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江戸に紅葉狩りに行く



関東の紅葉(こうよう)前線も、平地まで降りてきて、
近所の銀杏は、まさに「小さき鳥の形」して、舞い落ちていく。

さて、江戸では、土地によって多少のずれはあるが、
およそ立冬から7、8日たった頃から見頃だと、『東都歳時記』にある。

もみじは現代では「紅葉」と表記されるが、『東都歳時記』では「紅楓」。
というのも、紅葉(こうよう)するのは楓だけではないからだろうか。
その紅楓の名所としては、東叡山(上野のお山)、谷中の天王寺、
王子の滝野川、根津権現、目黒の祐天寺や、角筈の十二所権現辺り(現在の新宿公園内)
などは早くに見ごろとなる。

立冬から10日目頃に見ごろとなる品川の海晏寺は、
江戸随一の紅楓の名所と言われる。
近くの海で大鮫の死骸から、木造の観音像が出現。

これを耳にした執権・北条時頼がお堂を立て、祀ったのがこの寺の始まりとか。
広大な敷地に多くの寺院や堂宇があったが、戦国時代に焼失してすたれたのを、
徳川家康の命により再興された。
江戸期にはその北条時頼が植えたという古木の楓がたくさんあったという。




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   ⇧品川の海晏寺の紅葉狩りの様子。
    紅葉時には茶店もある。『江戸歳時記』による。



   ⇐広重描く海晏寺の紅楓。
    海が見える紅葉の名所!

    ⇓下は東海寺の紅葉狩りの様子 『江戸歳時記』による。
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また、植木屋の町染井の植木屋では、100種類の楓を
「歌仙楓(かせんかえで)」と名付け、書にした人もいた。
さすが園芸の都市江戸・染井である。



























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# by edo-ukiyo-doll | 2021-11-21 11:46 | 江戸歳時記

端午の節句の菖蒲湯と菖蒲酒


この画は『東都歳時記』の中の「端午市井之図」。
江戸時代後期の端午の節句の頃の江戸の町の様子です。


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右手奥には五月人形店。
店先には片喰紋いりの幟(のぼり)、
兜や甲冑、武者人形、その手前には飾大太刀など。
店の軒端には菖蒲と蓬が下がっています。


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左手前の店の前にも立派な幟、
鍾馗(しょうき)様の幟も飾られています。
その店先を、鯉のぼり売りが行きます。
幟の間に見え隠れしているのは柏の葉売りで、
これから買って柏餅を作る家もあるのでしょう。
まだ五日にはなっていないことがわかります。


軒端に飾った菖蒲を湯に入れるということなのか、
江戸時代、菖蒲湯は五月六日に入るものとされています。
なぜお風呂に菖蒲の葉を入れるのか?
これも中国からの伝来です。
中国では「蘭湯(らんとう)」といって、
日本ならフジバカマと呼ばれる植物を入れた湯につかる、
ということのようです。


5月は今はすがすがしい気候ですが、
旧暦を使う江戸時代は、梅雨のシーズン真っただ中。
「忌月(いみづき)」とか「悪月(あくづき)」などと言われ、
疫病などがはびこる恐ろしい時期。
ということで、その昔宮中が中国に倣い、菖蒲や蓬を用いて邪気を払ったことが、
武家に伝わり、江戸の庶民たちも連綿と受け継いだようです。


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菖蒲湯は室町時代には
すでに行われていたといいますから、
私たちもまだそれを
受け継いでいるということになります。
菖蒲に含まれる精油成分は、
血行をよくし、保温効果もあるようです。




菖蒲はまた香りもよく、
これを酒につけたものは「菖蒲酒」と呼んで、
これもまた邪気を払うものとして大いに飲まれました。
菖蒲には解毒作用があり、
また健胃効果や血行促進などの効果から、
漢方としても用いられているようです。


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# by edo-ukiyo-doll | 2021-05-05 15:16 | 江戸歳時記

「梅」を纏う

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 まだ蕾……と思っていたけれど、
 あっという間に満開になり、
 蜂の訪れを待つ時期となった。
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 江戸時代も「花」といえば桜だが、
 古典趣味もあってか、
 梅もまた愛でられる。
 
 右の絵は英泉の
 梅の古木の前に立つ美人。
 瓢箪形のコマ絵には
 「梅屋敷」とあり、
 亀戸の梅屋敷の事らしい。 

 梅は仏教が伝えられるのと同じころに、
 薬として日本にやってきたようで、
 やがて樹木として育てられ、
 花を楽しむようになった。

 平安貴族はもっぱら梅を鑑賞したかというと、
 平安京となってすぐのころ、
 桜の花見が催され、
 梅から桜へと人気は移ったようだ。

 
 だが、梅はひっそりと江戸の粋な人々に人気だった。
 着物の文様にもさまざまにあらわされている。
 

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 右は国貞の描く芸者と思われるが、
 中着の襟が素晴らしくモダンな梅花文様。
 黒地に白で縁取った大胆な梅花。



 
 下は吉原の遊女と禿を描いているが、
 遊女の表着の裾から前にかけて、
 氷割梅(ひわれうめ)文様。
 それに合わせて後ろの禿の着物も
 梅花紋様だ。 
 

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  禿の着物は若松色に白梅。
   
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 氷割れとは割れた氷の形を表したもので、
 そこに梅花を組み合わせたデザインを「氷割梅」という。


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 右は豊国の描く姉と弟の図だが、
 紙のおもちゃを持つ姉は、
 藍地に白梅の総柄。
 (前髪を結ぶのは娘だけ。既婚者は結ばない)
 
