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夏の物売り。「夏を乗り切る」薬売り。

枇杷の葉のお茶を飲んでる方もいらっしゃるのではと思いますが、
江戸の頃には、「枇杷葉湯」といって、枇杷の葉に、
肉桂(にっけい)や甘草(かんぞう)など、数種の薬草を混ぜて煮出した、
いわばハーブティーは、夏の定番の手軽な煎じ薬でした。
暑気当たりやかくらん、くだり腹に効くそうで、
甘草が入っているので、ほのかに甘いのでしょう。
無料で飲ませて宣伝し、良ければ買ってもらうという販売です。

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上の図の右にいるのが
枇杷葉湯売り。
拡大してみます。














  「枇杷と桃 葉ばかりながら 暑気払い」
桃の葉も、あせもや湿疹など皮膚の炎症などを抑えるので、
お風呂にいれたり、特に夏には欠かせないものです。
枇杷も桃も実を食べるのに、「葉っぱばかり」使うのと、「憚りながら」をかけた川柳。


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これも枇杷葉湯売り





本店は京の烏丸にあり、江戸には天明(1781~88年)の頃に、
薬炉を取り付けた箱を担いで、通りを行く人々に飲ませる・・・・
ってなことを、太田南畝が書いているそうで、
これが「京の烏丸枇杷葉湯」という薬売りです。
箱には烏がトレードマークになっていて、夏の江戸の風景にはよく見かけます。
   「京の烏を江戸で売る熱い事」
   「真黒になって売るのは烏丸」



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一方の定斎屋。
「是斎屋(ぜさいや)」ともありますが、
「じょさいや」というのが江戸風のようです。
町を売り歩く薬屋ですが、
夏の諸病に効果があるという薬を売っているので、
江戸の夏の風物詩ともなっているほどです。
濃紺の印半てんに股引(夏は脚絆のことも)、
炎天下でもけっして笠や手ぬぐいはかむらず、
「これを飲んでいれば、ほれこの通り暑気もなんのその」
という宣伝でもあるわけです。

   「定斎屋は色が黒いが自慢なり」
天秤棒で箱を担いでいますが、
この箱には朱や青貝の螺鈿で、
「定斎」あるいは屋号などが入っています。
屋手長の箱には、小さな引き出しがたくさんあり、
ここに付いている取っ手が「鐶(かん・金属のCの字型)」になっていますから、
歩くたびに、カタカタとリズミカルな音がします。
売り声を上げずとも定斎屋が来ているのは、この鐶の音でわかります。


「鬼のかくらん」といいますが、
日本では暑気あたりや日射病などのこともさしたようで、
江戸の頃には経験的にこのような薬で、対処していたんですね。









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by edo-ukiyo-doll | 2012-08-09 12:29 | 江戸歳時記 | Comments(1)

蓮池や買わず飛び込む・・・・・・・・

ロンドン・オリンピックでは、
やや中心にあるハイド・パークのサーペンタインの池で
トライアスロンの水泳をやるそうで。
あそこでほんとに泳げるのだろうか・・・
と???の人も多いようですが、
一方、東京の中心から少しハズレの、かつては忍ヶ岡と呼ばれたそばの不忍池。
ここではまず水泳は無理でしょうが、
江戸のころには、東都第一の蓮池といわれています。


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蓮の花見頃は、小暑のあと20日頃と言われますので、
先週末に行ってみました~。
が、まだ3分咲き。

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それでもやっぱり美しかったですよ。
8月にはいって少したってからは、もっときれいですね。



不忍池の広さは見わたし3,4丁(300~400メートル強)、長さ5,7丁というのですが、
今は、かつては島として築かれた弁才天のある島も、
すっかり陸地になっているので、池がどれほど小さくなったかを感じます。

