良の歌ですが、
    「秋の七草」の始まりがここにあるといわれます。
    萩、尾花(ススキ)、葛花(葛)、撫子(なでしこ)、
    女郎花(おみなえし)、藤袴、あさがお、
    この7種が秋の七草といわれています。



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「秋草の七草」を取り入れた振袖。





〈萩〉は梅雨のころに咲く「五月雨萩」もありますが、
猛暑もおさまった今、あちらこちらで赤紫の萩が、優雅な線を描いて花をつけています。
マメ科の多年草で、「鹿鳴草(しかなぐさ)」とか、「つきみぐさ」などとも呼ばれ、
秋の野の代表的な花。


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「萩」の振袖。


〈尾花〉はススキのことですし、
〈女郎花〉や〈撫子〉は
園芸種もあって、わりと目にできる
秋草ですね。
撫子は夏から開花しているので、
夏の花とされることもあります。



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歌舞伎『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』の
「葛の葉」の衣装に描かれた「尾花」。
「葛の花」ではないところがミソ?
右上は拡大図。





〈葛〉はちょうど今花が満開になっていますが、
根は葛粉や葛根湯として有名なわりには、文様としてはあまり見かけません。
〈藤袴〉は、『源氏物語』や古歌に登場します。
乾燥させると蘭あるいは桜餅のような芳香を放ち、
「蘭草」とか「香草」、あるいは「紫蘭」などとも呼ばれます。
現在は園芸種も多く出ていますが、本来の〈藤袴〉は、
準絶滅危惧種に指定されるほど、少なくなっているそうです。



さて、最後の〈あさがほ〉ですが、
万葉の頃の「あさがほ」は、「桔梗」のことを指すとも言われていますが、
「桔梗」だけではなく、「木槿(むくげ)」や「朝顔」のことを総称しており、
場合に応じて使い分けていたとも言われます。
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-09-26 00:47 | 江戸の文様・江戸の色 | Comments(0)

「江戸浮世人形ギャラリー」開設記念特別展のお知らせ

十九里海岸の白子町で、
ギャラリー開設記念の特別展
を開催いたします。


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「夕涼み」


残暑厳しい今年の夏でしたね。
江戸でもやはりこんな異常な夏は・・・・?
まだ地球温暖化なんてなかったのですから、
これほどではなかったでしょう。

そんな今年の夏の開設した「江戸浮世人形ギャラリー」
の開設記念として、江戸の夏と秋の作品を特別展示いたします。

江戸のの町衆の「夕涼み」風景や、
江戸の夏の風物詩でもある「冷水売り」、
十五夜の「月見だんご」作りのシーンなど、
夏から秋への江戸の様子を表した作品8点ほどを展示します。


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  江戸の残暑を感じながら、
  ゆく夏をお過ごしください。
  秋めいてきた九十九里海岸も
  お楽しみいただけますよ!



各作品には説明がついていますが、
作者自ら、江戸のことや、制作上のエピソードなどもお話いたしますので、
お気軽にお声をかけてくださいね。


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会期/2013年9月14、15日(土・日)
時間/11:00~16:00
会場/「江戸浮世人形」ギャラリー
     千葉県長生郡白子町
     幸治3992-5 AD-FAN 2階





f0186852_2010671.jpgアクセス/
電車&バス・・・・・・JR外房線「茂原駅」下車。
茂原駅東口から小港鉄道バス「白子車庫」行きで
「幸治」下車。徒歩5分。
車・・・・・・・・・・九十九里有料道路「白子IC」
おりて、二本目の「旧道(バス通り)」を左折。
ファミーかたおか屋内テニスコートのT字路を右折。
アポロコースト屋内テニス場前。


 ★ご不明の点などは、HPのメールでお問い合わせください。
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-09-09 20:17 | いろんなお知らせ | Comments(0)

「まわり灯籠」

江戸はそろそろお盆(盂蘭盆会)の頃になります。
今年は8月19日が、旧暦の7月13日ですから、
七夕はその前、新暦では8月13日になります。
その昔は、七夕はお盆の一環行事だったので、
秋の夜空で、牽牛と織女の星たちも、
しっかり見ることができたのですね。