 梅の枝ごと描いた文様は「梅枝文」。
 「ばいしもん」「うめえだもん」と読む。
 花だけなら「梅花文(ばいかもん)」。
 

 桜の前に、「花の季節」の
 到来を告げるかのような「梅」。
 暖かすぎた冬だったけれど、
 どうかどうか、ウイルスが収まりますよう、
 祈りと共に。








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# by edo-ukiyo-doll | 2020-02-29 12:30 | 江戸の文様・江戸の色

「雨竜」がゆく

「雨竜」「雨龍」・・・「あまりゅう」「あまりょう」などと読む。
「竜」「龍」と名付けてはいるが、およそあの「龍」には見えない。
それでもこれは龍の一種で、イモリやヤモリ、トカゲにも似てはいるが、
れっきとした霊獣である。


濁り水の流れに棲み、雨を降らすことのできる「水霊」なのだ。
サイズはトカゲよりは大きいらしい。
蒼黄色をしていて、尻尾は細い。
架空の動物なのに、事細かな設定がなされている。

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さらに驚くのは、雨竜が水の中で5000年過ごせば、
「蛟龍(こうりゅう)」となって天に昇っていくという。
その時にはもうトカゲのような姿ではなく、
四肢はたくましくなり、鋭く長い爪も生えている。
そして立派で見事な牙と角が生えるのだそうな。


もちろん中国から渡ってきたものだが、その時代は定かではない。
鎌倉時代にはすでに武家の装飾に使われていたようで、
楠正成の馬の鞍にも雨竜文様があるそうだ。
「厳島緞子」と呼ばれる織物にも雨竜が織り込まれているし、
陶磁器や漆器、刀の鍔、墨などにも使われているようだ。

御家元の中国ではあまり人気はなかったらしいが、
幕末の江戸では人気が広がっていた。
英泉が描く遊女の衣装には、随所に雨竜文様が見られる。

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 着物の文様として。

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       帯の界切に。


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仕掛けのフキに。

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  まるでアリクイか象の鼻。
  頭にはフサフサの毛が生えている。
  体は細っこいが、四肢には3本の爪。
  この爪がアレンジ&デフォルメされて、
  立浪と同化していく事が多い。

  

この奇抜で一見何かわからないが、
どこかひょうきんなデザインを、
江戸っ子は大いに好んだようだ。

中国から伝播した雨竜文様は、
江戸の独特の感性の中を
自由に泳ぎ回った!
ま、そんな感じ。
























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# by edo-ukiyo-doll | 2020-01-20 11:38 | 江戸の文様・江戸の色

『仮名手本忠臣蔵』仲蔵のおみごと

師走14日は赤穂の浪士たちが、吉良邸に討ち入った日。
現代でもその話は語り、演じ続けられ、
「チュウシングラ? なにそれ? 知らな~い。キャ~ハハハハ~」
と笑われることも多くなりましたが、
め・げ・な・い。

歌舞伎では「仮名手本忠臣蔵」として、
時代によって様々な演出がされてきました。
なかでも有名なのは中村仲蔵が演じた斧定九郎。
斧定九郎、五段目に登場する悪いヤツ。

討ち入りに参加したい夫のために、
娘が身売りして作った金を懐に、
父親が山道に差し掛かった時、
物陰から現れた男に金を奪われ殺されてしまう。
その強盗が斧定九郎。
だが定九郎は、猪と間違われ猟師に撃たれて死んでしまう。

この斧定九郎が問題の人物。
彼の父は塩野家(史実では赤穂の浅野家)の家老だったが、
息子はすっかり身を持ち崩している、というありさま。
そしてこの役はほんのチョイ役で、
それまでは夜具に使われるような安い縞模様のどてらに、
たっつけをはき、猟師がかぶる藁の頭巾。
いかにも「山賊」といったいでたちで、
目立たない役どころだった。

ところがこの役で大当たりをとったのが、初代中村仲蔵。
仲蔵は有名一族の出ではない。
いい役など来るわけもなく、一時は役者をやめすさんでいた。
思い直してもどった芝居の世界も冷たく、
おまけに戯作者に意地悪される始末。
そんな仲蔵に声をかけてくれたのが4代目市川團十郎。
それ以来、仲蔵は團十郎を信奉するようになるが、
そこらあたりから運気が上昇してきた。

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 ダサい役だが、何とかしてよく演じたい!
 研究を重ね思い悩み続けていたある雨の日、
 蕎麦屋に一人の浪人者が飛び込んできた。
 黒羽二重の紋付に献上帯、
 刀を落とし差しにして尻ばしょり。
 破れ傘を放って、
 濡れた袂のしずくを払った。
 「これだ!」
 と仲蔵は、斧定九郎をダサい山賊風から、
 色白であか抜けた悪の浪人へと変貌させた。





黒羽二重の尻ばしょりに伸びた月代、
白塗りの拵えに、破れ傘。
この斧定九郎は当時の観客を唖然とさせ、
心を奪ったという。

初代仲蔵のこのスタイルは「仲蔵型」と言われ、
現代にも受け継がれている。
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この話は落語に作られ、さらに有名になって
昔、私はテレビドラマで見た記憶があった。
たぶん、当時新之助だった市川海老蔵が演じた
「忠臣蔵裏話・仲蔵狂乱」だろう。
新之助は見事に仲蔵役にはまってた。

実際にはこれを考え付いたのは、
若き日の5代目団十郎だったとか、
仲蔵は2度目の斧定九郎でこのスタイルを確立したとか、
諸説あるようだが、
実際の舞台で見た「仲蔵型」の斧定九郎は、
おお、なんという魅力的な「悪」だったろうか。









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# by edo-ukiyo-doll | 2019-12-14 11:37 | ああでもねえこうでもねえ