西南のほうから、桜の便りがきこえてきます。
でも、今朝は全国的に気温が下がり、
関東でも雪の降ったところもあります。
お花見前に、少しだけ櫻のお話をいたしましょう。
きょうは、此花咲夜姫のことです。
「桜」に関するエピソードが、
歴史書の中に始めて登場するのは、
720年に編纂された『日本書紀』だそうで、
時は402年、
帝が池に船を浮かべ酒を酌もうとした時、
盃に一片の花びらが落ちて浮かびました。
「この花の出所はいずこか探れ」とのお言葉に家臣が探し出すと、
それが桜だったとか・・・。
「さくら」という言葉はどこから来たのかといいますと、
諸説あり、此花咲夜姫(コノハナサクヤヒメ)に
端を発するという説もあります。
此花咲夜姫は『古事記』では木花之佐久夜毘売と、
『日本書紀』では木花開耶姫と表記されますね。
この姫さまのお父さは、
大山津見神(オオヤマツミノミコト)といい、
此花咲夜姫の姉妹は全部で4人。
長くなるので省きますね。
さて、此花咲夜姫の名前は、
宮崎県の木花(きばな)という土地の、さくや姫さまという意味。
ある日、姫は外出中に邇邇芸命(ニニギノミコト)に声をかけられ、
プロポーズされたのですけれど、いったんは断わりました。
しかし嫁ぐこととなったのですが、すでに臨月となっておりました。
ところが邇邇芸命は
「そんなに早く出産するなど、私の子ではない」
と言い張り、
もし此花咲夜姫が出口のない産屋で、
しかも火をつけられても無事に出産することができたら、
自分の子供とみなそう、というヒドイ条件をもちだします。
しかし、此花咲夜姫は無事出産したのです。
三つ子で、これらが
ホスソリノミコト(海幸彦)、
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)、
ホアカリノミコトです。
そして此花咲夜姫は
神武天皇のひいお祖母さんにあたるそうです。
あらま、だんだん迷路に入ってきちゃいましたね。
抜け出さねば・・・。
さてさて、此花咲夜姫のお父さん大山津見神は、
姫に、春になると桜に姿を変えて、
稲の霊として地上に現れるよう命じました。
だから此花咲夜姫は桜の霊といわれるし、
田んぼの神様でもあるわけです。
それで、人々は、
桜の咲き具合によって稲の収穫を占い、
桜の花が美しく長く咲くことを願い、
酒肴を持って山に登り、
花の下で豊作を祈った・・・・・
それが、花見のルーツだという説もあります。
此花咲夜姫はまた富士山の神様となっていますけれど、
これは近世になってからで、
此花咲夜姫は、全国の浅間神社に祀られています。
山梨県では安産の神様にもなっているとか・・・・・・・。
それにしても、『古事記』や『日本書紀』など、
日本の神話や天皇家のルーツに入り込むと、ここはもう迷路です!
ラビリンスに迷い込みますと、一生抜け出られないとも限りません。
ツルカメ、ツルカメ(笑)