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秋の江戸茶話会のご案内。


大型台風のため、
「江戸茶話会」は
中止とさせて頂きます。



房総半島を直撃とのことで、外房線も運休の可能性が高いため、
残念ですが、中止いたしますので、ご了承ください。




第11回「江戸茶話会」
「世界が仰天!した 江戸の園芸」
      ~長屋の鉢植えから、狂乱のバブルまで~

幕末の外国人たちが驚いた日本の園芸の様子とは? 
江戸時代はまさに園芸ブームの連続!
秋にまつわる作品、または園芸に関する作品、
そして大作「百菊見物」を展示の予定です。
『江戸浮世人形』の作者・岩下深雪が、
人形制作の過程で得たことを、作品を用いながらお話いたします。


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「百菊見物」は幕末近くに作られた「百種接分菊」を、
粘土細工で再現しています。
「百種接分菊」とは、1本の菊の茎に、100種類の異なった種類の菊を繋いで、
1本の菊に仕立てた、まさに神業的園芸技術と言われます。
それを見に謂集する人々を、国芳の原作からさらに拡大し、
作り上げています。

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開催/2013年10月26日(土) 

時間/14:00~15:30 (茶話会後に茶菓タイムです)

会場/九十九里海岸・白子町 AD-FAN内「江戸浮世人形ギャラリー」

交通/外房線「茂原駅」から、小湊鉄道バス白子車庫行き「幸治」下車。徒歩5分。
   東京駅八重洲口から白子町直行バスもあります。
   *参加ご希望の方には、アクセスの詳細(時刻と接続、及び地図)をお送りいたします。

参加費/2,500円(お茶とお菓子が付きます)

定員/10名

申し込み締め切り/10月23日(水)
申し込み方法/ホームページのメールでお申し込みください。

『江戸浮世人形』ホーム・ページ Edo-CoCo
        http://edoukiyoningyo.edo-jidai.com/

●お申し込みいただきますと、受付確認のメールを差し上げます。
 3日以内にメールが届かない場合には、お手数ですが再度お送りください。


主催/お江戸漫遊連&岩下人形工房
後援・協力/AD-FAN  



     
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by edo-ukiyo-doll | 2013-10-03 17:12 | いろんなお知らせ | Comments(0)

百菊見物 (百種接分菊)

先日、「トラッド・ジャパン」という日本文化を英語で説明する番組で、
「菊」をやってました。
chrysanthemum・・・・これが英語で菊。
クリサンテマム・・・・て読むのでしょうか?
番組の中で、国芳の「百種接分菊」の画も紹介されていました。


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上は、国芳の「百種接分菊」の画を基に、以前の個展『華のお江戸は花ざかり』のために作った作品です。




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実際の展示では、百菊はこのように、小屋掛けされますが、
写真では菊がよく見えるように、小屋をはずしています。




以下は、作品につけた解説文です。

江戸時代には、菊作りが盛んに行われ、
巣鴨、染井辺りの植木屋の菊園、寺島の百花園などが菊の名所でした。
文化(1804~18年)末期には、
人物(菊人形)や帆掛け舟や灯籠などの「形造り」が流行ります。
巣鴨・染井では庭に縁台までだして見物させる植木屋が、50軒以上もあり、
ここに蝟集する人々目当てに、通りには酒や料理の店、茶店が軒を連ねたといいます。

形造りとはべつに、一本の台となる菊の茎に、
他の種類の茎を接いでいく「一本造り」という手法を高めた植木屋もいます。
それまでに20~30種類の菊を接いだものはありましたが、
駒込染井の植木屋・今右衛門は、
太さ 3寸(約 9cm)の茎に、100 種類もの中輪の菊を接いで
「百種接分菊」を造り上げました。
その「百種接分菊」に集まる人びとを描いた一勇斎国芳の浮世絵をもとに、
さらに私のオリジナルを多数加えて制作したのがこの「百菊見物」というわけです。




すごい情熱ですね!
現代ではこのような菊作りは無理、と思われていましたが、
「百種接分菊」に成功した方がいるとか・・・。
現代にもすごい人がいるのですね。


私の作った百菊は、すべて異なるように一本ずつ作り、
画と同じようにそれぞれに名前をつけ、名札を下げています。
画で見えない背後の菊は、自分で推理と想像力を働かせ、
それらしい菊と名前を付けました

また「百菊見物」の人形には、
すべて名前があり、職業やどこに住んでいるかも設定しています。

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右の人は繁蔵さん。
神田相生町「平右衛門店(通称かかし長屋)」の青物売りで、だいの菊好き。
ふけて見えますが38才のひとり者。
とっても律儀でいいヤツなので、いい女性がいたら紹介してください!(笑)


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ぼけた写真でごめんなさい。
人形の大きさは手と比較してね。
この人は、船宿「川茂」の女将・お与野。深川にある客筋のいい船宿で、
きょうは染井の世話になっているお武家の屋敷に挨拶に来た途路なので、
高級な外出着を着ています。





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   このお武家は相生金吾衛門。
   御家人のご隠居ですが、
   囲碁仲間の友人が風邪で
   こられなくなって、
   一人できたから、少し寂しいのね。
   帰りに風邪っぴきの友に、
   饅頭でも買って行ってやろうかと・・・・・。




こうやってドラマが作られていくように思いませんか?