江戸の頃は隣接する動物園もなかったですし、
周囲のビルヂング群もなかったので、それはそれはみどりの只中。
黎明(未明~曙の頃)には、蓮の花が開くのをみようと、
大いににぎわいました。
この時間にはことさら匂い芳しく、
紅白の蓮の花が朝日に映える光景は、「たとへんにもの無し」だそうです。



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かつて、この界隈には料理屋が多く、広重なども描いています。
このような料理屋では、蓮飯が名物で、
蓮の若い葉を刻んで混ぜた飯を、ちょっと塩を入れて炊き、
大きな蓮の葉で、炊きあがった飯をくるんで少し置いてからだすと、
さぞや香りも良かったのでしょう。


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上の画は蓮の葉を採取している風景

蓮の花の香りの高さは、「蓮茗(はすちゃ)」としても、
のまれているようです。
作り方はちょっと大変。
蓮の花の中に質の良い、濃く入れたお茶を注ぎ、花びらを寄せて、
コヨリで花の先を結びます。
何枚も重なり合っているので、お茶はこぼれなくなります。(と書いてある)
それを、エイヤー! とばかりに逆さにしたら、
しばらくおきます。
今度は薄く入れたお茶を茶碗についで、そこに蓮の花のお茶を少しずついれて飲むと、
匂い高く、心すがすがしくなり、精神を養うそうです。
どなたかやってみたら、ご一報ください!

暑くてたまらないこんな日に、
蓮茗なんぞ飲んでみたいものですなあ。




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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-31 16:19 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸にいながら登る富士。

最近、富士登山者の2人に1人は女性だそうで、
「山女(やまおんな)」とは昔の言い方、いまは「山ガール」と言うそうな。

さて、富士山といえば、江戸時代の富士登山の賑わいは、
凄まじいとさえ言えるもので、
信仰心がありますから、誰しも一生に一度は登っておきたいわけです。
でも大変にお金がかかりますから、大勢で「講」という団体を作って、
ちょっとずつお金を積み立て、毎年、順繰りに富士山へ登拝できるという仕組みです。


ですが、登れない人のほうが多いので、
なんとかして富士のご利益を得られないものか・・・、
と考え出されたのが、見立ての富士。
江戸人は、実にこの「見立て」がうまい!
富士山から溶岩を持ち帰ってもらい、それで江戸市中に富士山をつくっちゃいました~。


f0186852_2255472.jpgこれが、あちらこちらにできて、
これを「新富士」とか
後には「富士塚」などと呼んで、
旧暦5月28日の夜から、
6月朔日にかけて参詣に行きます。
今年なら、新暦7月19日、昨日になります。

人工の小さな富士であっても、
お参りの前に家で線香を立てて捧げてから、
新富士へと出かけます。
        
        右の画は広重の描く「目黒元不二」。
         桜のころ、花を眺める人々。向こうには本物の富士。




駒込、深川八幡、鉄砲洲稲荷、浅草埋堀の砂利場、高田戸塚村、
茅場町天満宮、目黒行人坂などにあります。
現在でも、残っているところがあるので、実際に行ってみるのも江戸気分。


なかでも、駒込の冨士は、「一冨士 二鷹 三茄子」というのは駒込のことだとも言われ、
ここが新富士の元祖とも言われています。
駒込の「お富士さん」は、六義園の近く、富士神社の境内に現在しています。
下の図が、駒込のお富士さん。
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江戸の人々は、朝早くに富士に詣でますと、縁起物の麦藁細工の蛇を買います。
これは火除けのお守りですから、少しずつ形は変わりましたが、今も売っています。

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上の駒込のお富士さんの図にも、3人、麦わらの蛇を持っています










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  右の美人画は、英泉画描く美人画。
   この美人の左上のコマ絵には高田の富士。
   (コマ絵を拡大したのが左)
   ちょっと誇張していますが、
   実際にはもっと低いようです



