被災された方々のお辛さを思い、直接手は届かないまでも、
自分にできる何かをしていきたいと思います。
被災したとある町では、自治能力の高さゆえ、
立ち直りも早く進んでいるところがあるそうです。
江戸時代の村の組織系統が、現代にまで受け継がれ、
すばらしい結果を生んでいると聞きました。
未だ復興の動きもできない土地も多くあるでしょうが、
きっと明るさは取り戻しましょう。
これからの復興の未来図には、
江戸のころになされてきた知恵にも、
役立つことがたくさんあるかもしれません。
また、Edo CoCoが、たわいのない江戸の話などで、
お心を和らげる一助となれば幸いです。
これからも、江戸のお話をつづってまいりますね。
世情の不安と忙しさに忘れかけておりましたが、
なんと桜の季節なのです!
そこできょうはこんなお話。
以前イギリス人に
「なぜ日本人はそんなに桜に固執するのか、夢中になるのか?」
と問われて、
「日本の桜は咲いてる期間が短い。ゆえに侍の精神、潔さと通じるところがあって好まれるのだ」
と答えようとしたが、
「潔い」という言葉が見つからない。
困った!
でも本当は、桜ははらはらすぐに散ってしまうがゆえに、
もともと武士には好まれなかったのだそう。
ちょうど、椿が好まれなかったように。
それが時代が変わるにつれ、
逆に桜は武士の精神の象徴みたいになっちゃった、
というのも興味深い。
ところで、上野公園は現代でも花見の最高のスポットと言われるが、
(なにが最高なのかは、ご想像にお任せします)
江戸期には途中から、酒宴などが禁止の花見の場所だった。
これは広重の描いた上野のお山だが、
みなおとなしくそぞろ歩いており、お酒飲んだりしている姿はない。
山同心という役人が厳しく見張っていたので、
それでは息も詰まろうと、
暴れん坊将軍の8代吉宗が、
王子の飛鳥山にたくさんの桜を植え、
庶民が心行くまで楽しめる空間を提供した。
上の画は飛鳥山の花見の情景。
上の3枚つづりの画のひだり右を拡大したもの。
右の折の重なりを担いでいるのは、鮨売り。
鮨売りはこのような若衆に多かったもので、
普段は遊里で売り歩くが、正月には町でも売り歩く。
左は飛鳥山の桜。
上の中央部分の拡大だが、富士山の下にたくさんの茶店が見える。
なんとのどかで、楽しそう。
ほんとに、何ゆえ私たちはかくも桜に心惹かれるのだろう?
桜にまつわる思い出を、
誰もがひとつは持っているだろう。
出逢い、別れ、恋・・・。
そしてこの春、何もかも失われてしまった人にも、きっと桜の思い出が・・・・。
人それぞれの思い出を、桜は一身に背負って,
ただひたすら美しく、
今年も咲くのでしょう。