-
[ 2009-06 -24 14:58 ]
四谷怪談。「かいだん」の町
2009年 06月 24日
以前、四谷に住んでおりましてなぁ、
四谷といえば、文化放送・・・、
じゃなくて『四谷怪談』。
歌舞伎『東海道(あずまかいどう)四谷怪談』が、
『仮名手本忠臣蔵』の一環だってご存知の方が
案外多くはなくて、私も初めて知ったときには、
「どこがァ?」
と思いましたもの。

「田宮伊右衛門 片岡仁左衛門」
「滝山長兵衛 市川雷蔵」
お岩さんの父四谷左門(完璧、左門町のパクリです)は、
実は塩治藩士。つまり赤穂藩士ですね。
で、一方、岩殿の夫伊右衛門は、
実家から戻ってきた妻がいとわしくなっていました。
そんな時、梅という娘が伊右衛門と結婚したいと、
言い出します。
実は梅の祖父は、高師直(吉良上野介のこと)の家臣である伊藤喜兵衛。
ここで『四谷怪談』もまた、
赤穂VS吉良の図式になるというわけです。

国貞画 「お岩の亡霊 坂東彦三郎」

国貞画
「仏小兵二役 尾上菊五郎」
それはそうと、
私が住んでいたのは今はなき
文化放送のすぐそばで、驚いたことにこの一帯、
江戸時代とほとんど通りが変わってないんです。
ですから古地図、そうですね、
嘉永の尾張屋版が一番出てますでしょうか、
これなんかと現在の地図を比べてみると、
よくわかります。
みごとにそのまま。
それに気づいたときには、うれしかったですよ。
ちょうど、時代小説にのめりこんでいた頃でしたし、
古地図を持って近所をくまなく歩きました。

現在の四ッ谷駅の脇を通って、
麹町から新宿までまっすぐ伸びる大通りは、
新宿通りと言いますが、
ここは江戸時代には雁木形だったのを、
直線に直しています。
それくらいなもので、新宿通りの南側は、
古地図で歩けるほどです。
文化放送があった場所は、江戸時代には武家地。
その前の通りを「天王横丁」といいましたが、
現在も「天王坂」という名前が残っています。
東福院、愛染院があって、天王坂をおりていくと、
江戸時代には「鮫ヶ橋」と呼ばれていた低地です。
『四谷怪談』で有名なお岩稲荷は、
田宮神社とはす向かいにあります。
天王坂を下って、今度は須賀神社への階段を上り、
グルリ右に大きく旋回すると、
ふたつのお岩さん関係の稲荷&神社に到着します。
けっこう四谷は上ったり下りたり。
たしかに、「かいだん」の町です。
そしてこの二つの稲荷&神社には、
深い因縁がありますが、そのお話はまたいつか。
それにしても、調べるほどにオモシロいのが
『四谷怪談』です。
お岩さんという人物は、実在の人でしたから。
*註 「東海道四谷怪談」は「とうかいどうよつやかいだん」と読むこともあります。