牛込の高田富士は、朱楽菅江の
安永8年刊の『大抵御覧』では、
今戸の料亭や三叉中州と並んで、
江戸の新三景のひとつになっています。

安永年間に、
馬場下町の長四郎という人が、
高田水稲荷の境内に作ったもので、
これがきっかけで、
江戸市中のあちこちに、
新富士を築くのが流行ったと言われます。

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江戸の夏は、今でいう「エンターテイメント」が、
たくさんあって、
多くは信仰に関連するものですが、
自分の足で歩いて(船もあるけど)行って見た
「それ」らは、どんなにか感激だったでしょうね。





                  右は鉄砲洲稲荷の富士塚







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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-20 16:43 | 江戸歳時記 | Comments(0)

夏の物売り。「のどをうるおす」水菓子売り

「水菓子」といっても、スイーツのことではなく、フルーツのことです。
いまでも、茶の湯では水菓子といっていますし、料亭などでもそういっていますね。

さて、江戸では夏になりますと、道端でこの「水菓子売り」が、店を広げます。

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盤台桶や籠などに、西瓜、真桑瓜、桃などを積み並べ、
西瓜は切って赤い色と、
甘みがあるところを見せますし、
真桑は皮を剥いて四ツ割りにし、
桃には水を打って夏桃のうつくしさを演出して売ります。
てなことを、明治時代に江戸の風俗として書かれています



冷たいわけではないし、現代の果物のように、
とっても甘いわけでもないのですが、
水分が多くほのかな甘さでも、江戸の人々には、
どんなにかおいしく感じられたことでしょう。
現代人は、冷たいもの、甘みの強いものに慣れ過ぎてますね。

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     この西瓜は暗緑色に筋が入っています。
     割り方も、横割り!
     真桑瓜や桃も並んでいますね









ろうそくを立てて、
西瓜を切り売りしているおいちゃん。
一服つけるとこです。
盤台桶を逆さにして、上に西瓜並べてます





なかでも西瓜は一番人気。
原産地は南アフリカのカラハリ砂漠あたりらしいです。
砂漠で西瓜? 西瓜も生き延びるために、水分蓄えたのね。
もちろんその原種からどんどん変化し、私たちの知っている西瓜になったのでしょうけど。


エジプトでは紀元前何千年も前にすでに、西瓜があったらしいですし、
11世紀ころには中国に伝わっています。
中国では西から来た瓜というので、西瓜(シイグワ)と呼んだのだとか。
日本には天正7年(1579年)に、長崎に持ち込まれたのが最初とか、
17世紀半ばに隠元禅師が中国から持ってきたなどいわれますが、
平安時代にはすでに伝わっていたらしいです。

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それはさておき、江戸時代の西瓜は、現代のようにシマシマでなく、
全体が黒っぽい緑色のまん丸なものが多いようです。

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元禄のころ(1700年前後)には、日本各地でそれぞれに改良がなされ、
さまざまな種類が作られていたようですが、
江戸近郊の大森羽田、北沢、世田谷、八王子、亀戸などで栽培され、
水路などで江戸市中に運ばれ、市場へ届きます。


それほど甘みはなく、出回った初めのころは、
下世話な食べ物とされていましたが、
果実をすくい取って、砂糖をかけ、しばらくおいてから食べるなど、
高級な食べ方もされるようになりました。

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  でも、働くおいちゃんたちは、
    こんなところでムシャムシャ、
   ガブガブ食べてたのね!
   証拠の皮が残ってますよ。
   西瓜が江戸では、気軽に買える
    人気の食べ物だってわかりますね




ちなみに西瓜は漢方では種も皮もよく使われ、
皮はコレステロールの減少、血管拡張の働きがあるとされます。
また、果汁は利尿効果が高いので、「スイカ糖」は腎臓の薬として用いられるとか。
夏のむくみでお医者さんに行ったら、
スイカはカリウムが多いので、むくみをとる効果がありますよ、
と勧められ、以降、夏の朝には一切れいただきます。






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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-12 18:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

