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めでたやな~。江戸の正月「三河万歳」

新春のお慶びを申し上げます。
(もう七草になってしまいますが)


江戸の元日は、今年は2月10日にあたります。
立春も過ぎ、江戸の頃には正月はまさに「初春」「新春」というにふさわしい新年でした。
江戸では大晦日が終わるギリギリまで、
商家は掛取り(つけで買ってる客の支払い請求)に駆けずり回るので、
元日は大戸を開けず遅くまで休んでいます。
それでも元日は武家たちが身分別に、御城へ新年のご挨拶に行きますので、
大賑わいとなりますし、子どもたちも凧だ羽根つきだと、町中は賑やかです。
2日は商家の初荷ですから、さらに大賑わいとなります。

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これは霞ヶ関の正月風景。坂の上から江戸湾が見え、たくさんの凧が揚がっています。
武家地ですから立派な門松が立ち、通りを行くのは、
漫才師の太夫と才蔵、その脇を太神楽の一行が歩いています。

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    こちらは日本橋三井越後屋
    (現代の三越百貨店)の前を、
    左から鳥追い、漫才師、
    太神楽の人々がそろい組みで、
    歩を進めています。
    正月にはこの画のように、
    太神楽、万歳、鳥追いなどの季節的な芸人が、
    おおぜいやってきて、
    江戸の正月をさらに賑わしいものにします。




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上も霞が関ですが、右に鳥追い、左に太神楽、真ん中に風呂敷を担いでいるのが万歳師です。
万歳は主に三河万歳で、これは現代でも継承されていますが、
江戸の正月には欠かせません。
太夫と才蔵の2人一組で(流派によって異なることも)、
彼らは年の初めに、祝いの言葉を面白おかしく歌い舞って、
その年の福を願って寿ぎの芸を披露してまわります。



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画を見ますと、
太夫は風折烏帽子(かざおりえぼし)に、
大紋という格式のある装束で刀を差し、
手には扇子を持っていますし、
才蔵は侍烏帽子か大黒頭巾にたっつけ袴。
太夫は特に立派な身なりをしています。
これには訳があります。


徳川家が三河出身なので、三河の万歳師たちは優遇され、
御城や大名屋敷の座敷にあがって、万歳をします。
そのために太夫は武士のように帯刀、大紋の着用を許され、
頭には風折烏帽子、手には位の高い人が持つ「中啓(ちゅうけい)」という扇。
この姿は普通の大名と同程度の位に匹敵する服装ですし、
才蔵も武家の服装をします。

三河万歳師は、元旦には江戸城の「御門開き」を担当します。
「鍵いらずとざさる御代の明けの春~」と漫才師が門外から叫びますと、
城内からは「思わず腰ものばす海老の錠~」とあって、門が開けられます。
その後から登城の武家たちが、入っていくこととなるわけです。



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 ←「才蔵市」の風景
 
    ↓太夫と才蔵が連れ歩く様子
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年末になると太夫が江戸に出てきますが、
そのときに才蔵を調達し、
何日かで教え込んで使ったものです。
日本橋南詰めの四日市という所に
「才蔵市」というのが立って、
下総(千葉県)の農家の男が
才蔵志願で集まるので、
太夫はそこから相性がよさそうなのを選ぶのでしょう。
ですが、次第に太夫と才蔵のコンビは、
又次の年も・・・・ということが多くなり、
幕末には才蔵市は無くなります。


太夫も才蔵も国は違えど農民なので、気もあって義理にも篤く、
太夫が江戸に着くとすぐに定宿に挨拶に行って再会を喜び、
都合で才蔵ができなかったりすると、代わりの者を送ったといいます。


太夫の歌に才蔵の鼓が入り、歌も舞いもおもしろく滑稽で、
正月の江戸のエンターテーナー、ここにあり!



本年も、ゆるゆるちょびっとがんばりますので、
よろしゅう、おたのみ申しまする~。
























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by edo-ukiyo-doll | 2013-01-06 15:35 | ごあいさつ申し上げます