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秋風とすだれ



お彼岸になって、今夏の超異常の暑さは、
やっとてっぺんを超えたらしい。
とはいえまだこの暑さは、おさまらず、
簾(すだれ)もしまわずにいる。
AIがなんでも解決してくれそうなこの頃だけれど、
平安時代から続く「すだれ」の、なんと有効なことか。

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「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸の
             すだれ動かし秋風ぞ吹く」

あなたを待って、ああ、私は今恋をしてる、
なんて思っていると
我が家のすだれを動かして、
秋の風が吹いていく、
くらいの意味。
『万葉集』の額田王(ぬかたのおおきみ)の歌。

             「其姿紫の写絵三十八」部分➡



秋風とすだれ_f0186852_16385323.jpg


  平安の宮中では、すだれを「御簾(みす)」と呼んだ。
  尊いお方のお姿は、現してはならないので、
  御簾を下げて隠す。
  もちろん、単に部屋の仕切りや、
  時に日差しなどを防ぐ効果も期待される。


 ←「其姿紫の写絵四十七」部分





平安期には宮中の調度品だった簾(すだれ)は、
時代が下がって江戸期には、
武家はもとより、商家にも使われるようになる。
秋風とすだれ_f0186852_16372048.jpg


                    英泉「当世婦じ美多意」➡

「簾」とは、長方形に編んだものを、
吊るすだけではない。
座敷すだれ、茶室がけにはじまり、
「簾戸(すど)」と呼ぶ夏障子や、
夏用の屏風・衝立(ついたて)、
果てはそれを小型状にしたもので、
海苔巻きなど巻くのは「巻きす」
蒸し物にも「簾(す)」は使われる。
蒸し器を「蒸篭(せいろ)」というが、
蕎麦の「せいろ」はその名残り。


秋風とすだれ_f0186852_16431508.jpg


すだれの素材には、竹、
葦(あし、またはよし。葭とも書く)、
萩や蒲(がま)を
使ったものもあるようだ。


最も多く使われるのは竹で、
竹冠に「廉(れん)」と書く。
「廉」とはいっぱい並んでいることを表し、
「す」とも読み、
これを垂らすので、「す・だれ」なのだそうな。

        豊国三代「百人一首絵抄」より➡
        右は簾(す)の夏用屏風。


現代では窓の外にかけるすだれは、
竹ひごでなく葦製が多いが、
しまうときには軽くたわしをかけて水洗いし、
すっかり干してしまうと、何年も持つ。
夏の直射日光を防いでくれ、冷房効果も増す。
















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# by edo-ukiyo-doll | 2025-09-22 16:28 | 江戸ぐらし

「高輪うしまち」とスイカ

ずいぶん前、
「東京駅にスイカのロッカーができた」
と聞いて、
なるほど、この頃は東京駅構内でもいろんなものを売ってるものね、
スイカを買ってそこに入れておけば帰宅時間までには、
ちょうどよく冷えてるってわけか……と感心した。
冗談でなく、本気でそう思ってた。
とんだスイカ違い。



「高輪うしまち」とスイカ_f0186852_16083740.jpg

スイカ、今年も信州から大玉が送られてきて、
ご近所にもおすそ分けし、毎朝食べていた。
ジューシーで、程よく甘く、夏の食べ物ナンバーワン。



紀元前からエジプトに存在していたというスイカは、
11世紀になってやっと中国に伝わり、
平安時代には日本にもわたっていたとか。
いや、もっと後だとか、いろいろの説。




江戸時代後期には、
水菓子(果物)のなかでもメインとなったようだ。

ただし、あまり甘くはない。
スイカに甘い品種が開発されるのは、明治時代になってから。

けして高級な食べ物ではなく、
炎天下で肉体労働をする人々には大いに受けた。



『名所江戸百景』の中の「高輪うしまち」。
海岸に大八車とスイカの皮。
なぜ?
ここは正式には「高輪車町」というが、俗に「うしまち」。

「高輪うしまち」とスイカ_f0186852_16122755.jpg


貴族の乗物「牛車(ぎっしゃ)」は、牛と車と、
そしてそれを操る牛牽き(うしひき)なくしては、使えない。
ところが貴族の力が、武士に移動するにつれ、
牛車の使用頻度が落ち込んできていた。
そこに目を付けたのは、家康公。
家康公が江戸の町を作っていくにあたり、
京から大勢の牛牽きたちを運搬人として呼んだのだ。


多くの石垣の石や、建物の建材の運搬を荷った牛牽きに、
家康公は高輪の一角に土地をあたえた。
それがこの「うしまち」。
時代が移ろう中でも、火事の多い江戸では、
常に彼らが必要だ。