七夕の食べ物

七夕は今年も雨のようですね。
といっても、梅雨のシーズンに七夕を、というのですから、
仕方ありませんね。
ほんとうの七夕は秋の行事で、今年は8月24日ですから、
織姫と彦星のデートをごらんになりたい方は、
ぜひ、この日に夜空に目を凝らしてくださいね。

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さて、江戸時代の七夕は、京の貴族の行事を踏襲したものなので、
七夕の日には、将軍の江戸城はもとより、
諸藩でも家臣は礼服をまとい、ご祝儀の挨拶に行きます。

七夕には、何か特別なものを召し上がりますか?
江戸時代には、素麺(そうめん)をいただきます。
夏の終わりに素麺・・・健康のためではなく、
中国の故事に由来しているようです。

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奈良時代に、中国から日本に、
「索餅(さくべえ)」というお菓子が渡来しました。
別名、「むぎなわ」ともいわれていますが、
小麦粉と米粉をミックスしたのに塩を入れ、
縄のようにねじって作ったものらしいです。
それが時代が進むと、柔らかいうちに伸ばして、
包丁で細く切ったものに変化したらしいのです。

これがなんで七夕に?
中国の伝説に、
王の子が7月7日になくなったのですが、
成仏できなかったのか、
この子の霊が人々に「おこり」
という病気をもたらしました。
そこで、この子が好きだった索餅を作ってお供えし、
霊は去っていったといわれます。


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 笹竹に短冊などを飾るのは、
        江戸時代になってからの風習。
        7月6日にこの画のように、
        物干し台の手すりなどに
        くくりつけて飾ります。
        それで、江戸の七夕は、
        笹竹で空が覆われるようだ
        と言われます。





この索餅というお菓子が、素麺の元になったとも言われ、
お公家さんはもとより、江戸時代には将軍から庶民まで、
七夕には素麺を食べることになったのです。
食べるだけでなく、七夕はお祝いの日ですから、
上司や親戚咽にもご挨拶に行きますが、
たいてい素麺や水菓子(果物)を持っていきます。


明日は、素麺食べようっかな~003.gif









・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-07-06 18:18 | 江戸歳時記 | Comments(0)

夏の物売り。「声に惚れる」蚊帳売り

湿度が高く高温の日本の暮らしは、
さまざまに夏への配慮がされています。
江戸は卯月(4月)から夏なので、
4月になりますと、夏向けの物を携えて、
さまざまな物売りがやってきます。

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蚊帳(かや)ってご存知ですか?
この画のグリーンのネットのようなものが「蚊帳」で、
この中にいれば蚊から身を防げます。


江戸は水の都ですし、本所深川方面など湿地帯も多く、
夏にはなにはなくとも、まず蚊帳!
というわけで、4月(現代の5~6月ころ)に入ると、
蚊帳売りがやってきます。

蚊帳売りが来るとすぐにわかります。
「かや~、もえぎのか~や~~~~~」
と、なんとも美しい声で、なが~~~~~く音を引いて呼びかけるのです。
柳は青く風に揺れ、
初夏の空にす~っと上っていくような、すがすがしい声です。



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江戸の町の初夏の風景。
皐月(5月)なので、端午の節句の菖蒲や、
節句の飾り物を担いだ人がいますね。
魚屋が担いでいるのは、鰹です



蚊帳は古く中国から伝わってきましたが、
江戸時代には多く近江で生産されるようになり、
日本橋通町一丁目の大きな問屋ができます。
ちょっとセレブには白麻のぼかし染めで、見た目も涼しげな蚊帳。
裏長屋でも中古でツギが当たっていても、蚊帳は持っています。

さて、売り歩くのは、蚊帳屋の手代と、アルバイトの担ぎ手の二人一組。
二人とも菅笠をかぶり、手代は扇子など手に、
荷はもっぱら雇われた男がかつぎます。
ですが、このアルバイトの男、只者ではない。
まず、美声でなければならず、採用決定の後は、
新人なら、呼び声の大特訓が始まります。
だいたいは、荷を担ぐアルバイトは例年決まっているようです。
一声で、半町(50メートルくらい)歩くそうですよ。
やってみます?

