きょうは「土用の丑の日」。
うなぎを食べる日? ということになったのは、江戸時代も後半になってから。
土用は四季それぞれにありますが、夏の土用はこれから真夏に突入なので、
精のつくものを食べて夏バテしないように・・・・・・とのことからでしょう。
通説では平賀源内が、売れ行きの伸びないうなぎ屋の夏の宣伝文句に、
この日にうなぎを食べようと書いて店前に貼り出したところ、集客に成功したとか・・・。
大田南畝にも同様の伝説があるので、はっきりしたことはわかりませんが、
源内の郷里の四国では、この日に「う」の字のつくものを食べる習慣があるそうなので、
やや源内説が有利でしょうか?
うなぎには精力をつける成分があることは古くから知られ、
少なくとも安土時代には、
うなぎを丸ごと串に刺して焼いて、塩で食べていたとか。
焼いてぶつ切りした串刺しが、
蒲の穂(がまのほ)に似ているところから
「蒲焼」と呼ばれるようになりました。
江戸期に入り醤油が登場すると、
丸焼きに醤油と酒を混ぜたのを塗ったり、
山椒味噌を塗って食べていたようです。
でも丸焼きは脂が強いし、よく焼けないので、
食べにくかったようで、
もっぱら肉体労働をする人々の間で食べられました。
これを開いて焼くようになったのは江戸時代。
京坂では腹開きにして長いまま串刺しにして焼き、
切らずにくしを抜いて盛り付けますが、
江戸では背開きにしてかた2~3片に切り、
串にさして焼きます。
うなぎで思い出すのは、池波正太郎の『剣客商売』に登場するうなぎ売りの双六。
「悪い虫」という物語で双六は、若き道場主の大治郎に5両を渡し、
剣術を教えてくれ、と迫ります。
この男、じつにいいヤツで、後には手裏剣の名手杉原秀と夫婦になります。
双六は道端に2畳ほどの縁台を出し、
その上でうなぎを焼いていることになっていますが、
こんな感じでしょうか。
この画は広重描く張交絵の「すさのおのみことの蒲焼屋」。
すさのおのみこと(広重のあてた漢字がないのでかなにします)は
出雲の国で、櫛名田姫(くしなだひめ)を襲う
八股の大蛇(やまたのおろち)を退治したという逸話があって、
すさのおのみことがさばいているのは、
うなぎ状の八股の大蛇!
アタマが龍みたいになってます。
うなぎの蒲焼に串はつきもの。
隣にちゃんと櫛名田姫がいますね。
左の画は宮戸川のうなぎ漁。
五十三次の荒井宿もうなぎが名物で
右はそこのうなぎ漁の様子。英国でもうなぎを食べます。
ヴィクトリア時代を背景にした推理小説など読みますと、
イーストエンド(ロンドンの場末の土地)の屋台で、
うなぎのジェリーを食べた・・・・・・などと書かれていて、
専門家にうかがったら、いまでもうなぎのジェリーを出す店があるとか。
でもとっても不味かったそうです。
いつか食べてみたいです!