さて、お盆の頃になりますと、
さまざまな「灯籠」が飾られるのが、
江戸の晩夏、初秋の風景でもあります。



「まわり灯籠」



鳥居清長の浮世絵をもとにしましたが、画には「七月」とあります。


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子どもたちがまわり灯籠を囲んでいます。
まわり灯籠は、内部の中心にろうそくを立ててその熱で上の羽根をまわし、
その力で内部の絵を回して周囲に映し出される絵を見ます。


でもこの灯籠には軒付きの窓があるので、
ちょっと変わったまわり灯籠ということで、
窓から中を覗くと絵がまわって見える・・・そんな設定にしています。
覗きからくりのようなまわり灯籠というところでしょうか。
ヒミツめいていて興味津々な子どもたち。


まわり灯籠の灯籠自体は回せませんが、
中に小さなLEDを灯すと、描いた画が浮き上がって見えるように作りました。
なかなか楽しい灯籠です。

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腹掛け(金太郎さん)の幼児は、こんな風貌です



子どもは夏には腹掛けで、その上に浴衣なども着ます。
女の子の袖は下まで開いている広口なので、
腕の下を「ささげ」という紐飾りで止めています。
ささげは、「ササゲマメ」のことで、
インゲンマメに似ていますが、
もっと細長くたくさん下がっています。
この形に似ているのでそういう名前が付いたのですね。
この時代の女の子は髪形もずいぶん凝っています。









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# by edo-ukiyo-doll | 2013-08-09 11:48 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

ささやかにギャラリー開設です。

ささやかですが
『江戸浮世人形』のギャラリーを開設しました

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房総半島の九十九里海岸・白子町は、
テニスと温泉、そして玉ねぎの町です。
海岸から歩いて5分ほどの民家の2階に、
小さなギャラリーを開きました。
潮風やその他で、粘土人形の管理は難しい環境ですが、
温泉に入りがてら、砂浜の散歩を楽しみながら、
足を延ばしてくだされば幸いです。






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常時、6~10点ほどの作品を展示しています。
AD-FANというサンダル工房が1階にあり、
ふだんはそこの人にお声をかけてお入りください。
土曜日は作者自身も居ることもあります。

入場は、もちろん無料です。
作品のほとんどは、販売しております。

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作者の岩下深雪が、作品を用いながら様々な江戸のお話をする
「江戸茶話会」を、年に3~4回開催します。
お茶と和菓子付きですから、
江戸三昧の楽しいひと時をお過ごしください。



土曜日にはこの小さなギャラリーで、
「季節の小物を作る」ワークショップをします。

見ただけで難しい・・・・・・と思われるのかもしれませんが、
最初は、超簡単なものから始めますので、すぐに作れます。
作る楽しみ、工夫していく楽しみを、わかちあいましょう!

「はまぐり雛」、「アイスバーフレーム」、
「お酉さまの熊手」、「クリスマス・オーナメント」
など、できるだけ身近にあるものを使って、作っていきます。








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『江戸浮世人形』ギャラリー in SHIRAKO

場所/千葉県長生郡白子町幸治
休み/火曜日(不定期)
開館/11:00~15:00(早仕舞いもあります)


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# by edo-ukiyo-doll | 2013-08-04 15:42 | ごあいさつ申し上げます | Comments(0)

藤の思い遥か


しばらく江戸のブログをサボっておりましたが、季節は移りすっかり入梅。

この時期の植物の成長は早く、10日ばかりロンドンに行ってる間に、
楽しみにしていた「グミ」の実が、もう熟してなくなってた(食べられちゃった!)。
それはそうと、おくればせながら、「藤」のお話しを少し。

ずいぶん昔、レンガ造りの家のファサードに、
藤の花が咲き誇っている写真に魅せられたことがあって、
それはロンドンのチェルシーというところで撮影したと書かれていた。
以来、チェルシーの藤が見てみたいと思っていたのだが、
先日、長年の思いがかなった。


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ロンドンの中でもチェルシーは高級住宅街といわれ、まさになるほど。
この時期は、チェルシー・フラワー・ショウという
世界的にも有名な花の祭典が行われるのだが
(今年は100周年記念でチケットはすでに完売だった)、
今年は異常気象で寒くて、未だ薔薇も咲いておらず、
代わりに藤がまっさかりで、あっちにもこっちにも藤の絡まる家々。