手前が手代さんで、夏羽織を着ています。
天秤を担ぐ男は、腹掛けに半てん
(この人はゆかたに見えるけど、やっぱり半てん)、
手甲に脚絆、わらじ履きです。
塗りの箱には店のロゴ。
箱の上には、包装した蚊帳を載せています。



この特殊な呼び声の始まりは、ある男の喧嘩がきっかけでした。
大坂の茶店で友達と喧嘩し、傷を負わせてしまい、その場を逃走して、
江戸まで逃げ延びた天満喜美太夫(てんま・きみだゆう)。
彼は説教節の上手でしたので、
江戸は駿河町に住み着き、蚊帳担ぎに雇われたとき、
生来の美声で「もえぎのかや~~~~~」と、
呼び声に節を付け売り歩きます。
すると、どうでしょう!
人々はこの声に「うかれ」、この年の売り上げは、驚くほどよかったそうです。
以来、蚊帳売りの担ぎ手は、呼び声で江戸人に夏を告げるようになりましたとさ。



節電時代に入って2年。
蚊帳がまた売れ始めているそうです。
家族みんなでひとつ蚊帳で、虫籠などつるして・・・・・・、
なんてね! きっといい夏になりますね。









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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-22 10:50 | 江戸歳時記 | Comments(0)

そうだ、江戸へ行こう! 蛍狩りに。

先日、房総にお住まいの知り合いが、
お近くで蛍をごらんになったそうで。
自然の状況下で、蛍を見かけなくなって、はや数十年!

江戸では立夏の後、40日たった頃から蛍・・・・
といいますから、いまごろは蛍狩りにでかけているのだろうなあと、
あこがれてしまうわけです。

江戸ならば、ちょっと郊外に足を運べば、
蛍の名所はあちらこちらにあります。
以前ご紹介した「ほ、ほ、蛍」の項では、
御茶ノ水を取り上げましたが、
谷中の蛍沢(現・台東区谷中)は特に有名です。


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現在も谷中に健在の宗林寺は、
家康が入府の折、駿河から連れてきたという古刹。
この本堂のそばに幅9尺(3メートル弱)、
長さが10間(20メートル弱)ほどの池があって、
ここが蛍沢と呼ばれていたと古い記録にはあるようです。
後年はこの一帯を蛍沢と呼ぶようになったらしく、
現在でも「蛍坂」という細い坂があります。




ではしばし、江戸の人々と一緒に、蛍狩りをお楽しみください。

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左の、春信の描く蛍狩りは、
ロマンチック。
小川には水車が回っています。




右の、英泉のは娘と
おっかさんかも。
蛍狩りで、
こんな人たちと出会えたら、
うれしいでしょうね




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ここも蛍狩りの名所、高田の落合。


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蛍をとるには、先の葉だけを残した笹竹を使うのね












ほら、こんなにとれたゼイ!」f0186852_1141332.jpg










おや、あちらが賑わしいですなあ










こうやってとった蛍は
「籠中にいれて家裹(いえづと・おみやげのこと)とす」ることが多いようです。


郊外までなかなか行けない人も多いですから、
町には虫売りがやってきます。
もちろん蛍もあります。
蛍は、こんな籠に入れて売られるんですね。

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丸いのや四角いの。
黒の紗を張って、蛍の光を生かすように、
工夫されているのでしょうね。
どうやって作られているのか、
不思議なほど繊細なものもあります。






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「源氏絵」でももちろん、蛍狩り。
なんと賑やかな御殿のお庭でしょう。
お女中たちのはじけるような笑い声、
聞こえてきそうです。

