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新蕎麦は恋の味


「新蕎麦は恋の味」・・・・そんなの、うそ、ですやん!
でも、新蕎麦食べにいって、
相席になった人と恋におちることも無きにしにあらず・・・。
「あら、ごめんあそばせ。私のお葱、そちら様のお蕎麦の上に・・・」
「ああ、いえなんのなんの。葱も美人につままれて、喜びすぎたのでしょう、ははははは」
「んまあ、おじょうずな、おほほほほ」

はい、おバカはさておき、
江戸っ子はやっぱり「新蕎麦」に走りました。
初物を食べると七十五日長生きするといわれるその上に、
蕎麦は長寿の食べ物。
となったら、当然、まず江戸っ子は走ります。
蕎麦屋もきそって玄蕎麦を仕入れ、
「新蕎麦」の札を店先に掲げますから、それを見たら、もうたまりません。

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   「新蕎麦のかけ札早し呼子鳥」
   これは、かの酒井抱一の句。
   播州姫路のお殿様の次男ですが、
   この時代の文化的サロンの代表者です。
   呼子・・・人を呼んだりするときの、小さな笛のように、
   「新蕎麦」の札は人を呼ぶのに、すごい効果!
   ってなとこでしょうね。



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    これは歌舞伎の「鬼あざみの清吉」の夜蕎麦売り。


醤油が全国的に普及するのは、江戸時代も後期になってからです。
それまでは、もっぱら大根おろしに味噌を加えた
タレで食べていたようです。
醤油が普及しても、やはり蕎麦には大根おろし
という人が多かったのでしょう。



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かわいい大根ざむらいが、蕎麦屋の前で。


ところで、現代のお話です。
それほどの蕎麦っ喰いではありませんけれど、
新蕎麦の札を見ると、ついフラフラと・・・・。
ところが、「新蕎麦がうまい」というなら、
他の季節の蕎麦はまずいのか? とおっしゃる
蕎麦屋のご主人がおいでのようで、
そういわれても・・・・・モジモジ・・・としてしまいます。
一口に新蕎麦といっても、
北海道から九州まで9月~11月に、
蕎麦がとれるので、どれをして「新蕎麦」というのか・・・・
なのだそうです。


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江戸の更科とか、御前蕎麦もいいけれど、
ずいぶん前に信州の白骨温泉への途中でいただいた
いかにも蕎麦の産地らしい、黒くて太目の蕎麦、十割蕎麦は
今でも、もう一度あれがいただきたいな~と
思うほどのうまさでした。


ああ、やっぱり新蕎麦・・・・ちょいと心が惹かれます。

あなたのおそばの、お蕎麦はいかが?
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by edo-ukiyo-doll | 2009-10-15 12:12 | 江戸の食べ物 | Comments(0)

蚊帳、この不思議空間。


今年の盛夏は、一体何処へ・・・・と思うほどです。
でも、蚊だけはしっかり飛んでいます!
おやすみのときには、蚊取りマットなんか使いますが、
ちょっと昔は、蚊取り線香に蚊帳(かや)でした。

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蚊帳・・・
といってもご存じない方も多いでしょう。
『となりのトトロ』、ごらんになりました?
あのなかでサツキとメイが、
蚊帳の中から覗いているシーン、
があるというのですが、
私は覚えていないのです。
ようは、就寝時に
網目の大きな四角いものを、
部屋の四隅に端っこを吊り下げて、
お布団がくる部分を覆い、
蚊が侵入しないようにするものです。
これらの浮世絵をごらんくだされば、
ああ、これ! と思われるでしょう。



蚊帳の歴史は古く、天平時代に、唐から日本に伝わり、
高貴の身分の人々だけが使っていましたが、
次第に貴族に普及しました。
やがて時代は江戸時代に入りますと、
近江商人の西川甚五郎という人(ふとんの西川の2代目)が、
麻糸で織った蚊帳を、萌黄色に染め、紅布をつけた
「近江蚊帳」を発売し、爆発的に売れ、
以来、このデザインは今も蚊帳の
オーソドックスなものとして残っています。

蚊帳の中は、何か世界が違って見えたものでした。
くるまれてるような、守られているような・・・。
蚊帳に入るときは、蚊帳のすそを両手でつかんで軽く振って、
サッと入ります。

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上の浮世絵左は、朝になり、蚊帳をはずしたところ。
天井には虫かごをつるし、虫の音を聞きながら。
江戸時代には、耳からも涼感を得ていたのです。
ふとんがわりに、寝茣蓙(ねござ)を使っていますが、
これも涼しく眠るアイテムのひとつです。



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こちらの画は、「幌蚊帳」と呼ばれる据え置き型のもの。
枕屏風にかけられた子供のほうそうよけの赤い着物が、
母親の愛情を感じさせます。


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上は「蚊焼き」といって、蚊帳の中に入ってしまった蚊を、
紙燭(油をしみこませた点火用のこより)で、焼いているところ。
紙燭の先に注意。
ちゃんと蚊がいます!