藤は日本や中国、それに北アメリカも原産地。
英語でwisteriaまたはwistaria(ウィスタリア)というが、
この名前はイギリス人の動物学者にして植物学者のThomas Nuttallトマス・ナトールが、
尊敬する医師Casper Wistarキャスパー・ウイスターに因んでつけたといわれている。
イギリスではWisteria Floribunnda、
俗にJapanese Wisteriaという藤が一般的なようで、
日本のように、棚仕立てにはしないが、
いわれてみればなにやら、日本的な雰囲気をも感じられる。


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万葉の時代に、こんな歌がある。

      須磨の海人の塩焼衣の藤衣
            間遠にしあればいまだ着慣れず

この「藤衣」というのが気になった。
藤衣は藤色の衣ではなく、藤の蔓で織った粗末な衣服だという。
藤の蔓の皮をむいて灰汁で煮て柔らかくしたのを、
さらに叩いて繊維にしたものを、糸として用いた織物でとても目が粗い。
だが、とても丈夫で茨の中に入っても、棘から身を守れるほどだそうな。
なので、江戸時代まで野良着などとして用いられたようだ。


上の歌は、海人が塩焼きのときに着る「藤衣」は、
目の粗い織物なのでいまだに肌になじまないものだ、
というほどの意味になるだろうか。

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さらに進んで、平安期に夭逝した歌人藤原道信に、
   
     限りあれば今日ぬぎ捨てつ藤衣
            はてなきものは涙なりけり


というのがあって、
ここでは藤衣は「喪服」ということをはっきりと指している。

粗末な衣類である藤衣は、
平安の頃から身分の高い人々は、これを喪服として用いたという。
後年、喪服は麻布も用いるようになったけれども、
親族や葬儀を執り行う人たちは、必ず生成りのこの藤衣をまとった。

道信の歌は、喪に服しているのにも期限があるので、
今日で喪服は脱ぎ捨てるけれど、
涙だけはいつまでも果てなくこぼれるのさ・・・・・・そんな意味だ。


藤の花と藤衣。
華やかな花の一方では、死者を弔う衣でもあったことが、
藤への思いをいっそう深めさせる。

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# by edo-ukiyo-doll | 2013-06-10 15:39 | my favorite | Comments(0)

目黒の筍

今年は桜の開花が早かったけれど、何だかその後が肌寒い。
桜が終われば、待ってました! 筍(たけのこ)の到来。
毎年、紀州から早々と送っていただくのだが、筍好きなのでたまりまへん!

さて、目黒といえば「さんま」ですが、
江戸時代ならもう一つ、筍。
『鬼平犯科帳』にも、桐屋の黒飴同様、
しきりと目黒の筍が出てきます。



                      下は目黒の飴の代表格の見世「桐屋」
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筍の原産地は中国の江南省で、
そこから琉球を経て、
島津藩に伝わったらしい。
寛政元年(1789年)に、
山路次兵衛なる人物が薩摩から持ち帰り、
戸越の自邸に植えたところよく育ったとか。
そこで彼は目黒不動尊門前の茶飯屋と共同で、
筍飯を考案して提供したところ、
一躍目黒の名物となったといいます。
     


   
江戸の人々は「初物を食うと75日、長生きする」
とか言っちゃって、
とにかく初物に熱狂しました。
かつおだけではありませんで、
茄子も豆も筍も、もうあらゆる季節物は、
初物だったらバカみたいな高値で売れていっちゃいます。
キャビアが高いとかマグロが高いのと、ワケが違う。
だって、初物は1ヶ月もすれば、
ごくフツーの値段になっちゃうのだから。


あまり初物にとち狂って値段が高騰するものだから、
幕府は初物などの売り出し期間を制限するなど、
あの手この手で、市場価格を安定させようと、
一応努力はしていました。
でも効き目は、ない。
いっとき、止んでも、またぞろ初物ブレイクです。
だって、江戸っ子ですもの。
お上なんざあ、こわかねいやい!
ってなもんでしょうなあ。


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豊広・豊国画


「筍羹」しゅんかん、と読みます。
江戸時代1674年に出版された『江戸料理集』の中の筍料理。
ゆでた筍をタテ半分に切り、軸部分をくりぬく。
くりぬいて取れた部分は乱切りにして、
きくらげ、しいたけなどをかつおだし、しょうゆ、みりんで濃い目に煮る。
汁気を切って冷ましたら、魚か海老のすり身と合わせ、
筍に詰めて蒸す。これを切って、木の芽を添えて出す。
どなたか作って、ぜひご感想を!
なんなら、クール便で送ってくださっても・・・・・にゃは!



