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鶏を奉納する元祖「酉の市」

今年の「酉の市」は8日と20日の二の酉まで。
東京なら花園神社や、府中も有名ですが、何といっても浅草です。
江戸時代なら、吉原の西門も、酉の市の日には開けて、誰でも通れるようにしますから、
その賑わいは浮世絵にも多く描かれ、江戸の風物詩のひとつですね。

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浅草の酉の市は明和期に始まったようで、吉原に行く口実も効いて大いににぎわい、
今に至ることはよくご存知でしょう。
浅草は「新酉」といわれ、これに対し「本酉」あるいは「大酉」「元酉」といわれていたのが、
いわゆる「葛西花又村」の鷲(わし)大明神社です。
葛西花又村というのは、現在では足立区花畑の一部となっていますが、
現在の江戸川区葛西より、ずっと北のほうです。
葛西はすご~~~く広いエリアを指していたのですね。


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上は『江戸名所図会』に描かれた「鷲大明神社


さて、鷲大明神社は今では「大鷲(おおとり)神社」とか「花畑大鷲神社」と呼ばれ、
酉の市には大いに賑わっています。
江戸時代には、この大明神の本尊は鷲に乗った釈迦如来像でしたが、
そのいわれは伝説に頼ることになります。
話が長くなるので、それはまた来年に譲ることとして、
酉の市は「酉の祭り」が次第に呼び方が変化したものです。
そして元祖・花又村の鷲大明神社の酉の市は、
近郊の農民の収穫祭とミックスされて行われるようになったようです。

『江戸名所図会』にも、鷲大明神社では11月の酉の日は「酉のまち」が行われ、
近くの農民が鶏を奉納する。
そのあと、奉納した鶏は浅草寺観音の堂前に放つとあります。

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鷲大明神社」に奉納した
鶏のようす



花又村から浅草まで運んだのでしょうか。
浅草寺では「納め鶏」として、ここで放し飼いをし、
境内では楊枝と同様に、鶏の餌を売っています。


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もともと鷲大明神社の氏子は鶏は食べず、
社家(大明神を継ぐ家)では卵すら食べなかったそうで、
鷲(わし)がいつかしら鶏に移行してきたのでしょう。
奉納した鶏が、浅草寺の境内を「コッコッコッココ」と
歩き回ってる・・・なんて光景を想像すると、
ああ、江戸時代っていいなあ! いいなあ! 行きたいなあ!
と思うのであります。
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by edo-ukiyo-doll | 2012-11-08 19:42 | 江戸歳時記 | Comments(4)

冬の楽しみ「酉の市」

 「酉の市(とりのいち)」は、「酉の町」とも呼ばれ、
11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼です。
江戸っ子には「お酉さま」と親しまれている、とてもにぎやかな行事。
一の酉、二の酉、年によっては三の酉までありますが、
三の酉まである年は火事が多いと言い伝えられています。

今年は一の酉が2日(水)、二の酉が14日(月)、三の酉が26日(土)。
江戸時代には鷲大明神といわれ、日本武尊を祀っていて開運の神さまとされています。
江戸では葛西花又村(現在の東京都足立区花畑)にある鷲大明神の氏子たちの収穫祭が、
酉の市の起源ですが、御府内(江戸市中)からは遠かったので、
次第に浅草田んぼ・吉原裏手の、新鳥越鷲神社への参詣が増えていきました。

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なので、上の広重の画のように、遊女の部屋からも、
酉の市への参詣人の往行がよく見えます。
この画の左下にはなじみの客が買ってきてくれたのか、
熊手のかんざしが数本置かれています。
中の1本におかめさんと松茸が飾りにあるのは、
吉原だというご愛嬌。

そのためこの日だけは吉原の裏門も開放され、一般の通行が許されるようになりましたので、
日ごろはめったに入れない人々も、遊女見たさに行きますし、
遊女の家族たちも、そっと会いに行くことができました。


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さて右の画では、男は熊手と八つ頭(芋の一種)を持ち、
左の女は粟餅(粟で作った餅)を下げています。

「熊手」は福や金をかき集めるために、
「八つ頭」は子だくさんとか、人の頭となるように、
「粟餅」は黄色いことからそれが黄金に通じるとされ、それぞれに縁起物のおみやげになります。
江戸では、酉の市の熊手は、遊女屋、茶屋、料理屋、船宿、芝居などにかかわる業種の人々が多く買い求めます。


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『江戸浮世人形』にも、「酉の市」があります。
熊手をかつぐのは商家の小僧さん。
お仕着せの縞の着物に紺の股引き、
背中には縁起物のお土産の入った風呂敷を背負っています。
お内儀はお召納戸色の地に、菊花紋散らしの表着。
外出のため着物を帯の下にたくしこみ、帯締めで押さえています。
手に持っているのは防寒用の頭巾ですが、
人手の多さに暑くなったのか脱いでしまったのですね。


ところで、三の酉まであるときは火事が多いといわれますが、
その理由ははっきりしていません。
亭主が酉の市にかこつけて吉原に行くのを、女房が阻むために、
火事が多いから家にいなよ・・・ということが広まっていったと言う説もあります。
さもありなん。
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by edo-ukiyo-doll | 2011-11-19 20:31 | 江戸歳時記 | Comments(0)