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それにしても、
これらの浮世絵の網目のなんど細かなこと!
これが木版画とは思えないほどです。
蚊帳の網目を彫るのは、
彫り師の腕の見せどころだったでしょうね。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-08-08 17:19 | 江戸歳時記 | Comments(0)

煙、もうもうの蚊やり。

日本の夏、緊張の夏(!)
恋の季節だけでなく、蚊の季節ですから。
「プ~~~~ン」「パチン!」
て、「どこぶってんだよ!」とケンカにもなります。

さて江戸は水の都だっただけに、蚊の都でもありました。
ブタの蚊やりに蚊取り線香をつけて・・・
残念ながら、蚊取り線香は江戸時代にはまだありません。
あれは明治20年頃、
アメリカから上山英一郎(大日本除虫菊の創立者)が、
除虫菊の種を仕入れ、栽培して初めて蚊取り線香ができたのでした。

では江戸時代には、どうやって蚊を退治していたのでしょう?
植物をいぶし、その煙やにおいで追い払うだけでした。
かやの木や、そのおが屑、ぬか、松葉、ヨモギ、杉、松の皮などを、
炭でひたすらいぶしますから、その煙いこと!
って、私は体験したわけではありません(笑)
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               でも右の浮世絵をごらんください。
               明和(1764~71年)期の蚊いぶしのシーン。
               まだ陶器の蚊やりではなく、
               火鉢でいぶしています。

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    こちらは、幕末に近い時代の蚊やり。
    煙がものすごい!
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            これもおなじ頃の浮世絵です。
            どんなに煙かったか、画からもわかりますね。


蚊やりは陶製で、お皿の上に松葉などをいぶし、
それにいくつも穴のあいた円筒形や、球体状の覆いをかけます。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-08-06 23:37 | 江戸歳時記 | Comments(0)

越すに越されぬ・・・・・・・・川越し

江戸時代の旅で、大変だったことの一つに、
橋も、渡し舟もない川を渡らなければならないことがあります。
しかも深みもあるので、旅人が一人では歩いて渡ることができません。
そこで「川越人足(かわごしにんそく)」という、川を渡してくれる人々がいました。
旅人は川越人足の肩車か、輦台(れんだい)で川を越えることになります。


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これは、府中の阿部川の川越の様子です。
女の3人旅に、供の男がついています。
手前の女は肩車、真ん中の女は駕籠ごと「平輦台(ひられんだい)」に乗り、
向こうの女は平輦台に、じかに乗っています。
対岸から荷を積んだ馬が、人足にくつわを取られて渡っています。



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相撲取りの川越しは、人足が多く要ります。
四つ手駕籠からはみ出し加減の関取の駕籠は、人足4人で担いでいます。



♪箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川~♪
というのをお聴きになったことがおありかと思います。
東海道五十三次で、駿河(するが)国と遠江(とおとうみ)国の間の大井川は、
川幅が1,3キロもある上に流れが速く、明治時代になるまで、橋が架けられませんでした。
幕府の政策もありましたが、人足の反対もありましたし、
架橋の技術の難しさゆえだったといわれています。


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さて右は大井川の川越風景。
参勤交代の大名行列が、
肩車や輦台で対岸に向かいます。



川越をするには、川会所で川札(チケット)を買い、
決められた枚数を人足に渡し、人足は受け取った川札を髷(まげ)に結んで、
川を渡ったら札場で換金します。
水量などで川札の値段は毎日変動します。

雨が降って水かさが増し、一定量を超えると「川留め」といって、
川越が禁止になり、渡れなくなります。
大名行列が重なったりしたら、もう大変な騒ぎです。
一般の旅人も、旅籠(はたご)代はかさむし、日程は狂うし、
退屈だし、きつい旅になりますが、
近くの金谷や島田宿は、大いに潤ったのです。



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現代からしたら、こんなに旅行が大変だったの!
と思われるかもしれませんけれど、
江戸人と、現代人の感覚とは全く違います。
駕籠で旅するなんて、きっと新幹線か、飛行機での旅・・・
くらいの感覚かもしれませんね。
それに、時間はた~~~~ぷり、ありました。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-08-02 23:03 | 江戸の旅 | Comments(0)

金魚売り



縁日で、金魚がすくえたためしがない。
本来、不器用にできているのだろう。

金魚は中国南部で生まれ、
室町時代の中期頃(1,500年頃)に、
日本にやってきたといわれる。

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江戸時代には養殖技術も発展し、
量産できるようになって、
中期頃になると、庶民でも気軽に買えるようになった。