そうそう、それで今、目黒の筍林、
じゃなかった竹林はどうなっているかと言うと、
昭和になってすっかり廃れたそうです。
噂によると目黒区に2箇所だけ竹林が残っている
と言うのですが、目撃情報をお寄せください
堂泥山他力本願寺派の私でございます(^^;)へへへ。






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# by edo-ukiyo-doll | 2013-04-19 11:08 | 江戸の食べ物 | Comments(0)

「水辺の花菖蒲」


春先に、初夏のような暑い日があったのに、ここしばらくは冬のような寒さでした。
それでも、こちらではさまざまな種類の桜も終わりを見せ、
藤が美しい色に開き始めました。
杜若(かきつばた)も見ましたよ。
あっという間に、初夏の花が咲き出すのかもしれない、
異常な気候のこのごろです。
 

さて、端午の節句(本来は現代のカレンダーでいえば6月13日が端午の節句)もちかいので、
少し早めに菖蒲のお話です。

端午の節句に、菖蒲湯に入りますか?
菖蒲湯で使う「菖蒲と」、花のみごとな「花菖蒲」は別物です。
菖蒲湯に入れる葉の方は、サトイモ科で、
香りは強いのですが花は地味です。
一方、花を愛でる花菖蒲はアヤメ科で、
園芸的に改良によって作り出されたものなのです。

江戸時代末期、「菖翁」と称した松平定朝左金吾というお旗本が、
彼の父が収集した花菖蒲をもとに、長年にわたって自ら改良を重ね、
約200種までも増やしました。
 
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  東京の葛飾区に「堀切菖蒲園」という、
  花菖蒲専門の庭があります。
  ここは堀切の農家の伊左衛門という人が、
  相模の国から持ち帰ったものや、
  前述の菖翁から譲り受けたものを、
  これも長い間、研究と栽培を重ね、
  やがて一般に公開した場所が、
  この「堀切菖蒲園」です。
  敷地面積は当時より、
  だいぶ小さくなったようですが、
  以前行ったことがあって、
  花の頃には丹精された花菖蒲が、
  それはそれはみごとでしたよ。
  まあ、人が多いのは仕方ないとしても、
  花の美しさは格別。

  左は英山画

「堀切菖蒲園」は江戸時代最後に誕生した花の名所だそうで、
広大な花菖蒲園には、八ツ橋のように板で橋が架けられ、
趣のある風景は広重や豊国も描いていますね。




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そんな浮世絵の1枚をもとに作ったのが、この作品です。
初夏の水辺に咲く花菖蒲を眺める女二人。
日除けのために菅笠をかぶった女は、
曙色の井桁絣の単衣に前帯姿で、いかにも既婚者の装い。

しゃがんで手を伸ばしている若い女は、
黒地に白い霞文様の薄物の振り袖
なので、二人は母娘といったところでしょうか。

花菖蒲の向こうには、
五月雨萩(さみだれはぎ)が初夏の風に揺れています。
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-04-13 11:31 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

お江戸花見ツアー 「小金井桜」


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さても、お江戸も桜(はな)の頃となりました。
桜の名所は数々あれど、まず第一は東叡山、
上野のお山でございましょう。
それから品川御殿山に、王子の飛鳥山はいうまでもなく、
墨堤の賑わいもいかばかりかと・・・。
でも、ちと見飽きた聞き飽きたとおっしゃる方へ、
小金井の桜堤などいかがでしょう。
東都からは7里半(30kmほど)もありますから、
ワンデイ・トリップはムリです。
1泊覚悟で、ではゆるりと出かけましょうか。


今でしたら電車ですぐですけれど、
お江戸では、まずは四谷から内藤新宿へ出ます。
(私だってこの程度なら歩けます。この道はよく歩きましたモン)。
そしたら淀橋(ヨドバシカメラ発祥の地。西新宿)をぬけ、
中野へ向かいます。
左に鍋屋横丁があり(よく飲みに行った)、
堀の内を過ぎます(だんだん私にはわからなくなってきた)。
それからとにかく光円寺むら(お、高円寺のことですな)をめざし、
右には阿佐ヶ谷神明の道があるそうな(ご存知の方、そう?)。
このむら(村)をず~~~っと過ぎていくと左へ別れ、
この道が小金井へ行くらしい。


