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朝顔売りがやってくる朝


今年、我が家の朝顔は、蔓ばかりが伸びて、3日前やっと花が一輪。

熱いから梅雨の後、日照不足の今夏ですから、 朝顔も調子が出ないようです。





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さて、江戸の夏。

様々な物売りがやってくる江戸の町の早朝の物売りと言えば、朝顔売り。

4月になると朝顔、夕顔、冬瓜、とうもろこしにへちま、茄子、
唐辛子などの
苗を売りに来ますが、

6月になると、苗ではなくすでに朝顔の花が咲いている鉢を売りにきます。

苗を買い損ねた人や、育てるのがめんどくさい人が、
きれいに咲いた一鉢を買うわけです。



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   なんたって朝のうちの勝負ですから、 
   早朝から売り始め、

   昼を過ぎると花はしぼんでしまうので、
   終わりにします。
   「売り仕舞日向を戻る朝顔や」
   まだ日が昇る前に家を出て、 
   昼前まで売り歩いた朝顔売りは、

   日差しがきつくなるころには売り仕舞いになるってことですね。



現在は入谷の朝顔市が有名ですが、

江戸で朝顔が流行したのは、
下谷の御家人の内職によって大いに栽培されたからです。

皮肉なことにそのきっかけとなったのは、文化3年の大火事でした。

芝・車町から出火して,
薩摩上屋敷(現芝公園)から増上寺の五重の塔も焼失、

木挽町や数寄屋橋を焼き尽くし、

日本橋から神田、浅草まで火の手が及んだといいます。

この時御徒歩組の居住していた下谷もすっかり焼けつくし、

そこにできた空き地を利用して下級武士たちが、
朝顔づくりを始めたのでした。




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それまでに朝顔がなかったわけではありません。

万葉集にはすでに「朝貌(あさがお)」
という記述がありますが、

これは桔梗やムクゲのことといわれています。

奈良時代には「牽牛子(けんごし)」という名前の薬として、日本に入ってきました。

中国では朝顔の種を干したものを、

利尿薬などとして箱にいれてこれを牛に牽(ひ)かせ売り歩いたので、

「牽牛子」と呼ばれたのだとか。

花も愛でるようになりましたが、栽培までするようになったのは、

江戸時代になってからのようです。





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    文化年間には上に書いたように、
    下級武士の朝顔栽培からブームとなり、

    それがエスカレートして、幕末の嘉永・安政に
    第二次朝顔ブームとなります。

    さらにマニアックな「変化朝顔」が
    登場してくることになります。
    しかし、下谷の空き地も家々が再建するにつれ、

    栽培場所がなくなって、
              明治時代には下谷より、
              北の入谷へと移っていきました。



































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by edo-ukiyo-doll | 2017-08-16 12:52 | 江戸の園芸