そして『名所江戸百景』は安政2年のあの「安政の大地震」の翌年から、
安政5年10月にかけて制作された。
大地震の復興の祈りと励ましだったのだろう。


そう思うと、この「うしまち」のスイカの皮、
高輪の海岸に車と同画面に描かれる理由が見えてくる。

大被害を受けた江戸の町のあちこちに、
牛と車と牛牽きは、来る日も来る日も一体となって、大きな重い資材を運び続ける。
きょうの仕事も終わった。
近くのスイカ売りから買った
むしゃむしゃ喰らい、しばしの清涼を味わったのだ。
スイカの皮の横には、履きつぶした草鞋(わらじ)もある。



そうやって、ひとつ、ひとつ見て行くと、
あの『江戸百』が、新たな光を放ってくる。

















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# by edo-ukiyo-doll | 2025-08-26 16:42 | 江戸の食べ物

盆灯籠いろいろ

子ども心に、お盆になると、盆提灯が飾られるのが楽しみだった。
それはそれは美しく、今となればそれは「岐阜提灯」というものであることを知ったのだが、
長じて、仕事柄、浮世絵を多く見ることになって、盆提灯が他の形もあることを知った。

                          
盆灯籠いろいろ_f0186852_15581865.jpg
この形である。
これは「切子灯籠」と呼ばれている。       
火袋を「切子形」に木で組んでいき、
紙製の造花などを飾り、
下には垂(しで)と呼ばれる、
紙の紐、あるいは細長い紙を下げる。
仏教の宗派によって異なるし、
使わない流派もある。
東京にはさまざまな宗派の寺院があるので、
切子灯籠を下げるところもあるようだが、
西のほうに多いようだ。

盂蘭盆会にご先祖様をお迎えするよすがとされるので、
盆灯籠、あるいは盆提灯というところもあるらしい。


盆灯籠いろいろ_f0186852_16003295.jpg

  
   「切子形」というのは、
   立方体の角にもう一つ面を
   くわえたものと思えばいいだろうか。
   柔らかさと華やかさを醸し出している。

   

   細部はさまざまだが、
   およそこの形。
   これは吊り下げる形だが、
   提灯のように手に持てるものもある。
   




   
「怪談牡丹灯籠(かいだんぼたんどうろう)」 

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円朝の傑作ともいわれる怪談話。


新三郎は夜な夜な訪れる

お露という美しい娘に恋をするが、

お露はこの世のものではない。

それに気づいた近所の者が講ずる策もむなしく、

新三郎はやせ細っていく。

牡丹の花が描かれた灯籠を手にした

女中の米(よね)に導かれ、

「カランコロン」と下駄の音を立ててやってくるお露。

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 歌丸の「怪談牡丹灯籠」が好きで、

 ライブで聞けたときには感激だった。

 そしてコワイ。

 米の手にする牡丹灯籠が、闇にボーっと浮かび上がる。

 いつか自分で語ってみたいと思ったこともあった。

 それほど魅力的な話である。





さて話がそれた。

江戸時代、こんなきれいな工芸品が、

日本中で作られていたことに驚き感動する。



この画は旧暦の盂蘭盆会の様子を描いたもの。

盆灯籠いろいろ_f0186852_15143429.jpg

中央に切子灯籠が吊るしてある。

二月堂(机)の上には、三宝に載せたお神酒や、

「七夕・・・」と書かれた梶の葉(たぶん)が載っている。

捩じったものは糸だろうか。

七夕の夜に、供え物をし、琴を弾いている。

これからわかるのは、「七夕」は、

盂蘭盆会の行事の一部だったということ。


切子灯籠からも、いろんなことがわかってくる。



 


  

  


 










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# by edo-ukiyo-doll | 2025-08-16 15:17 | 江戸歳時記