さて、日も暮れるといけませんので、
早足になり(というより、一気にワープしま~す)、
はい、ここが小金井の桜並木です。

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この川は「玉川上水」。
そうです、お江戸の町に水を運ぶ玉川上水です。

この橋は小金井橋といいますが、
「この橋上より眺望すれば、雪と雲とまがひて、一目千里前後 尽くるを知らず」
だそうで、なんたって、
かつては一面のススキの原だったところが、
見事なまでの桜の名所に大変身を遂げたのですから。
ま、それまでには、何十年もかかってはいますが。

ご存知、玉川兄弟の飽くなき挑戦によって、
ついにこの地に上水が完成しますと、
今度は幕府の命を受け、川崎平右衛門定孝という人が、
武蔵野新田世話役となって、
新田開発の責をにないました。
すると平右衛門さんは、
新田の開発もさることながら、元文2年(1737)には、
小金井橋を中心に玉川上水の両岸6キロの間に、
2000本もの山桜を植えたのでした。


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単に美しい風景にしようというのではありません。
堤に桜が根を張り、頑強な堤防を作ってくれますし、
夏は木陰で人々が暑さをしのぐことができます。
また、この頃は桜に解毒作用があると思われていて、
花びらが上水に落ちて水を浄化すると考えたとか。
  (そういえば、かつおにあたって頭痛がひどくなったら、
    桜の木の皮をしゃぶる・・・・というのがありましたね)
そして、これほどの桜ですから近隣のみならず、
江戸からも花見客の足を向けさせる
・・・・その経済効果をも狙ったようです。


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やがて50年ほどたちますと、
小金井桜は多くの絵師によって描かれ、喧伝され、
文化文政の頃(1804~1830年)には、
関東随一の桜の名所として、名をはせてゆくのです。

もうその頃になりますと、
近隣の農家の人々は、花見時には自宅で貸し座敷や、
茶店の経営に乗り出して、
貴重な現金収入となったようです。
小金井橋のたもとにある「粕屋」は、江戸にまできこえた酒楼らしく、
この一帯は、料理茶屋や茶店がおびただしいほど並んでいます。


や~、いいだろうなあ。
文政の頃の小金井桜ツアーに行きたいですね。


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*注 「小金井桜ツアー」は、参加人員を募集しておりません。
このブログのコメント欄や、HPのメールからお申し込みになりませぬよう、
お願い申し上げます。
あくまで江戸の道ですし、
そもそも添乗員が方向音痴のため、はなから無理です。
あしからず
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-03-23 23:01 | 江戸歳時記 | Comments(0)

「かよひ小町」

啓蟄も過ぎますと、
やっと春めいて、もうしばらくすると、
江戸っ子が待ちわびる「初午」がやってきます。
如月の初めての午の日ですが、
この日は大人も子供も楽しみな日です。

この日はまた、子どもたちが手習いに入門する日でもあります。
父親は文机を担いで、手習いのおっしょさん(お師匠さん)のとこへ、
子どもともども挨拶に行きます。
そんな具合に、子どもの手習い生活は始まります。


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さて、この作品は、手習いにかよう女の子2人。
タイトルは、「かよいこまち」と読みます。
小野小町のエピソードのひとつで、
美貌の小町に恋をした深草少将が、
百夜通い詰めたらあなたの心に応えましょう・・・と言われ、
九十九夜まで通いましたが、
百夜目に雪であえなくこの世を去ります。
謡曲にも『七小町』のなかで
「百夜通(ももよがよい)」というお話になっています。

この作品のもとになった浮世絵には、
手習いに通うことをしゃれて、
こんなタイトルが付いています。
年かさの子もまだ幼い子も、
手習いの草紙などが入った風呂敷包みや、
手習い帳を持っています。

「寺子屋」というのは京阪の言い方。
江戸では「手習い所」などと言い、手習いに行くといいます。
当時、江戸の識字率は世界一高かったのは、
手習いや寺子屋のおかげなのでしょうね。








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# by edo-ukiyo-doll | 2013-03-07 22:37 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

