藤の美しさに心奪われるこの季節。
しばし、紫色の世界に浸りたくなります。
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
野守は見ずや君が袖振る
これは『万葉集』に収められている額田王(ぬかだのおおきみ)の歌です。
輝くような紫草の野をあるいていますが、
あなたがわたくしを愛しんで袖を振るのを、
野の番人が見ていますよ。
というような意味。
この紫野というのが、紫草という紫の染料となる植物を栽培している野で、
「標野」ですから、一般人は立ち入り禁止になっています。
それくらい、紫草は貴重だったことがわかります。
この紫草の根を紫根といい、これから紫の染料を取りました。
「江戸紫」
紫という色は、中国では禁色(きんじき)であり、
日本でも古代には、聖徳太子が定めたという、
冠位十二階の最高位の色とされました。
平安時代には高貴な色として、宮中で大いにもてはやされ、
「すべて、なにもなにも紫なるものは、めでたくこそあれ」
と清少納言が記していますし、
『源氏物語』では、作者がすでに「紫」式部。
藤壺、桐壺、紫の上など紫の色が名前になって登場するほどです。
鎌倉時代になりますと、武家が台頭し、
鎧などにも紫が使われるようになります。
太閤秀吉から南部信直が賜ったという、
辻が花桐矢襖文様胴服に、紫根染めが使われているそうです。
「京紫」
そして江戸時代になりますと、
それまで紫の染めは京が一手にになっていたのに、
江戸でも染色されるようになりました。
もともと武蔵野には紫草がたくさん自生していたといいます。
さて、いよいよ我らが助六の登場です。
黒羽二重の小袖の裏は鮮やかな紅絹(もみ)。
着物の前をガバとあけ、そこから見えるは紅色の褌。
そして、鉢巻。
この鉢巻の色こそ、江戸っ子の心意気「江戸紫」なのです。
赤みがかった「京紫」に対し、青みがかった「江戸紫」、
と一般的には言われています。
また別の説では、江戸紫とは杜若(かきつばた)の色、
あるいは山葡萄の色・・・
というものもあり、山葡萄となると赤紫系になるので、
当時の人もはっきりとはしがたかったのかもしれません。
「紫と男は江戸に限るなり」 って川柳がありますが、
それくらい江戸っ子は、
なにが京のみやこでぇ。
江戸っ子はなあ、
こうキリッとした紫でなくっちゃ、いけねぇんでぇ!
と言ったかどうかはわかりませんが、
青みの紫、
いかにも助六の頭にふさわしい、
粋な紫じゃあござんせんか。
(浮世絵の紫は褪色しやすく、さめているのが残念です)
*おことわり
PCでは正確な色は出ませんので、ご了承ください。
現在では「江戸紫」を色の配合で指定している場合もありますが、
それらの根拠はわかりません。
また、研究者によってもことなります。