夏も近づくと江戸の町には金魚売りの声が聞こえる。




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作品の「金魚売り」は、柳の木陰で涼んでいる金魚売りに
子どもが茶碗を手に、金魚を買いに来たところ。
「坊、これかい?」
「そっちの、そのぶちの、それ!」
「おっとっと、これかい?」
「ちがう、そこの、それ!」
「ああ、これか!」
そこで川柳に
「金魚売り 是(これ)か是かと おっかける」



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江戸時代に金魚ブームとなり、
庶民にも金魚が普及したのには、
「金魚玉」が手軽に作られるようになったこともある。
びいどろ・・・硝子の入れ物で、まあるくつくられている。
金魚玉の中で金魚の顔が、グン! と大きくなる。

「びいどろに金魚の鼻のいきつまり」
ははは、まさに!


小さな金魚玉は、狭い長屋にもつるして鑑賞でき、
びいどろの世界を眺め、人々は
いっとき、憂き世の憂さも忘れたのかもしれない。




*註 すべての人形作品の、無断転写・複写を禁じます
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-22 17:22 | 江戸歳時記 | Comments(0)

七夕に・・・・



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現代の私たちにとっては、七夕は夏の行事ですが、
江戸時代には、秋の行事でした。
旧暦を用いている江戸時代は、夏は4,5,6月。
7月は秋になります。

七夕は牽牛と織女が天の川で逢瀬を楽しむ日。
ところが現代の7月7日は梅雨のど真ん中ですよね?
「五月雨を集めてはやし天の川」状態でしょ?
五月雨は梅雨ですし、五月晴れは梅雨の合間に晴れるから五月晴れ。
やっぱり旧暦じゃないと、季節の行事も意味がなくなります。




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宮中では古くから、
七夕には七百首の歌を詠むなどの遊びをしていましたが、
江戸時代も中盤を過ぎますと、
すっかり庶民の行事になりました。
色紙で作った吹流しや網、紙で作った大福帳やひょうたんに西瓜、
願い事を書いた短冊などで飾り立てた短冊竹を、
屋根に掲げます。



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6日の未明から江戸の空は、この短冊竹で覆い尽くされます。
壮観です!! (いいえ、私は見ていません!)
早朝、子どもたちは里芋の葉にたまった露で墨をすり、
字が上手になりますようにと願いをこめます。
娘たちはお針がうまくなりますようにとか、
恋の願いとか・・・これは和歌に託すのね、
短冊に書いて飾ります。

七日いっぱい飾ると、夕方には全部下ろして、
川や海に流します。


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琴座のベガ(織女)と、鷲座のアルタイル(牽牛)は、
天の川をはさんでデートするのですから、
やっぱり秋の晴れ渡った夜空でなくっちゃ
かなわぬ恋になっちゃうと思いません?




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とは言っても、7月7日であることにも、意味がありますから、
新暦の7月7日に笹飾りをして、お願い事をし、
旧暦の7月7日(今年は新暦8月26日)に、空を見上げ、
天の河原のデートを、拝見いたしましょうか・・・・グッド・アイディア!
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by edo-ukiyo-doll | 2009-07-07 12:30 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸の銭湯「湯屋」

江戸では銭湯は「湯屋」、これを「ゆうや」と呼んでいます。
基本的に年中無休です。
ただ火災の発生を防ぐために、
冬の強風の日には「烈風仕舞い」と称して、
早仕舞いしました。

朝七つから夕七つまで営業すると
『守貞漫稿』にもありますが、
大体現代の時間にして、早朝4~5時から夕方4~5時
と考えられます。

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左の画はお正月の
湯屋の様子を描いたもの。
番台の前には、三方におひねりが積まれています。

番台の向こうに見える階段は、2階の広間に上がるもので、
2階は男性専用のくつろぎスペース。
右下に見えるのは、縁起物の貝のひしゃくで、お客はこれをもらって帰ります。


江戸には800軒ほどの湯屋があります。
長い間、男女混浴が当然の風潮にありましたので、
幕府は寛政年(1791年)1月25日に、
「男女混浴禁止男女異日浴制」を発しました。
しかし、一向に守られなかったらしく、業を煮やした幕府は
寛政6年(1794年)には、「男女混浴湯屋処罰」をしています。

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さて、銭湯の始まりは蒸し風呂でした。
上の右の絵のように、「石榴口(ざくろぐち)」と呼ばれる浴場は、
蒸し風呂の名残で、湯の温度を保つ効果を持たせています。
燃料となる薪も高価で、水の入手も難儀したこの時代には、
できるだけ少量の湯を、いかに大切に使うかが課題でした。