牡丹に紅葉の薬喰い

江戸の町では今頃年末を迎え、あちらこちらで歳の市が開かれています。
そして寒いこの季節に密かに人気だったのがジビエ。
ジビエは野生なら鳥も含めたものですが、
もちろん、江戸時代にも、牛や豚も含め獣肉は「薬喰い」と称して食べられます。


f0186852_6274271.jpg広重の『名所江戸百景』のこの画「びくにばし雪中」。
左に「山くじら」という看板が見えますが、
ここが獣肉を食べさせる店です。
くじらは魚という認識なので、獣肉はさすれば「山」の「くじら」
ということにしておくかあ、そんな発想でしょう。
さて、びくにばし(比丘尼橋)は、
現在の銀座1丁目あたりになりますが、
画の右手に描かれるのは外堀の石垣で、
「山くじら」の看板の右手に見えるのは、
数寄屋橋御門(現在の数寄屋橋)の火の見やぐらです。


幕末にはこのような、獣肉を食べさせる店が、
江戸に10余軒ほどもあったとか。
麹町の平河町三丁目の「ももんじ屋」も有名ですが、
ここもまた御城(江戸城)に近い場所です。

江戸時代に獣肉を食べることは、
法的に禁止されていたわけではないので、
このように将軍のお膝元で、店を構えていられます。
彦根藩では毎年、将軍家と御三家に、
赤斑牛の味噌漬けを献上していたほどです。
ただし彦根の家中では、牛の中で赤斑牛だけは食べても穢れないという、
ステキな主張をしています。


しかし仏教では獣肉は穢れたものとされますから、
獣肉を食べると数十日は寺の門をくぐってはならない、という禁忌は強くあります。
たとえば牛肉を食べると150日は、お寺には行けません。
現代と違って、江戸時代の人々にとって寺社参りは、
私たちがカラオケや映画に行くような、
日常に欠かせないエンターテイメントですから、
これに行けないのはキツイです。

それと近所や、まして女房にバレたら、こりゃあまずい。
四足を食べるなんて、罰当たりだし、気色が悪いことなのです。
でもね、一度食べたら病みつき・・・・・・なんてこともありますよね。


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これは『仮名手本忠臣蔵』五段目の猪と間違えて・・・の場面

鹿、猪、兎、牛、狸が人気の順番。
大抵は葱を入れた鍋にします。
おおっぴらにはできないので、「薬喰い」と称し、
滋養があるから「薬」なのだと言い訳します。


蕪村の句に
  「薬喰い 人に語るな 鹿ケ谷」
というのがあります。
やはりおおっぴらに食べるのは気がひけるのでしょう。
そこで獣肉を大和言葉に置き換えて・・・・・・なんて、
苦肉の策が現代にまで引き継がれていますね。

猪を「牡丹」というのは、獅子には牡丹がおきまりですから。
鹿は「紅葉」。これもまた花札でもおなじみの、決まりごと。
牛は「ワカ」。もちろん「牛若丸」ですよね。
牛はまた「冬牡丹」とか、「黒牡丹」などとも呼ばれたとか。

忌み嫌われ、おおっぴらに食べられませんが、
抜け道はどこにでもあるもので、
蕪村には
   「薬喰い 隣の亭主 箸持参」
というのもあります。

この「箸」がクセモノなのです。
なぜ箸なのか? 

わざわざ「持参する箸」のナゾはまたいずれ。









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# by edo-ukiyo-doll | 2013-02-01 21:17 | 江戸の食べ物 | Comments(0)

浮世絵で巡る日本橋~part1~


人数は少ないのですが(時にひとり)、「江戸研」なるものを開催? しておりまして、
先日は野外研修としゃれこんで、
お天気悪そうだし、
ならば逃げ場の豊富な「日本橋」を極めてみようと、
準備万端、参りましたところ、なんとあの大雪! 
幸いにも参加者2名だったので、元気よく雪の中に繰り出しました。

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まさに広重の描いた「雪の日本橋」がここにあります。
写真は日本橋南詰めから撮影しています。
高島屋はこの手前で、日本橋三越本店は橋を渡った左側になります。
慶長8年(1603)に、家康によって架橋され、
五街道の1里塚の出発点と定められました。

橋は「南詰め」とか「東詰め」といいますが、
南側、東側と、方角を表しています。
横長の画では、手前の橋が日本橋で、
橋の右側が「北詰め」、左側が「南詰め」になります。
有名な日本橋の魚河岸は、
北詰めの下流側(縦長の画では画面の下側に見えている屋根々々が魚河岸)にあります。


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幕末の日本橋の地図です。上のほうに横に流れているのが、日本橋川。



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  これは広重の『名所江戸百景』の
  「日本橋江戸ばし」。
  この画はどこを視点に
  描かれているのでしょう?