そういえば、「源氏絵」って、とっても不思議な空間です。
 いつかご紹介しますね。







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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-19 13:21 | 江戸歳時記 | Comments(0)

まくわうり


今年1月に開催された個展「江戸のちるど連」に出展した作品を、
ときどき、ご紹介していきますね。


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「まくわうり」


徳川家康も「暑邪を除くべき良薬」と推奨した「まくわうり」は、
夏の定番の水菓子(果物のこと)。
「真桑瓜」と書きます。
真桑村(美濃国。現・岐阜県本巣市)に産出し、
朝廷に献上したところ大そう喜ばれ、
時が下って織田信長がこれを大いに保護し、広めたのだとか。

縄文時代の遺跡からも、種が出土しているという昔からの食べ物です。
原産地はアフリカや中東で、
中国・朝鮮半島を経て、日本に入ったようです。

浮世絵などで夏の景には、
西瓜とともに描かれる、水菓子の代表的存在です。

もとにした浮世絵は歌麿の画。
時代的に母は凝った結い方に灯籠びんという大きな髪形で、
薄物の単衣を着ています。
子どものほうも周囲は剃り上げているのに、
頭頂は両輪にした毛先をさらにその上に載せて、ずいぶんおしゃれです。


  *緑色部分の文章は、展示用の解説文です。


この作品は、小物作りが大変でしたが、楽しかったです。
母の手のまくわうりは、皮が剥けている部分が難しいと思ったのですが、
案外うまくできたので、そんなときは鼻歌も出ます060.gif

髪形も、文化文政期以前なのに、歌麿の描く頭は凝っていて、
いったいどうやって結っているのだろう?
という結髪の分析から始めますが、苦労が多い分、
なるほど、こうなってるのか!
と解明できたときには、ニンマリします026.gif


以前、まくわうりのお話を書いたのですが、
それをごらんになった府中の昔のまくわうりを再興されている方から、
お問い合わせがあったり、
江戸時代に栽培されていた野菜・水菓子の復元?は、
ますます活発になってきたようで、うれしいですね!
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by edo-ukiyo-doll | 2012-06-08 09:32 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

夢見る看梅(うめみ)

『東都歳事記』をひもときますと、寺島村の梅屋敷や蒲田村は、立春より30日ころ、
それから少し遅れて 亀戸梅屋舗(やしき)の梅が咲くということが書かれています。
立春は2月4日(旧暦では正月13日)でしたから、今年はかなり遅く、
東京でもまだ見ごろのところもあるようです。
そこに乗じて(?)「桜前線・・・」などいうこの時季に、梅見のお話を。

「看梅」と書いて「うめみ」。
ちょっとチャイナの感じがまたいいですね! 
江戸ではいくつもの梅の名所がありますが、
亀戸の梅屋舗や蒲田(大森)の梅園は、人気の看梅スポット。


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「亀戸梅屋舗」は、亀戸天満宮から3丁(330メートルくらい)ほど東にある
「清香菴(せいきょうあん)喜右衛門」という人の庭で、
ここの「臥龍梅(がりょうばい)」と名づけられた梅の木はとても有名です。

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「枝はたれて地中にいりてまた地をはなれ、
いづれを幹ともさだめがたし」
というのですから、
まさに龍がうねうねと地に
臥している姿のようなのでしょう。
この古木は『眠狂四郎』でも
描かれていた記憶があります。





f0186852_2044249.jpgその香りは
「蘭奢香(らんじゃこう)をあざむき・・・」
ともありますから、
どれほどよい香りなのでしょう。
しかし明治になって、隅田川の大洪水のため、
この梅屋舗の梅の木は全て枯れ果て、
ぽつんと碑だけが置かれています。




下は蒲田の梅園の図。


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上の画を部分的に拡大しました。f0186852_224822100.jpg









