江戸の「天下祭」と言われたのは、「神田明神祭」と「山王祭」でした。
神田明神は今でも神田明神ですが、では山王祭の山王社はどこにあるのか?
『江戸名所図会』をひもとくと、「日吉山王神社」というのが、正式名称のようです。
今では「日枝神社」と呼ばれています。
1月にはここに初詣としゃれこみました。
家康の入府時(天正18年・1590年)にはすでにここにあり、川越の山王社から勧請したのは、
江戸氏だとも太田道灌だともいわれています。
入府後には江戸城の紅葉山に、新たな社殿を造営し、
以来将軍家の産土神として、また江戸市民もこれを産土神として親しみを持ち、
東都第一の社として自慢でもありました。
水無月十五日の「山王祭」は「天下祭」として、
江戸城に入り将軍の前を行列しました。
2代将軍秀忠の時に、江戸城を拡張するために、
半蔵門の外に移したのですが、
明暦の大火によって現在の地、赤坂の溜池の上、星ヶ岡に移されました。
「日枝神社」となったのは明治以降で、もともと「日吉大社」が大もとで、
「日吉神社」「日枝神社」「山王神社」と別れたものだとか。
東京大空襲の時に焼失し、現在あるのは1958年に建てられたもの。
日吉山王神社の遣い「神猿(
ながく赤坂に通っていたのに、全く知らずに過ごしていました。
鰻もおいしいそうで、一度行ってみたいです。
そして、明治になると日吉山王神社(日枝神社)の氏子エリアには、
牧場がたくさんできた……え? 牧場? 驚きました。
というのも、徳川幕府の崩壊によって、武家は解体し、
藩士たちはみな国元へ帰ってしまったので、
藩邸は空き家となり物騒になってしまったのでした。
そこで政府はそれらの土地を払い下げ、
もと武家だった人や政府関係者、
元藩主の貴族などが、牧場を始めたのだそうです。
牛を飼って搾乳し、九段でバターを作った牧場もあったのだとか。
明治14年には東京に、100軒もの牧場があったそうです。
大混乱の明治の初期、これもまたたいそう興味深いことを、
赤坂の日吉山王神社(日枝神社)に詣でて、しみじみ感じたのでした。
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