  当時は町方の橋に
  擬宝珠が付けられていたのは、
  日本橋と京橋だけなので、
  この橋は日本橋、
  とすると向こうに見えているのは、
  江戸ばしということになります。
  したがって上流から
  下流を見ていることになります。


向こうに見える白壁の蔵の並びが小網町だとご存じなくても、
橋上の魚の天秤桶で、
北詰めから南詰めに向かっていることがわかります。
天秤桶の後ろの桶だし、鰹が入ってるので、
魚市で仕入れ町なかに向かっていますよね。
おまけに、江戸橋の向こうに朝日が昇っています。

広重が『名所江戸百景』を出したのは、
安政の大地震で江戸の大半が破壊され、
江戸に住まう人々が災厄と困難に立ち向かっているときです。
初夏の曙の中を、勢いよく走り出す鰹売り。
たんに季節や名所を描いたのではなく、
江戸っ子広重が江戸っ子に送る、
復興のエールなのだと感じられます。



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さてこちらは、やはり広重の『東海道五拾三次』の「日本橋」。
この画は日本橋南詰めを描いています。
北詰には魚河岸がありますが、南詰めにあるのは高札場。
画の左側にある高札部分拡大します。

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   橋の向こうの魚河岸から
   魚を仕入れてきた男たちが、
   立ち話をしています。
   その左手に
   文字が書かれた板が
   たくさん下がっています。
   幕府からのお触書や、
   WANTEDの似顔絵なんかが
   貼られています。

高札場は全6箇所あって、ここには晒し場の併設されています。
法を犯した罪人が晒されているわけですが、
広重は画の中では巧みに見えないようにしている・・・・・・ということを、
以前うかがったことがあります。



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「日本橋」だけでも、
まだまだたくさんのお話があるのですが、
長くなりますので、続きはまた!


それにしても、この季節、
ちょうど赤穂浪士が討ち入りしたのが、
今年なら1月25日にあたるので、
ああ、浪士たちはこんな雪の中を、
吉良邸に向かっていったのかと、
ぼた雪で重くなった傘を振るいつつ、
「江戸の雪」を楽しんだ一日でした。
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# by edo-ukiyo-doll | 2013-01-24 18:21 | 江戸の町 | Comments(0)

めでたやな~。江戸の正月「三河万歳」

新春のお慶びを申し上げます。
(もう七草になってしまいますが)


江戸の元日は、今年は2月10日にあたります。
立春も過ぎ、江戸の頃には正月はまさに「初春」「新春」というにふさわしい新年でした。
江戸では大晦日が終わるギリギリまで、
商家は掛取り(つけで買ってる客の支払い請求)に駆けずり回るので、
元日は大戸を開けず遅くまで休んでいます。
それでも元日は武家たちが身分別に、御城へ新年のご挨拶に行きますので、
大賑わいとなりますし、子どもたちも凧だ羽根つきだと、町中は賑やかです。
2日は商家の初荷ですから、さらに大賑わいとなります。

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これは霞ヶ関の正月風景。坂の上から江戸湾が見え、たくさんの凧が揚がっています。
武家地ですから立派な門松が立ち、通りを行くのは、
漫才師の太夫と才蔵、その脇を太神楽の一行が歩いています。

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    こちらは日本橋三井越後屋
    (現代の三越百貨店)の前を、
    左から鳥追い、漫才師、
    太神楽の人々がそろい組みで、
    歩を進めています。
    正月にはこの画のように、
    太神楽、万歳、鳥追いなどの季節的な芸人が、
    おおぜいやってきて、
    江戸の正月をさらに賑わしいものにします。