この家の人でしょうか。
短冊など手に、何か書いているようです。



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猿回しも来たり・・・・・。



「蒲田の梅」は『江戸名所図会』にも取り上げられ、
「この地の民家は前庭後園ともことごとく梅樹をうえ、
五月の頃、その実をと採りて都下にひさぐ(売る)。
されば二月の花盛りには幽香を探り遊ぶ人少なからず」ともあります。

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広重の描いたこの梅園は、
山本忠左衛門という人が、
旅の常備薬として超有名な大森の「和中散」を、
店を3000坪の庭ごと買い取り、
それを受け継いだ弟の久三郎が、
幕末近くになって、
いよいよ見事な梅園に作り上げたのでした。
品川から1里半といいますから、
1day tripには最適だったのでしょう。

海が近いので、こんな歌を残しています。
「海士の子の袖もや匂ふ浦近き 梅かかまたの里の春風」



そういえば、東京には「青梅」という梅の名産地がありますが、
ここ3年ほどで、梅の木を1万本ほど伐採しなければならなくなったとか。
青梅も江戸時代の蒲田と同様、実を加工販売が目的で栽培しているのですが、
近年PPV(プラム・ポックス・ウィルス)に侵されて、
蔓延を防ぐには伐採しかなかったのだとか・・・。
これにやられると、実は成熟しても変形や不発育だったりで、
梅農家の被害は甚大のようです。
海外から来たウィルスで、アブラムシを媒介とし、
桃、ネクタリン、プルーン、杏、さくらんぼなどサクラ属に感染するので、
アブラムシにはご注意くださいね!















・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-03-22 23:20 | 江戸歳時記 | Comments(0)

忙しい初午の日

初午といっても、現代ではあまり行事としても行わなくなってしまいました。
2月の最初の午の日で、今年の初午は2月27日(旧暦)でした。
虫が這い出してくる「啓蟄」のころなので、もうかなり暖かくなっています。
お稲荷さんのお祭りで、江戸ではそれはそれはにぎやかなお祭りです。
江戸には稲荷の数がおびただしいほどあって、
「伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるほどですから、横丁曲がればお稲荷さん・・・
という感じですね。
武家の家の敷地にもお稲荷さんがあり、
この日は門が開放されています。

お稲荷さんは痘瘡(ほうそう、天然痘のこと)を治すとも言われ、
当時は特に子どもには恐ろしい疫病でしたから、お稲荷さんに子どもが詣るのですね。

f0186852_11151995.jpg


正月(1月)の末頃から、市中には太鼓を叩いて、
子ども相手の太鼓売りがやってきます。
子どもたちは太鼓を買ってもらって、叩いて遊び、
数人で狐を描いた絵馬を持って、
各家々の戸口に立ち、
「稲荷さんの御権化(おかんげ)、御十二銅おあげ・・・・」
とうたいますと、
ほんとうは12銭与えるのでしょうけれど、
実際は1銭あげたそうです。
子どもたちが勧進して歩く
・・・というところでしょう。



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王子稲荷の初午の賑わい



江戸の初午の日は、地口行灯の一大イベントの日でもあります。
「地口」とは今でいう「ダジャレ」に通じるものですが、れっきとした言葉遊びで、
江戸っ子の教養の表れでもありました。
「絵地口」といって、地口を絵にも描く、判じ物でもあります。
これに長屋の男どもも、名誉を掛けて競い合います。


この日はまた、手習いの師匠に入門する日でもあり、おとっつぁんが机を担いで、
子を連れておっしょさん(お師匠さん)のところへ行く姿も見かけます。


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京坂も江戸も、初午の日には小豆飯(赤飯)と、
からし菜の味噌和えを食べるのが慣わしだったとか・・・。
もちろん京は稲荷のご本家ですから、その賑わいはひとしおですが、
江戸のこの日の忙しさは格別です。










・・・
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by edo-ukiyo-doll | 2012-02-29 14:39 | 江戸歳時記 | Comments(0)


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