現代では菊観は廃れてしまいましたが、
小さな江戸ワールドで、江戸の人々に混じって、菊観ができますよ。












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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-25 10:53 | 「江戸浮世人形」 | Comments(0)

ご長寿を願って「重陽」の節句

今年10月5日は、旧暦の9月9日にあたり、「重陽の節句」です。
残念ながら他の節句のように、現代にはあまり残っていませんが、
江戸時代、この日は千代田のお城に登城した大名諸侯は、
邪気をはらい、長寿を願って「菊酒」を賜ったそうです。
古くは中国から伝わった行事で、宮中で催されていたのが、
やがて武家にも広まったものです。

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これは、春信描く見立て菊慈童(きくじどう)。
「菊酒」の由来はこの「菊慈童」にあるようです。
菊は中国から伝来したものですが、もとは鑑賞物ではなく、
上等な薬として、邪気をはらい、血気を養い、不老長寿の効能があるとされました。

昔々、中国に魏という国のあったころ、王命により不老長寿の霊水の源を探すようにと、
探検隊が各地を経巡った。
あるとき、レッケンという山の奥に菊の咲き乱れる地があり、そこに少年がたたずんでいた。
聞けば少年は700歳になるという。
少年が言うには、周という、さらに昔々のもっと昔、
周の帝からいただいたありがたい仏の言葉を書いた菊の葉から、
滴ったしずくこそが霊水であり、それを魏の王様に差し上げる、と。
それこそが「菊水」すなわち「霊水」だと言われています。
「菊水」・・・・あの、日本酒。不老長寿のありがたい水だったのね~。
そこで、菊の花びらを酒に浸して飲む、
という風習が広まっていきました。

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なぜ、9月9日が「重陽」と言われるのでしょう?
陰陽では奇数は「陽」です。
奇数の中でも9は最高に「陽」ですね。
9月9日は、最高の「陽」が二つ重なるので「重陽」。
「重九」ともいい「長久」につながり、ことさら長寿の念が増したのでしょう。
本来はこの日、丘に上って菊酒を飲み、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)の薬玉(くすだま)を身に付けて、
邪気をはらい悪鬼を寄せ付けないようにしたのだとか。

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  広重描く、
  染井の植木屋の
  菊園風景。


江戸時代には、武家はもとより町方でも、赤飯をたき、刺身や焼き魚のご馳走をいただきます。
この日は、栗もつきもので、招かれれば栗を贈り物に持っていくことも多いようです。








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by edo-ukiyo-doll | 2011-10-05 12:51 | 江戸歳時記 | Comments(0)

江戸の菊

あちらこちらで菊がもう終盤・・・でしょうか。
「晩菊」といううつくしい呼び方もありますね。
東京の湯島天神や上野の池之端でも菊祭りが行われ、
そばを通るとすがすがしい香りとともに、
秋の華やかさがそこに集約されてるような美しさがあります。
近隣の小学生たちも丹精こめて菊作りをしているとかで、
そういうことを教える先生もまたステキ!
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菊は古くからある植物ですが、
江戸時代の初期の終わり頃には80種ほどが書籍に取り上げられ、
中期になりますと一挙に300種以上が掲載され、
中期頃から菊作りに拍車がかかったことがうかがわれます。

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正徳年間(1711~16年)に京で「菊合わせ」という催し物が始まりました。
これは大型の菊の新種を競うもので、
優勝すれば「勝ち菊」ともてはやされ、
1芽がなんと1両~3両3分(1両は5~10万円ほど)で取引されもしたそうで、
いかにも江戸時代の園芸ブームのすさまじさを思わせますね。
その「菊合わせ」は享保(1716~35年、8代暴れん坊将軍吉宗の頃)の頃に
江戸にも広まり、京と同じように
菊で一儲けを夢見る人々を生み出します。

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おかげで菊の栽培技術や看菊の人気が高まり、
巣鴨や染井をはじめ、寺島(現向島)の百花園や本所、四谷、市谷、青山などの植木屋などが
菊園を公開したので、大勢の人が押し寄せます。

文化年間(1804~18年)に巣鴨で、
人物や鳥獣などの形に菊を作るのがブームとなり(作り方は聞かないでね。知らんのヨ!)、
これが現代の菊人形へと受け継がれています。

そうなるとますます看菊はブームとなり、
染井などでは50軒もの菊園ができて、園道筋には茶店や料亭が立ち並び、
ずいぶん賑わったものです(と、見てきたように言うのは得意です!)

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帆掛け舟の形に作った菊の前で一献。これがほんとの「菊見で一杯」

ところがこのあたりの形モノの菊作りはやがて廃れてしまいます。
見物料をとらなかったからだとか・・・・。
それが明治になって団子坂(現文京区)の植木屋が復興させ、
以降、昭和もかなりまで菊人形は人気でした(これは知ってますヨ)

菊人形・・・最近見たのは池之端・・・・だったでしょうか(アイマイ!)。
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by edo-ukiyo-doll | 2010-11-27 22:03 | 江戸歳時記 | Comments(1)