新吉原、八月の行事「八朔の白無垢」



「八朔」の「朔」とはnew moon

新月を意味するので「月のはじめの日」。

なので「八朔」とは8月1日のことをさす。

この日は「八朔御祝儀」といって、

江戸城では諸侯が白帷子をまとって登城する。

神格化された家康公が入府された日だからである。




一方、新吉原の遊女たちも、

禿に至るまで白の小袖(着物のこと)を着て、

仲之町へでる。

それにはこんなわけがある。


元禄(16881704年)の頃、

江戸町一丁目にある巴屋源右衛門の高橋という太夫が、

7月末から熱の出る病にかかっていたが、

八朔の日になじみの客が、茶屋までお見舞いにきてくれた。

高橋大夫は病の床に臥せっていた白無垢のままで、

揚屋(茶屋)に出向いた。


それが風情ある姿だと、客たちの間で評判になった。

高橋はその後全快できた。



すると翌年の八朔の日、巴屋の遊女らは全員新しい白無垢姿で、

道中(遊女屋から揚屋までのパレード)した。

これを他の遊女屋の女たちが次々真似し、

大ブレークとなり、

ちょっと形を変えて幕末までも続いている。





新吉原、八月の行事「八朔の白無垢」_f0186852_14551002.jpg


新吉原、八月の行事「八朔の白無垢」_f0186852_14574639.jpg




というエピソードがあるが、

八朔に白無垢をまとう、というのは、

新吉原が大名はじめ

武家が客となっていたころには、

大いに受けたのだろうと思われる。



     上は北斎の『東都勝景一覧 新吉原八朔』

     右はその部分。

     太夫格もその下の新造らしき遊女も、

     柄なしの白無垢を着ている。







幕末には白無垢ではなく、

白地に文様入りの小袖になっているのも、

ごあいきょう。


新吉原、八月の行事「八朔の白無垢」_f0186852_15090187.jpg

新吉原、八月の行事「八朔の白無垢」_f0186852_15172599.jpg

上は国貞の

「江戸新吉原八朔白無垢乃図」だが、

遊女の仕掛け(打掛)は

純然たる白無垢ではなく、

右の太夫格には「松文」、

左の新造らしきの遊女には

いかにも八月、秋らしい「すすき文」。



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# by edo-ukiyo-doll | 2025-08-02 15:54 | 江戸歳時記

隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!


明日は隅田川の花火大会!!
毎年楽しみに、テレビ中継待ってます。
でも実際に行けるなら、何着て行こうかな~って、楽しみもありますよね。

突然ですが、
隅田川川開き花火大会ファッションショー!
  


隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!_f0186852_14511405.jpg   





      
            

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上の女ゆかたは、藍地に「星形&七宝繋ぎ」
とシンプルですが、
柄が大きいので大胆な印象。
市松文の前垂れをしているので、 
近くの茶見世の女かも。
浴衣の派手さに、「松文」の渋い帯がいいですね。


右は「立涌文」ですが、立涌のライン自体が稲。
これも稲立涌というのでしょう。
武ばった印象の立涌文でも、こうなると
やわらかな感じです。







 
隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!_f0186852_15014334.jpg          

  左はちょっと伝法な感じの
  女ですが、
  洗い髪を「じれった」に結んで、 
  大柄な「二崩」の文様のゆかたが、
  良く似合っています。
  しかも、二崩しの地は
  ちぢみのようにも
  見えるので、きっと凝ったもの
  なのでしょう。 







 



右は役者の坂東彦三郎。     隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!_f0186852_16304501.jpg
ゆかたの文様は、家紋でもある
「九の字木菱」。
江戸時代、役者たちは実にうまく家紋や
替紋を意匠に取り入れています。
といっても、これは
絵師のデザインですが。
















隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!_f0186852_14422890.jpg
   

  江戸時代には雁金文もとっても人気。
  現代では、鍵になり、竿になりして飛ぶ
  雁の姿も、
  見られなくなりましたが、
  ラッキーにも子どもの頃、
  見ました。
  どんだけ田舎の子!!
  
  そんな雁の姿をシンプルなまでに
  意匠化したのが、
  左のゆかたでしょうね。
  地文は細かい絞風なのかも。
  こんな何気ない柄が、
  涼しさを運んでくるような
  気がします。
       






  
隅田川川開き花火大会、勝手にゆかたファッションショー!!_f0186852_16071720.jpg








        右の、暖簾から覗いているのは
        役者の中村芝翫ですが、
        どおりで着ているのは「芝翫縞」。
        4本筋に鐶(かん・引き出しなどの金属の取っ手)
        ですから、「4鐶」→「しかん」と読ませます。 
        白地に淡い藍色は、
        やっぱり涼しげです。






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    「猫芳」こと「国芳」ならではの「猫ゆかた」。
    着ているのは船頭姿の、尾上菊五郎。
    肩の猫は、背景に御簾が下がり、       
    しかも破れています。
    そこから下に目を移していくと、
    「雲文」がいっぱいあって、そしてまた猫。
    「雲文」も「雲気文(うんきもん)」といって
    発祥の地古代中国では「雲」は「気」
    を発するものとされてきました。
    




     ゆかたの季節。
     ゆかたを自分で着られるようになれば、
     着物も着られるようになりますよ。
     くれぐれも、
     殿方は帯をウエストで締めないようにね。
     ご婦人も、半幅帯でもキュッとしめないよう、
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*上から
国周「日本橋美人の夕景」より(七宝繋)
国芳画「天保山の納涼」より(稲立涌文)
豊国「 極印のお与 坂東しうか」より(二崩)
国貞画「猟師綱蔵 坂東彦三郎」(九の字木菱)
国貞画(雁金文)
国貞画「中村芝翫」より(芝翫縞)
国芳画「尾上菊五郎」より(猫文)















                                                 








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# by edo-ukiyo-doll | 2025-07-25 16:41 | 江戸のファッション