11月に入りますと、七五三の子どもたちが、あちらこちらで見られます。
今年は11日の日曜日にお祝いした方が多いようで、
一応、15日とはなっていますが、休日にあわせることが多いようです。
「七五三」という呼び方をするようになったのは、
明治期に入ってからですが、
この年頃の子どもの成長を願うこのような儀式は、
平安時代、公家の間ではすでにありました。
それが江戸時代も半ば頃には、一般にも浸透していきます。
「七つ前は神のうち」ともいって、 まだこの世に命が定まっていない、
いつ神に召されても、まだ人ではなかったのだから・・・・
という哀しい諦めも含んでいたのではないでしょうか。
それが3歳では「髪置(かみおき)」といって、
男児・女児ともに、
それまでは剃っていた髪を、伸ばし始めます。
髪を伸ばして、体に魂を入れてもらうのだそうです。
んんん~~~、鉄腕アトムみたいだ。
左の画の右手前の女が持つのを拡大します。
これが「白髪」という飾り物のようです。女児のお祝いでは、「白髪」とか「たすきがけ」といって、
「麻荢真綿に末広、松竹梅のつくり花を、 五彩の水引をもって飾り結び、
(女児を)かつがしめて生土神へ詣づる」
と古い本にはありますが、
幕末近くになりますと、見られなくなったようです。
5歳になりますと、
男児は「袴着(はかまぎ)」の儀式をします。
これは元は、親類の中で最も有力な人に、
袴着の親になってもらい、
袴のはき方も、
子どもを吉方に立たせて、左足からはく、
土地によっては碁盤の上に立たせて、
裃を着せるところもあるようです。
「袴着」の儀式は、
古くは男児・女児ともにあったとか。
女児は、7歳になりますと、
それまで着物は「紐」で締めていたのを、
「帯」で締めるようになる、
「女性」としてはじめて認められるわけです。
初めて裾を引く着物を着るので、
父親や鳶の頭に担いで宮参りをする、
という姿は、けっこう画でよく見かけます。
それまではこれらのお祝い、儀式はバラバラに行われていましたが、
江戸時代も終盤近くなって、呉服屋がビジネス戦略として、
ひとまとめにし、一大キャンペーンを張ったというわけです。
それが大当たりして、幕末から明治には七五三ブームとなり、
大正時代に今のような形になっています。
おかっぱアタマに大きなリボン、着物で、うっすらお化粧もして、
やたらお澄まししていた記憶があります。
あれは満6歳だったのね。