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上も霞が関ですが、右に鳥追い、左に太神楽、真ん中に風呂敷を担いでいるのが万歳師です。
万歳は主に三河万歳で、これは現代でも継承されていますが、
江戸の正月には欠かせません。
太夫と才蔵の2人一組で(流派によって異なることも)、
彼らは年の初めに、祝いの言葉を面白おかしく歌い舞って、
その年の福を願って寿ぎの芸を披露してまわります。



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画を見ますと、
太夫は風折烏帽子(かざおりえぼし)に、
大紋という格式のある装束で刀を差し、
手には扇子を持っていますし、
才蔵は侍烏帽子か大黒頭巾にたっつけ袴。
太夫は特に立派な身なりをしています。
これには訳があります。


徳川家が三河出身なので、三河の万歳師たちは優遇され、
御城や大名屋敷の座敷にあがって、万歳をします。
そのために太夫は武士のように帯刀、大紋の着用を許され、
頭には風折烏帽子、手には位の高い人が持つ「中啓(ちゅうけい)」という扇。
この姿は普通の大名と同程度の位に匹敵する服装ですし、
才蔵も武家の服装をします。

三河万歳師は、元旦には江戸城の「御門開き」を担当します。
「鍵いらずとざさる御代の明けの春~」と漫才師が門外から叫びますと、
城内からは「思わず腰ものばす海老の錠~」とあって、門が開けられます。
その後から登城の武家たちが、入っていくこととなるわけです。




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上は「才蔵市」の風景

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年末になると太夫が江戸に出てきますが、
そのときに才蔵を調達し、
何日かで教え込んで使ったものです。
日本橋南詰めの四日市という所に
「才蔵市」というのが立って、
下総(千葉県)の農家の男が
才蔵志願で集まるので、
太夫はそこから相性がよさそうなのを選ぶのでしょう。
ですが、次第に太夫と才蔵のコンビは、
又次の年も・・・・ということが多くなり、
幕末には才蔵市は無くなります。


太夫も才蔵も国は違えど農民なので、気もあって義理にも篤く、
太夫が江戸に着くとすぐに定宿に挨拶に行って再会を喜び、
都合で才蔵ができなかったりすると、代わりの者を送ったといいます。


太夫の歌に才蔵の鼓が入り、歌も舞いもおもしろく滑稽で、
正月の江戸のエンターテーナー、ここにあり!



本年も、ゆるゆるちょびっとがんばりますので、
よろしゅう、おたのみ申しまする~。

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# by edo-ukiyo-doll | 2013-01-06 15:35 | ごあいさつ申し上げます | Comments(0)

江戸の町に響く餅つきの音

年の瀬も迫ってきましたが、
大掃除の13日頃から、江戸では餅つきが始まります。
ずいぶん早いと思われるかもしれませんけれど、
この頃から大晦日の夜があける頃まで、
江戸中で餅つきが行われます。


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武家や大店では、自分の家で餅をつきますが、
「引きずり餅」といって、町内の鳶や人足たちが5人くらいで1組になり、
注文のあった家の前で、餅をつきます。
杵の音高らかにもちをつかせるのは、ちょっとした自慢だったようです。
この人たちは餅つきに必要な道具、
かまど、せいろ、うすに杵、薪も持参して一式を用意し、
景気よくつくのを信条としました。
「千本杵」といって、数人の男が歌に合わせて、一気につき上げる
などというパフォーマンスもあったほど、派手だったようです。
これも江戸っ子の見栄でしょうね。
菓子屋に注文する「賃餅」は、格が低い家と思われて、
「引きずり餅」を頼む家が多かったそうですよ。
まあ、長屋はみんながまとめて頼んだり、賃餅だったでしょうね。

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つきあがった餅は、大根おろしのからみ餅にして、
まずみんなでいただきます!
それから、「配り餅」といって、
塩魚や干魚などとともに、知人や親戚に配ったりもします。

上の浮世絵は豊国が描いた
『甲子春黄金の若餅(きのえねはるこがねのわかもち)』。
この画の左手、ゴザの上に大量のもちが並んでいますが、
たくさん作るのは配るためでもあるのです。

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この画を基に作ったのが、この作品「もちつき」です。
(立っている人形の大きさは、13センチくらいです)

こうして、年神さまを迎える準備が着々と進んでいきます。
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# by edo-ukiyo-doll | 2012-12-27 18:14 | 江戸歳時記 | Comments(0)