洗い場と浴槽の間の鴨居を、3尺(99cm)ほど下げ、
その奥に浴槽を置いてありますから、
かがんではいっていくことになります。
当時は「かがみいる」と言いましたが、
鏡を磨くのは石榴から作られる「酢」ですから、シャレて「石榴口」
と呼んだのだと言われます。

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この石榴口、形は東大寺を模した、唐破風のような屋根で、
やたら豪華に作られています。
ところがこの中は薄暗く、ずいぶん湯は汚れていたとか。
物の本には死体が浮かんでいたとか、
恐ろしいことが起きていたことをほのめかしていますが、
ことの真偽はよくわかりません。

それにしても江戸っ子は湯好きで、きれい好き。
「垢抜ける」と言う言葉は、そこから生まれたくらいです。
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by edo-ukiyo-doll | 2009-05-20 00:35 | 江戸ぐらし | Comments(0)

髪結床 暇つぶしには もってこい

「髪結床」は今でいう「理髪店」。
でも今でも「床屋」って言いますけれど、これは江戸時代の名残りなのです。
江戸時代以前から、髪結いも職業としてあったようですけれど、
店を構えるようになったのは江戸時代からのようです。

式亭三馬の『浮世床』で、もうおなじみかと思いますが、
湯屋(銭湯)の2階と同じで、男の社交場みたいなところでもあります。

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これが「うきよ床」の様子を描いた挿絵です。


「うきよ床」に限らず、髪結床はたいてい長屋の脇にあり、
こんな風に、建物の中にあるのを、「内床(うちどこ)」といい、
橋のたもとや町の境の空き地に構えたのを「出床(でどこ)」といいます。

髪結床がどうなっているか、簡単に説明しますね。
あなたがおいでになったときに、戸惑わないために!
店入り口の障子には、「だるま」とか「海老」など、
屋号を表す絵が描いてあったりします。



入るとすぐに「上がりかまち」が1メートルくらいの板敷きになっていて、
その奥は畳敷きで、ここで自分の番が来るのを待ちます。
囲碁に将棋、読み本など置いてありますし、
なんたっておしゃべりのし放題。

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番が来ますと、
まず「小僧」さんのいる上がりかまちに腰掛け、
元結(髪を束ねている紙のヒモ)を切り、
フケを取り、髪をすきます。
次に「中床(なかどこ)」さんが、
月代と顔をそり、ザッと髪を結い、
最後に親方が、
きれいに撫で付けて仕上げます。


江戸、京都、大坂の髪結いさんは、単なる髪結いではありません。
なんと公儀の仕事もしました。
高札場(幕府などの大事なお知らせ板を掲げている場所)を守らなければなりません。
それから、奉行所や牢屋敷の非常時には、公文書を担いで運び出すという、
重要な任務も持っていました。
その話を描いた時代小説があったのですが・・・忘れました・・・(オモシロカッタ!)。


   





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by edo-ukiyo-doll | 2009-04-27 19:56 | 江戸ぐらし | Comments(0)

母が手縫いの守り袋

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お守りはお持ちですか?
肌身はなさず、お持ちの方もおいでかもしれませんし、
全然お持ちでない方もおいででしょう。
でもたいていは、おうちのどこかを探せば、
きっとどこからかでてきます。
おみやげで、いただいたりします。



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さて、江戸時代、ほとんどの人がお守りを
身に着けていました。
クビからぶら下げるスタイルが一番多かったようです。
寅さんみたいにね!


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掲載した浮世絵は、子どもの守り袋です。
「守り袋」とか「巾着」などと呼んで、
母親などの手で縫われました。
江戸時代になって多く見られるようですが、
初期にはとてもシンプルです。
本来は、火打石を入れる袋だったのを、
江戸時代になって子どもの
お守りを入れる袋になりました。
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by edo-ukiyo-doll | 2008-09-28 19:03 | 江戸の子どもたち | Comments(0)

「江戸浮世人形」の創始

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江戸を現代に広めたいと、江戸のスポークスマンとして(?!)
『江戸浮世人形』を創始しました。
作品の一部は現在、江戸東京博物館1Fショップで展示・販売されています。
(ただいまは、江戸東京博物館のショップでは、
展示いたしておりませんので、ご了承ください。)
また、季節ごとに、江戸の暮らしを語るトークショーも開催しています。
2010年より、「江戸茶話会」を再開いたします。

お待たせしました。
岩下深雪の「江戸ワールド」へようこそ!





 *註 すべての人形作品の、無断転写・複写を禁じます。
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by edo-ukiyo-doll | 2008-09-16 19:51 | ごあいさつ申し上げます | Comments(0)